幕間 妹未満の私と魔法の杖

 昔のことだ。

 私が、まだ引きこもっていなかった頃の話。



 ▽



 私の生まれは世間一般から見れば少し複雑だろう。この家の中だけで見ると……割とそうでもないのが、結構すごいけどね。


 私のお母さんは、お父さんとは別の人と結婚して子供を産んだ。つまり、今で言うところのダブル不倫というやつだ。

 セックスしただけで済めばまだ良かったけれど、避妊をミスって私という存在を生み出してしまったあたり、業が深いというかなんというか。


 結局、私のお母さんも数年後に同じ報いを受けるのだから、人生というものはよく出来ている。


 話を戻すと、流石にそんなことを子供の私に言う訳にはいかなかったのだろう。

母親は私に、新しくお父さんが出来て、それからなんとお姉ちゃんも増えるんだよ! 

ということだけを言ったらしい。

 まあ、確かに嘘は言ってないよね。


 そしてそう聞かされた幼い私は、不安半分、期待半分の気持ちでいた。

 お母さんと離れて暮らすのは少し寂しかったけど、お姉ちゃん達との共同生活というものに憧れなかったといえば、嘘になる。


 共同生活が始まる初日に、迎えに来たのが彼女だった。

 彼女は今と変わらない退屈そうな顔で、真っ黒な服を着ていた。それこそ本当に、喪服のような。

 そうして当時まだ運転免許証を持っていなかった彼女は、私がはぐれないように手を握ってバスに乗った。


「……あのう」

「なんだ?」


 彼女の圧のある言い方というか、態度はこの頃から健在だった。

 今でこそ慣れたから何とも思わないけど、小さかった頃はそれ相応に恐ろしかったことを記憶している。


「どこに……いくんですか?」

「おもちゃ屋だ」


 おもちゃ屋なんて、当時の私からすれば遊園地レベルで楽しい場所のはずなのに、彼女のことが怖くて、私はブルブル震えながらバスに揺られた。

 そして到着する頃には、緊張で吐きそうになったことを、私は今でも覚えている。



 おもちゃ屋で、私は彼女に好きなものを一つ買っていいと言われた。

 聞けば彼女は妹達に毎回、そうしてあげているのだという。

 私は少し迷って、当時放送していたアニメのグッズを指さした。それは魔法の杖だった。

 ​─────当然、その杖は本物じゃなかったから、魔法の力ではなく単三電池で動くものだったけれど。


 彼女は単三電池も含めて、それを買ってくれた。

 特に思い入れもなく、変な焦りに負けて適当に指を指したものだったけれど、それでもそれなりに遊んだ記憶がある。

 少なくとも、今のファッションに影響を与えていることは確実だ。ピンクで、可愛くて、夢みたいで。

 そういうものが好きになったきっかけは、この杖だったのだろう。



 それから、まあ色々あって引きこもりになった。本当に色々あったけど、全部を説明するのはカウンセラー相手に散々したから、それはともかくとして。


 部屋の整頓をしていたら、ベットの隙間から久しぶりに、その魔法少女の杖を見つけた。

 それは埃まみれで、カラープラスチックで表現された宝石もその輝きを失っている。試しにスイッチをカチカチと動かしてみるけれど、当然ながら光らないし音も出ない。DX感もまるでない。


 私は​───私にしては、珍しい事だったけれど。電池を買いに行こうと思い立った。電池を買って、入れたらまた光るんじゃないかと、そう思った。


 別に光ったからと言って、彼女と話が出来るわけでもないし、そんなつもりも無いんだけど。

 ただ、強いて言うのなら、あの頃と変わらないものが欲しかったのかもしれない。

彼女を​────葵という人間を、葵おねえちゃんと呼んでいた頃と、変わらないものが。


 とまあ、私にしては珍しくJPOPの歌詞のようなことを思って、いつもの如くメイクもきっちり、日焼け止めもばっちり塗って、外に出ようとした。


 でも、出来なかった。


 私は引きこもりだけど、中途半端な引きこもりだ。

 病院に行くことが出来るのは、私に必要なことだと分かっているから。

 だってほら、頭のおかしさを薬で取り除かないと、とっても苦しいし。


 逆にスーパーに行けないのは、私に必要じゃないことだと思っているから。

 だってほら、今も生きていたいとは思えないし。


 とまあそんな感じで、私の行動は皆が思っているよりもずっと、私の主観に支配されている。

 主観。それは世界そのもので、そういう意味では私は世界から嫌われている。


 その日、一歩目を踏み出した私の体は呆気なく横に倒れた。

 ばたりと、ドミノが倒れるみたいに倒れて、起き上がれなくなった。

 ぐるぐると目眩がして、頭がチカチカとして、聞きなれた電波ソングのサビがずっと耳元で囁いてくる。肺が潰れたみたいに痛くて、息も上手くできない。


 

 ​────私はそこで、私の世界から葵お姉ちゃんが消えたことを、ようやく悟ったのだった。

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