第5話 私と冷蔵庫協定


 本当は、葵さんに「夕さんってピンク髪のツインテールの人ですか?」と確認してしまいたかった。

 したかったけど、それは出来ない。

 そんなことを聞けば葵さんは「どこで会ったんだ?」と聞いてくるだろうから。

 ​────そして私は、その質問に答えられないから。


「あのう、夕さんって、どんな人なんですか?」


 だから私は、その日の夜ご飯の時間にそんな曖昧な質問をしてみる。

 葵さんは私の作ったツナパスタ(サワークリーム入り)を器用にお箸で食べながら、目を瞬かせた。


「初、もう少し具体的に言ってくれ。どんな、と言われても困る」

「ええと……そうですね。性格、とか」

「分からない。私は他人の性格というものを説明できる力を持っていないから」

「じゃあ、外見……」

「分からない。私はもう数ヶ月彼女の姿を見ていない」

「…………好きな物とか」

「少なくとも、料理は嫌いではないだろうな。嫌いなものを進んでやる人間はいないだろうし」


 言葉を失った私に気が付かず、葵さんはパクパクとパスタを食べている。お気に召したようで何よりだけど、あんまりにも無関心なのでそれが少し怖い。


「葵さんは、夕さんと仲が悪いんですか?」

「いいや?」

「あ、それなら……」

「それ以下だな。良いも悪いもない」

「…………」


 なるほどと思って、それからは私も口をつぐんで、黙々とパスタを食べることに集中した。



 ▽



 夜に目が覚めることはよくあるんだけど、この日は特に酷かった。

 夏でもないのに汗がびっちょりと体に浮かんでいて、喉が渇いた私は重たい頭を持ち上げて下に降りていく。


 リビングに入ってようやく、私は何故か電気が付いていることに気がつく。

 そして漂う、コンソメの匂い。

 まさかと思って小走りでキッチンの方に向かうと、そこにはやっぱり嘘みたいなピンク髪が居た。

 お風呂上がりなのか、ピンク髪はまとまってべちょべちょになっている。


「あ、あの!」


 動揺のあまりどもりながらそう声をかけた私に、彼女は「えっ」と驚いたような声を上げて振り返る。

 そこに居たのは、やっぱり、あの病院の待ち合い室でかちあった人だ。


「あー! 君あれじゃん! 今日待合室にいた子!」

「あ、は、はい……」

「わー! もしかしたらって思ってたんだけどそんな偶然ある? って思ってたんだよねー! そのもしかしたらだったんだ!」


 彼女はこんな深夜だと言うのにやたらとハイテンションだった。それに、わー、だのあー、だの感嘆の言葉がやけに多い。

 やっぱりどうにも、引きこもりのイメージから程遠い人だ。


「ええと、じゃあ自己紹介をしようかな。私は夕。どこまで聞いてるか分からないけど、一応君から見て、上から四番目のお姉ちゃんです。よろしくね?」


 そうやって差し出された手を、私は少し迷って、結局取る。火を扱っていたからか、その手はうっすらと暖かい。

 彼女はにっこりと微笑んで、「それで君は……確か初ちゃんだったよね?」と続けた。

 ちゃんと名前も知っていたらしい。待合室で呼ばれたからかもしれないけれど。


「はい。よろしくお願いします」

「君も大変だね。再婚したばっかりなのにこんなことになっちゃって……」


 そう言って彼女は眉を下げる。葵さんという人間を普段見ているから余計に、彼女は感情豊かに見えた。


「いえそんな。私よりも夕さんの方が……」

「ううん? 私は別に」


 微笑みながら言われたその言葉は、先程までとは違って淡白で、まるで自分の父親が死んだ娘の反応とは思えない。

 葵さんもそうだったけれど、彼女達は彼のことが嫌いなんだろうか。


「……ええと、夕さんはこんな時間で何を?」


気まずくなった私は無理やり話を逸らす。それに、さっきから彼女の後ろで火にかけられたままの鍋が気になっていたというのもある。


「あー、これね。私いっつもこの時間にご飯作って食べてるの。今は野菜スープ作ってるとこだよ」

「野菜スープ……」

「折角だし初ちゃんも食べる?」


 流石にこの流れで食べないです、と言えるほどの度胸もない私はこくりと頷く。

 元よりお腹が張っているわけでもないし、野菜は結構好きだ。これを言うと結構驚かれるんだけど。


 数分すれば、夕さんはお皿を二つ持ってリビングに現れた。

 てっきり葉物やベーコンだけかと思っていたけど、しっかりジャガイモなんかの根菜も入っている。


「そうだ初ちゃん。この家では私ぐらいしか料理しないはずなんだけど、なんか最近いつのまにか材料減ってて。なんか知らない?」

「あ……すみません、それ私がご飯作ってたからです。夕さんの材料だとは知らずに……」


 慌てて謝る私に、夕さんは少し驚いたような顔をしたけど、直ぐににっこりと笑って「なあんだ、そうだったの!」と言う。

 少なくとも怒ってはいないようだった。


「じゃあ今度から、私が使いたい材料には付箋貼っておくから。ね、これならいいでしょ?」

「じゃあそれでお願いします……」

「うんうん。それじゃあそういうことで!」


 ここで自分でスーパーに行くと言い出さないあたり、この人はやっぱり引きこもりなのだと変な納得があった。


「…………そう言えばあの食材たち、いつ買ってるんですか?」

「普通に通販とか、あとはスーパーから送ってもらったりかな」

「なるほど……」


 どうりでダンボールやクール便の箱が多くあるわけだ。何かお取り寄せでもしているのかと思ったけれど、注文しているのは普通の食材だったらしい。


「最近は引きこもりにも優しい時代になったよねえ」

「そ、そうですね……」


 ​────夕さんは、引きこもりの自覚がある引きこもり。

 それが今日分かったことで、一番の収穫だったかもしれない。

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