第18話 あたしとブレーメン④


 夕が中学を卒業してからの二年間は、すごく空虚だった。あたしにとって、夕の隣で演奏出来ないことに何の意味もないのだから。

 けれど相変わらずあたしは夕の家のチャイムを鳴らした。

 夕は高校生になってもそのズボらさと適当さは変わっていなくて、少しマシになったとはいえ、やっぱりあたしから見ればまだまだ腹立たしい。


 ある日、中学三年生になったあたしがいつものように夕の家のチャイムを連打していると、中から初めて見る男の人が出てきた。

 彼は百人中百人が振り向くほどの美形で、タレントだと言われても誰もが納得するような顔をしている。基本的に他人に興味が無いあたしですら、思わずまじまじと見つめてしまったほどだ。


『あれ?君……もしかして紫?』

『……そうだけど。どうしてあたしの名前を……』

『あはは。夕のお友達だよね?俺は夕の父親なんだ。その繋がりで君のことはよく知ってるんだよ』


 そう言った男は、目を細めて笑う。

 今思うとその男の言い回しは実に巧妙で卑怯だったのだけれど、そうとも知らないあたしは『はあ……』という曖昧な一言で一応の納得をしてしまう。


『夕はさっきまで寝てたから、もうすぐ来るんじゃないかな』

『それは……どうも』

『いえいえ。君達が仲良くしていると、俺も嬉しいよ』


 そう言って、その男はあたしの横を通って出ていってしまう。

 そこでふと、父親と自称する彼をここで見たのが初めてであることに、あたしは気がついた。ここは夕の家なのだし、彼が父親ならあたしが毎回見ても良さそうなものなのだけれど。

 まあ家庭の事情ってやつなんだろうと流したあたしは、苛苛しながら夕を待つ。

 すると、珍しく焦った様子の夕がバタバタと出てきて、『さっき……男の人出てこなかった!?』とあたしの肩を掴んで必死な様子で尋ねてきた。

 あたしは少しどぎまぎしながらも、『夕のお父さんなら……さっき出ていったけど』と嘘偽りなく答える。すると夕はハッとした様子で、『……何か言われた?』と問うてくる。


『別に、普通だったけど。仲良くしてくれって』

『…………そう』


 その時の夕の顔は、今までに見た事が無いぐらい歪んでいた。

 それを見て、あたしはあの父親らしき男を微かに羨ましく思った。

 だってあたしはこんなにも夕のことが憎いのに​────夕は、あたしのことなんてどうでもいいんだろうから。



 ▼



 高校に上がって、あたしはようやく夕と同じ吹奏楽部に入ることが出来た。

 相変わらずあたしと夕以外はゴミみたいな演奏だったけど、あたしは夕の諸々をまた矯正出来ることが凄く嬉しかった。


 でも、その日々は呆気なく崩れ去った。


『ほら、挨拶して』

『やあ、紫ちゃん。一年ぶり……かな。二年ぶりだっけ。久しぶりだね』


 それはあたしの誕生日のことだった。

 珍しく母さんがあたしのために高いレストランを予約してくれて、そしたらあの男が座っていた。母さんが言うに、男は光という名前らしい。

 相も変わらずその美貌は健在で、客だけじゃなく店員もチラチラと彼の顔を見ているのが分かった。


『どうして、夕のお父さんがここに』

『あはは。そっか、まだ説明してなかったよね。俺はね、夕のお父さんなんだけど、紫のお父さんでもあるんだよ。というわけで今日から俺は正式に、君達のお父さんだ』

『…………は?』


 あたしは何か悪い冗談か、それか頭のおかしい人が変なことを言っているのだと思って母さんを見た。

 母さんは、微笑んでいた。


『貴方は夕ちゃんと血が繋がっているの。ああ良かった!貴方の才能はちゃんと本物だった!私は信じていたのよ!』

『ちょ、ちょっと待ってよ!母さん、何言ってるの!?あたしの父さんはこいつなんかじゃない!』


 あたしの必死の反論に、光という男はあはあはと微笑ましそうに笑うだけだ。それは、今のあたしにとっては見下しにも等しかった。


『紫は結果より過程を大事にするタイプなのかな?大岡裁きなら真っ先に負けちゃいそうなタイプだなあ』

『…………何がおかしい』

『まさか!おかしくなんてないよ。俺は関心してるんだ。確かに、紫の理屈で言うのなら、君のお父さんは俺じゃなくてその前のお父さんだろうね。うん、実に正しいよ。でも十人十色という言葉があるように、この世には色んな見方と尺度がある。そしてその内の一つにおいて、確かに俺は君の父親なんだよ』

『だから……だからなんなんだよ!さっきから訳わかんねえことばっか言いやがって!』

『うん、だからつまり、君には俺の血が流れているんだよ、紫。夕と同じ、俺の血が』


 微笑みながら、当然のように言われたその言葉に、頭を強く殴られた心地がした。

 母さんがしでかした事とか、前の父さんのこととか、あたしにとってはもうどうだって良かった。

 あたしにとって一番重要だったのは─────あたしが、あたしと夕の血が、本当に繋がっているということだった。




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