第3話 私と赤い屋根のおうち


 三月に入ると、葵さんが私を迎えに来た。


 私はこれから、葵さん達と同じ家で住むことになる。

 理由としては学校が近いから、らしいけど、体良く言えば追い払われる予定だったのだろう。


『あの人はいつもそうだった。新しい女を連れてくる度に、娘をこの箱に放り込む』


 そうチャットアプリで葵さんに教えられた時には、どう反応したらいいか困ってスタンプだけを投げておいた。


『初は可愛げのあるスタンプをよく使うな』


 ……これにもまた、スタンプを投げておいた。



 ▽



 元々私の荷物は少なくて、旅行用トランクに収まる程度のものだった。服や下着は先に送ってもらっているから、尚更。


 お母さんは私の予想に反して、私を玄関まで見送ってくれる。


「それじゃあ、気をつけてね」

「うん」

「……何かあったら、言いなさいよ」

「うん」


 言いなさいよって、どうやって、何を言えばいいのか、私にはよく分からない。


 お母さんにそっと手を振って、私は葵さんの車に乗り込む。あの時とは違って葬式帰りでもないのに、葵さんの服は黒い。黒が好きなのかもしれない。


「もういいのか」

「はい。別に、二度と会えなくなるわけじゃないですから」


 葵さんは返事をしなかった。自分の父親のことが頭をよぎったのかもしれない。


「そんなことより、今日も車で悪い。なにぶん荷物が多いから」

「気にしないでください。平気です」


 そうやって手の甲を抓りながら外の景色を眺めて、車に揺られること数十分。

 その家は、赤い屋根のお家だった。

 私はてっきりアパートのような宿舎のようなそれを想像していたけど、思ったよりもそれは『家』という感じがして、ドキリとする。


 葵さんは私の分の荷物を軽々と持ってくれて、私は「すみません」と言いながらひょこひょこと彼女の後について行く。


 鍵を開けると、暗い廊下が真っ先に見えた。人気が無い。


「先に言っておくが​────」


 葵さんが私の頭の中を読んだように、そう口走る。


「一人は腹を刺されて入院。一人は引きこもりで殆ど部屋から出てこない。そして二人はフラフラと歩き回って、ほぼほぼ帰って来たことがない」

「……ええと、命に別状は」

「全員ない。初は優しいな」


 葵さんの褒め言葉は妙にいつも嬉しくない。多分葵さんがイケメン(男)でも、嬉しくなかっただろう。


 気を取り直して、私は残り四人の新たな姉について考える。

 どんな人達かは、未だに全く分からない。葵さんがちっとも教えてくれないから、名前さえ知らないのだ。

 けれど葬式にすら来ていなかったことを考えるに────少なくとも入院している人以外は、あんまり父親のことをよく思っていないのかもしれない。


 真っ暗な階段をそのまま進んで、階段を登る。梯子を昇り降りしないといけないのが不便だったが、私の部屋は屋根裏部屋と言うにはしっかりとした作りをしていた。それに思ったよりも綺麗だ。


「初が来るから、私が綺麗にしておいた」


 胸に手を当てて、葵さんは高らかにそう宣言する。

 顔の作りが整っているので、まるで重要な政策を発表するかのような風格があるけれど、言っていることは『妹の部屋を掃除しました』だ。


「​─────初は可愛げがあるからな」


 私が何も言わないのが不満だったのか、葵さんはそんなことを言う。

 こんなよく分からない脅し、初めて聞いた。


「…………ありがとうございます」

「うん」


 そう返事をして満足そうに微笑む葵さんは、実にあどけない表情をしていた。



 ▽



 荷物を二人でいそいそと部屋に運んでいたら、丁度お昼の時間になった。流石にここまで手伝ってもらってお昼ご飯を作ってください、とまでは言えない。

 私は元々自炊が得意だったので、お昼ご飯を作ることにした。


「あの、ええと……引きこもりの人の名前は……」

「夕方の夕と書いて、ゆう」

「……夕さん、の分も作った方がいいですかね」

「作らなくていい。どうせ食べない」


 突き放したような言い方だったけれど、部外者の私が勝手に可哀想だ、と言うのもおかしいから、素直に二人分のご飯を作ることにした。


「……他人の手料理を食べるのは久しぶりだな」

「あれ、でも前ファミレスでパスタ食べてたじゃないですか」


 私がそう言うと、葵さんは眉をきゅっと寄せた。不満があるなら口で言って欲しい。



 結局、私はレタスとお米とひき肉で、レタスチャーハンを作った。

 うちの家の味付けだけど、葵さんは美味しい美味しいと食べてくれた。まあ、美味しいと言っている間は真顔だったけど。


「食材、冷蔵庫に結構あって驚きました。自炊するんですか?」

「夕がな。あれは引きこもりの癖に料理をする」

「はあ……」


 引きこもり、とぱっと聞いて思い浮かぶのはジャージ姿で前髪の長い人だけど、これも偏見なのかもしれない。

 家の中では元気な引きこもりがいても、別にいいだろうし。


 ご飯を食べ終わった私達は、また部屋の片付けをした。

 気がつくと日がとっぷりと暮れてしまっていて、流石にもう一回料理をするのはしんどいから、近くのコンビニに行ってお弁当を買って食べる。


 葵さんは一緒にお風呂に入ろうと言ったり、挙句の果てに一緒に寝ようと言い出したので、少し困った。


「葵さんは、寂しがり屋なんですか?」


 そう私が冗談めかして言うと、葵さんは目を瞬かせて、「そうなのかもしれない」と言った。

本気で今気が付きました、という態度だったから驚いてしまった。





 その日の夜、私は誰かの声で目を覚ます。

 葵さんの声ではない。

 聞き覚えがない声だけど、逆にそれで、私は声の主か誰なのかが、分かってしまった。


「どうしてそんなに平気なの?」


 羊のぬいぐるみがそう呟く。

 私は耳を塞いで、毛布を頭から被って目を瞑った。


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