第6話 私と姉妹喧嘩
「─────初は私のことが嫌いなのか?」
「ええ、いやそんなことは無いですけど……」
むっとした顔の葵さんがそんなことを言う。
私は今、久しぶりのお休みになった葵さんと一緒にデパートに来ていた。
葵さんは私になにか買ってやろう、と言ってそこそこお高いブランドに連れて行ってくれたのだけど、流石にそこまでしてもらう義理はないから断ったらこの有様だ。
「じゃあどうして駄目なんだ。最近の女子高生はこういったブランド物の財布やら鞄やらを持つと話題になっていたはずだが」
「いやそれ話題って言うか……炎上って言うか……」
確かにここ最近そういう話は目にしたけども。それで私がブランド物を持ったら渦中の人になってしまう訳で。
それに、私は粗忽者だからそんな高価なものを貰っても、落としてしまうかもしれない。そうなったら目も当てられないだろうし。
「葵さん、本当にいらないです。それに使うお金があったら……皆で食べられるお肉とか野菜とかに使いましょうよ。夕さんもきっと喜びます」
「……何でそこであれの名前が出てくる」
葵さんはさらにムッとした。眉もきゅっとして、更に機嫌が悪くなる。とは言え表情の変化はやはり乏しいんだけれど。
「夕さんと最近お話する機会があったんですよ。だから……」
「そんなことはどうでもいい。初は私が嫌いなのか? 私よりも夕がいいからそんなことを言うのか?」
「───────」
私は自分の頭がすうっと、冷めていく感覚を覚える。
正確に言うと、『思い出した』と言うべきか。少なくとも、良い気分はしなくて、頭の酸素が薄くなっていくのを感じる。
「その……その言い方は卑怯じゃないですか」
「卑怯? 何が卑怯なんだ。私はただ……」
「愛とか好きとかそういう……そういう、ことを人質に取るのは、卑怯です。脅しです。暴力を振るってないだけで、やってる事は恐喝と同じです」
ちょっと強い言葉かと思ったけど、多分葵さんにはこのぐらい言わないと伝わらない。 目の前の彼女は怒っているよりも、不可解なものを見るような顔をしていた。
「好きか嫌いかなら、嫌いです。そうやって好きだからなんかしてくれるとか、嫌いだからしてくれないとか、そうやって私のことを人質に取る葵さんなんて、嫌い」
私は踵を返して、一人でスタスタと歩いていく。葵さんは追って来ないようだったけど、別に構わない。
数千円ぐらいなら持ってきているし、最悪歩いて帰れないことも無いんだから。
私はじくじくと痛む頭を抱えながら、そうやって二人で入ったデパートを一人で出て行った。
▽
「へえ! それで一人で帰ってきちゃったんだ。しかもその後ずっと話さずに?」
私が頷くと、可愛らしい寝巻き姿の夕さんはころころと笑った。
深夜のキッチンで、私は夕さんと時たまこうして会話するようになった。夕さんと食べる間食は楽しくて好きだ。
今日は簡単に、キャベツと塩とごま油を混ぜたものをポリポリ食べている。
なんだか兎になった気分。
「初ちゃんはあれだねー、ちゃんとあの人と向き合おうって気があるんだね」
「向き合おう……というか。言える時に言っておかないと……タイミング逃すと、ろくなことにならない、みたいな……」
「あー、体験談?」
中々に鋭い。曖昧に微笑んだ私を見て、夕さんはピンク頭を揺らしてまた笑う。
「まあ別に、聞きたいわけじゃないから! 気にしないで!」
「……夕さんこそ、葵さんと喧嘩したことないんですか?」
「うん、無いよ」
それは実に、さっぱりとした端的な返答だった。残酷とも言えるかもしれない。
「例え今後、あの人に何か腹立つことがあったとしても、私は怒らないし、怒ったとしてもそれを初ちゃんみたいにわざわざ言わないかな」
「それは、どうして……」
「────期待してないから」
パリ、と彼女がキャベツを口にする音が、今は何か別の音のように聞こえた。
例えば、卵の殻が割れるような。何かを踏んで壊したような。そんな音に。
「だってどうせ、分からないんだもん。ただでさえ、人間が言う『分かる』なんて言葉は嘘なのに。他人に見向きもしないあの人だったら、尚更」
「……………………」
「あんまり期待しない方がいいよ。期待すればするだけ、嫌な思いをする」
─────あ、キャベツ、無くなっちゃった。
さきほどとはうって変わって明るい声で、夕さんはそう言う。
そしてそれが逆に、私の心臓を冷やしていくような心地がした。
私が思っているよりもずっと、この姉妹の断絶は深いのだと、見せつけられた気分になった。
「初ちゃん、おかわりいる?」
「あ、私……そろそろ寝ます」
「そっかそっか。それじゃあ、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい……」
そんな挨拶をして、私は二階から梯子を昇って屋根裏に上がる。
真っ暗な部屋で、羊のハジメがじっと私を見ていた。
私は耳を塞いでその場に蹲る。
嵐が過ぎるのを待つみたいに、お布団にも入らずに、ずっとずっと耳を塞ぐ。
そうしたらいつの間にか、いつも朝になっているのだ。
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