第8話 私と春の嵐


 四月になって、私は高校生になった。

 そして始まる新しい出会い!

 ……と言いたいところなんだけど、私の通う高校は普通に公立のところだから、中学の時からの顔見知りの生徒が七割程度。

 私自身、あまり交流に積極的ではないことを考えても、結局いつもと同じお友達とつるんでしまうのだった。


「それで、初さんは新しい家族と上手くやってるんですか? 確か春休みのうちから同棲が始まるって聞いてましたけど」


 お昼休み、パンを食べながらそう聞いてきたのは、その『いつもと同じお友達』である神さんだった。

 読みとしては神様の方ではなくて、神宮の方の神なんだけど、周囲からはふざけて神様と呼ばれることが多いらしい。ぞっとするんだかしないんだか、よく分からない話ではある。


 閑話休題。


「上手く……の定義にもよる」


 私は夕さんに作ってもらった(より正確に言うと作り置きしてもらった)お弁当をお箸でパクパク食べながら、そうやって流してみる。


「それなら、普段からちゃんとお話出来てるか、ということにしましょう。基準は初さんのお母さんで」

「詰めてくるなあ」

「初さんが言ったんでしょう」


 神さんはその丁寧な口調に反して、パンをそのまま直接ムシャムシャと食べていた。ちぎって食べるということをしないあたり、なかなかワイルドだなと思う。


「……なんか、いる人といない人がいるんだよね。一人は入院してて……二人は家を開けてて……それで一人は引きこもりで……」

「じゃあ、あと一人残ってるじゃないですか。その人とは?」


 指を折りながら数えた神さんは、正確にそう言った。その計算は正しい。


「あんまり、上手くはいってないかな。でもまだどうにかなる……と思う。少なくとも私の心情的には、だけど」

「……あらあら」


 私の言葉に何故か神さんは笑う。それを見た私が不思議そうな顔をしていたのか、神さんは「なんですか、その顔は」と言った。


「いや……なんか、意味ありげに笑うから」

「いえ別に、何かを知ってるとかじゃないですよ。ただ、初さんが頑張る姿を初めて見たものだから」

「な、ナチュラルに失礼……」


 私の不満にも神さんはゆっくりと微笑んでみせるだけで、それこそまさに神様のようなかんばせだった。



 ▽


 

 授業を二時間受けると放課後になったので、私はここ連日に引き続き、部活動の見学に顔を出すことにする。

 神さんはそういうものに中学校の頃から興味が無いらしいから、私一人で見学には行くことになった。

 変な連帯意識がないところは助かるけど、心細いといえば心細い。まあ他につるむ子もいないので、仕方がないけれど。


 一昨日は美術部、昨日は文芸部に顔を出したので、今日は吹奏楽部に顔を出すことにした。運動部という選択肢ははなから存在しない。


 教室とはまた別の棟にある音楽室の重たい扉を開けば、沢山の音が流れ込んできた。そこそこに盛況なのが伺える。

 新入生が見学に来るのは向こうも想定済みだったらしく、先輩らしき生徒が「見学ですか?」と朗らかに声をかけてきた。


「あ、はい……」

「どうぞどうぞ。ここに名前書いてもらっても?」

「分かりました」


 私は荷物を隅っこに降ろして、言われるがまま用意された鉛筆を持つ。クラスと学年と名前を紙に書いていくと、受付の彼女が「あれ」と声を上げた。


「えっと……何か問題でも……」

「あ……いや、違うんだ。ごめんごめん。ただ、うちにも同じ苗字の先輩がいるから驚いちゃって。ほら、この苗字ってそんなに被るものでもないじゃん? もしかして君、ゆかり先輩の妹?」

「え、いや……」


 確かに、この先輩の言うことは正しい。この私の新しい苗字は佐藤とか鈴木とか、そんなレベルで被ることはまず無いだろう。けれど、その紫という人が私の姉であるかどうかを、私は知らないのだ。


 けれどそんな私の逡巡を同意と捉えてしまったのか、先輩は「今丁度紫先輩いるから、声掛けて来てあげるよ」と言って、私の返答を聞く前にその場から去ってしまう。

 先輩は、教室の隅で金管楽器を持ったセミロングの女生徒の肩を叩き、その訝しげに私を見る顔と目が合ってしまう。

 ​────間違いない、向こうも私を知らないのだ。


 まさかここまで来て逃げるのも変な話で、ニコニコとした先輩と訝しげな顔をした紫先輩とやらがこっちに来るのを、私はどぎまぎと待つことしか出来ない。


「紫先輩、妹がいたなら言ってくださいよ」

「……誰コイツ。あたし、こんな女知らないんだけど」


 こんな女、と私を呼ぶその声は嫌悪感に満ちている。

 ここまでも第三者に敵意剥き出しにされたことは久しぶりで、心臓が痛くなるのが分かった。


「えー、でもほら、苗字同じでしょ?」

「知らないったら知らない。成りすましてんじゃないの」

「嫌われ者の紫先輩の妹になんか成りすまして、何の意味があるんですか?」


 紫先輩と呼ばれた彼女は、もう一人の先輩の肩をバシ、と叩く。叩かれた方は平然としていてそれはすごいけど、そうじゃなくて。


「あの、再婚したんです。だからええと、それで、私が新しく妹に……」

「​……ああ、なんだ。あはは。いつものか。アンタがあのクソ親父のラスト瘤ってわけね」


 そうして笑った紫先輩は、とても歪な顔をしていた。眉を上げて、口の端を釣り上げて、新しい玩具を見つけたような、そんな顔。


「​じゃあさ───これからよろしく、妹チャン」


 そう言った彼女は私の右手を掴み、手の甲に爪を立てるようにして、握手をするのだった。

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