第15話 あたしとブレーメン
ファーストにセカンド、たまにサード。
ブレーメンの音楽隊は四匹だけど、全員ファーストだ。あそこにセカンドやサードは一匹もいない。
─────この意味がわかった時、あたしは少しゾッとした。
吹奏楽部に入った人間なら誰しもが受ける、差別、階級、格差。
中学の時の顧問の先生はそれぞれに役割があるのよ、と言ったけど、そんなの嘘だ。
嘘に決まってる。
▼
あたしは、愛された子供だったと思う。
両親は優しかった。優しいを通り越して過保護なぐらい、優しい。
あたしが一人っ子で、しかも中々子供が作れない日々を送ってきたから、だから尚更大事なのだと父さんは教えてくれた。
あたしはそうか、ならそうなんだろうと思った。
五歳のクリスマスに、あたしはトランペットを買ってもらった。
ブレーメンの音楽隊が好きだったあたしが、『このラッパほしい!』と親に強請ったからだ。
トランペットなんてもん、五歳の子供に与えるもんじゃないと、今になったら思うけど。元々母さんも父さんもクラシックが好きで、前述したようにあたしのことも大好きだったから、そうしたんだろう。
あたしは、その日からトランペットを習い始めた。
母さんは父さんとは違って、とにかくストイックな人だった。目的のためならなんでもする人だった。
だからトランペットの先生も何度も変えたし、ありとあらゆる方法であたしの肺を強くしようとする。
あたしは、ある角度から見たら虐待にもなりかねないそれが、嫌じゃなかった。本当に。嫌じゃなかった。
人に期待されることが好きだった。だって、その間、その人の時間はあたしに使われている。あたしのことで頭がいっぱいになっている。その事がとても、嬉しくて好きなのだ。
その目立ちたがりと呼ぶには少し歪な性質は、生まれ持ったものだった。別に大層な理由なんてない。あたしははなからそういう人間で、でもそれは父さんにとっては受け入れがたかったらしい。
あたしが小学生になった時、父さんが居なくなった。
『お父さんはね、逃げたのよ』
母さんは音楽教室の待合で、あたしにそう言った。
『紫の教室にも、練習に来ない子がいるでしょう。ちえちゃんとか……みかちゃんとか』
『うん』
『そういう子達と、同じ。やるべき事から逃げた人間は、もう何者にもなれないの。だからお父さんはお父さんじゃなくなった。何者にもなれないのなら、死んでるのと同じ。紫はまだ、死にたくないでしょう』
『うん……』
『死んだら、誰にも愛されない。私のお母さんもそうだった。私はあの人の墓を見たって何も感じない。何も思い出さないし、泣くことも出来ない。紫はそうなりたくないでしょう』
あたしはその言葉にだけは、何も言えなかった。だってあたしは、母さんの墓を見たら、泣いてしまうだろうから。そして同じように、母さんにもあたしの墓を見て泣いて欲しかった。
返事をしないあたしに母さんはそれ以上何も言わず、ただ時間が来たからあたしの背中をそっと押しただけだった。
コンクールがあった。小学生のコンクール。
あたしは全国二位にまで登りつめて、銀色と言うには少しくすんだメダルを貰った。
舞台からはあたしより年上の沢山の大人が拍手をしていて、その音に何よりも満たされた。何度も聞きたい音だと思った。
でも、母さんはあたしをぶった。
ヘラヘラした顔でメダルを持ってきたあたしをぶって、『どうして笑っていられるの?』と言った。
『一番じゃないなら、なんの意味も無いのよ。負けなのよ。ずっとずっと、負けなの。貴方は一番の人間に、ずっと見下されて生きていくの。頭を足で蹴られようが、それを受け入れなきゃいけないの。紫、あなたはそれでいいの?』
レッスン教室の先生がその場はとりなしてくれて、君のお母さんは言い過ぎだ君は本当に凄いんだよ、みたいな事を言ったけどあたしにはちっとも響かなかった。
先生の言葉なんてもう、どうでも良かった。
家に帰ったあたしは、もらったメダルを机に叩きつける。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も叩きつけて、そのまま怒り狂った。
母さんはそんなあたしを見ても、何も言わなかった。
▼
中学生に上がって、あたしは吹奏楽部に入った。
全体練習を数回すれば、ここにいる全員が自分よりレベルの低い人間だということが分かったけれど、別に失望はしない。
ただ見下すだけだ。当然のように、当たり前のように。
五月に入って、いつもの様に全体練習をしていれば、演奏中だと言うのに堂々と音楽室に入ってきた一人の少女がいた。ドアを開閉する音は大きく、楽譜台を立てる時もガチャガチャとうるさい。平気でトランペットのパートが集まる真ん中の席にズカズカと入っていく。
しかも、髪の毛は緑。校則を無視するどころか、すり潰しているような髪色。
顧問が一旦演奏を止めて小言を言っても、彼女はあはあはと笑ってそれを無視するだけだ。
『あ、ごめん』
『……はあ⁉』
彼女は当然のようにあたしの楽譜台を倒して、ファーストの位置に座る。直しもしない。
これがあたしと彼女との、いちばん最初の出会いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます