第14話 私と引きこもり



 北山先輩の話を最後まで聴き終わった後、私はフラフラとした足取りで帰路に着いていた。

 傘は持っていなかったからそのまま帰ろうとしたけれど、先輩が心配してコンビニで買ってくれたのだ。だから今、私の手には新品のビニール傘と端が少しだけ濡れた鞄がある。


 普段よりずっと重く感じる玄関の扉を開けると、見慣れている靴があった。

 それは​────学校指定のローファーだった。そんなの、見慣れているに決まっている。

 けれど私のローファーはまだ一足しかなくて、なら学校帰りの今、ここにローファーがあっていいはずが無い。


 紫さんだ、と私は直ぐに気が付いた。


 私は荷物を玄関に放り投げて、慌てて階段を駆け上がる。夕さんの部屋には入ったことがないけど、入る後ろ姿はよく見ていたから何処に位置しているかは分かっていた。


「夕さん!」


 ノックをせずにその部屋に入れば、まさに紫さんが夕さんをベットに押し倒してその首を締めようとしている姿に出くわす。

 私はほぼ何も考えないまま紫さんの背中に飛びついて「っ、やめて!」と彼女を引き剥がそうとした。

 一瞬、紫さんが暴れるのではないかと思ったけれど、そんな予想に反して紫さんの体は簡単に剥がれた。それこそ、蝉の抜殻みたいに。


「…………」


 紫さんの顔は、今まさに首を絞めようとした人間とは思えないほど、呆然としていた。

 まるで幽霊を見た時のような。

 クリスマスプレゼントが用意されなかった子供のような。


 私は嫌な予感がしながらも、私は背後にいるであろう、夕さんの方を振り返った。


「あれ、初ちゃん。おかえり。今日は早かったね」


 ​─────その態度は、いつも通りだった。

 さっきまで、殺されそうになっていたのに。自分の妹に、殺されそうになっていたのに。

 今の状況を見た民衆は、全員、首を絞めたのは夕さんの方だと言うだろう。そんな顔で、なんてことないように夕さんは私に話しかけた。


 紫さんは『これ』を見たのだ、と直ぐに察しが付いた。今も二年前も、これを見て、だからああなったのだと私は思った。


 やっぱり、夕さんは葵さんに似ている。眉の動きだけじゃない。どうしようも無く、似ている。


 夕さんは「よっこらせ」と呟きながらベットから起き上がって、そのまま部屋から出て行こうとする。


「そうだ。今日クッキー作ったんだよ。初ちゃんは抹茶系が好きだって聞いたから……手洗ったら、キッチンにおいで!」


 最後まで、夕さんは紫さんについて言及しなかった。

 最後まで、夕さんは私の方しか見ていなかった。

 そう微笑みながら言った彼女は、軽やかにドアを開けて外に出ていく。階段を降りる音が聞こえて数秒、紫さんがゆっくり口を開いた。


「……見ただろ。あの女は頭がおかしいんだ……ずっと、ずっと……」


 蹲って、絞り出すような声でそう言った彼女に、私は何も言えなかった。ただただ脳裏で、北山先輩から聞いた話がずっとリフレインしていた。



 ▼



 それじゃあ話すけど​─────ことが起こったのは、さっきも言ったように夏だったんだ。紫先輩が高三、夕先輩が高一の時の、夏休み。


 発覚しちゃったんだよね。

 紫先輩と、夕先輩の血が繋がってるってことが。


 初ちゃんは、血が繋がってないんだっけ?

 ああ、そうなんだ。うん、あの二人はちゃんと血が繋がってるよ。


 だからさ​────不倫、だったんだよ。

 先輩達のお父さんはとんでもないクズだったってわけ。夕先輩のお母さんとセックスした数年後に、紫先輩のお母さんとセックスしたんだよ。それを隠して、今の両親から産まれたってことにした、紫先輩のお母さんも中々酷いけどさ。


 なんで気が付いたかまでは知らないよ。

 ただ、紫先輩にとって、不倫云々よりもずっと、夕先輩と血が繋がっていることの方がずっとずっと、耐えられなかったんだろうね。


 それで紫先輩は、裏切られたと思ったのかな。色んなものに。

 これは推測だけどさ……夕先輩に勝てない自分の才能とか、紫先輩の親とか、そういうものに、裏切られた気持ちがしたんじゃないかな。


 だから……じゃ、とても正当化は出来ないんだけど。

 紫先輩は、夕先輩のことを虐めたんだって。言葉だけだったそれが、行動になって、酷くなっていって……でもほら、最初に言ったけどウチは隠蔽体質だったから、見て見ぬふりだった。他の部員も、そうだったみたい。


 そんな虐めが始まって……一ヶ月ぐらいした頃だったかな。最後のコンクールの日に、紫先輩は夕先輩のトランペットを壊したんだよ。手が滑ったとか言ってたらしいよ。まあ、十中八九嘘だろうけど。

 夕先輩は当然コンクールに参加できなくて、そのまま、学校にも来なくなって……。



 ▽



 北山先輩は最後まで言わなかったけれど、それが夕先輩が引きこもりになった原因だと思っていたのだろうし、私だってそう思っていた。誰だって、そう思うだろう。


「……違うんですね」


 私の言葉に、紫さんは何も言わない。

 それは同意と同じだと、私は思った。


「夕さんが、部活を辞めて、引きこもりになったのは……紫さんのせいじゃ、無かったんですね」


 その言葉に、紫さんは、床に爪を強く立てた。

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