第4話 私と待合室
この家に引っ越してきて数日経ったけれど、分かった事がいくつかある。
まず一つ目。
学校が始まるのは四月からだから、三月の間はすることがない。真面目な子なら勉強でもするんだろうけど、私はそういう柄でも無いし。
つまり今の私はとっても暇だということ。
二つ目。
ついつい忘れていたけれど、私のことで手を回してくれた葵さんは社会人だ。今までは有給を使ってくれていたらしいけど、流石にずっととはいかない。
だから今の私は、家で一人ぼっちで、とっても暇だということ。
三つ目。
ずっと家にいたら一度ぐらい夕さんと会うかと思ったけれど、これがびっくりするほど会わない。
夕さんの部屋は二階にあって、なんならトイレも二階にあるからすれ違うタイミングがない。
私の方から会いに行くのも向こうの負担になるかもしれないと思って、扉を叩くこともしないから、私は彼女と会話したことすらない。
だから私は、本当に、本っ当に、暇だということ!
▽
朝、いつものように仕事に出かける葵さんを玄関で見送る時に、私はこう口を開いた。
「葵さん。今日私、病院行ってきますね」
「……私はそんなこと聞いていないが」
だって今言ったし……。
とはいえ、それをそのまま言ったとて、葵さんのきゅっとした眉は元には戻らないだろう。
「風邪か? 頭が痛いのか? それとも腹でも壊したのか? 今からでも会社を休んで────」
「そうじゃないですよ。普通に、前々からの通院です。いつもお薬貰いに行ってるだけですから」
「……だとしてもそういうことは早く言ってくれ。お前は私の妹なんだ」
「……すみません」
葵さんは溜息を一つ。
「別に怒ってはいない。むしろ言ってくれて助かった。それにそういうことなら、帰りが夜遅くになるということはないな?」
「あ、はい。普通にお昼ぐらいには帰って来られると思います」
「ならいい。気をつけて行ってこい」
なんだか葵さんの発言には敬礼したくなる雰囲気がある。
思わず「イエッサー」と言うと、葵さんは「うん」と頷いて玄関から出ていった。
……ボケとか、拾ってくれないタイプの人間らしい。
▽
一時間ぐらいしたら私の支度も整ったので、鍵をしっかり閉めて外に出る。
今行っている病院は、もう数年通っているところで結構気心も知れている場所だ。
─────でも未成年者が一人で通院するのは、本当は良くないんだろうなあ。
そんなことを考えながらてくてく歩いてバスに乗って、またてくてく歩く。
その病院は普通の住宅地の中にあって、営業日(この言い方、あってる?)の看板がないと病院だと分からないほど、溶け込んでいる。
ただでさえ狭い自転車置き場にはもういくつもの自転車があって、なんなら道路にちょっとはみ出していた。
中に入ると患者さんがそこそこいて、こりゃ結構待つな、と覚悟を決める。
保険証と診察証を渡して、待合室で待つこと数分。
ふと顔を上げると、そこには────こんな普通の住宅街では浮いてしまうような、ピンク髪、しかもツインテールの女の子がいた。
「これ、お願いします」
所謂地雷系のファッションだろうか、黒いフリルのワンピースを着た彼女は、礼儀正しく受付の人に診察券を渡して、そのまま私の隣の席に座る。
正直、彼女の目を引く容姿はとても気になったけど、ジロジロ見るのも失礼だから、私はじっといつものように待合室の床を見ることにした。
「───────さん」
受付の人が、再婚したことで変わった私の苗字を呼ぶ。
きっと保険証を返してくれるのだろう。
そう思った私はとりあえずいつものように返事をしようとして、
「「はい」」
何故か、返事が被った。しかも隣から。
隣の彼女は目をぱちぱちと瞬かせていて、その瞳にはカラコンがきっちり入っていることが分かる。
「ああ、すみません。同じ苗字なんですね」
受付のお姉さんがそう言って、私達は二人同時にそっちを向く。
いきなり二人の女の子に視線を向けられたお姉さんは、苦笑しながらこう言った。
「夕さんの方です。初さんの方ではなくて」
────夕方の夕と書いて、『ゆう』。
それは葵さんの妹であり、私の姉となる人の名前だ。
私はびっくりしてしまって、でも何も言えず、席を立った彼女のピンク髪のツインテールがブラブラと動くのを眺めた。
そもそも、夕さんは私の名前を知っているのだろうか?
私のイメージする引きこもりとは今の時点でかなり雰囲気が違うけれど、彼女が私の名前を知らない可能性は、じゅうぶんにある。
私だって夕さんと葵さん以外の名前を知らないわけだし。
そんなことを考えると、夕さんはまた隣の席に座ったので、私は床を眺めることに徹した。
普通、私だったらなんだか気まずくて隣に座ることなんて出来ないけど、彼女はそうでもないらしい。他に残席が少ないというのもあるんだろうけど。
私は夕さんに自分が妹であることを看破されてしまう、と変に怯えていたけれど、彼女は一言も口を開かなかった。
そうしているあいだに私が先に診察室に呼ばれて、戻ってきた時にはもう、そこに彼女の姿は無いのだった。
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