出版記念SS Sideエンシェントウルフ

『行ってしまいましたね……』


 あるじと少年が遠ざかるのを眺めながら、主と出会ったときのことを思い出します。


 ◆


 その日私は、魔物との戦いに敗れ、命からがら逃げ出し、森の奥地に逃げ込みました。


『ここはいったい……』


 普段は強い魔物が跳梁跋扈ちょうりょうばっこする森の奥に、このような神聖な空気の場所が存在していたとは……。


 もう間もなく死ぬだろう私の体さえも、優しく癒そうとしてくれているようです。


 私は何かに導かれるように、傷ついた体で更に奥に進む。


『ほう、ここに客が来るのは初めてだな』


 古くからそびえ立つ巨木の前に、白い狼は静かに横たわっていました。森を支配するに相応しい威厳と力強さを備えた圧倒的な大きさ、青い瞳はすべてを見通すかのように澄み渡り、輝きに満ちていました。


『どうやら、傷ついた小さき者はワレの言葉を理解しているようだな』


 その大きな狼は、少し嬉しそうに私に話しかけます。


『あなたはいったい……』


『ほう、獣の身でありながら、我の言葉を理解するだけでなく会話できるのか! 実に興味深い。我が名はフェンリル、この世界とは別の世界で神だった存在だ!』


『別の世界の神……』


 別の世界とは?……神という存在も何か分かりませんが、考えの及ばない存在ということだけは分かります。


『ここはフェンリル様の縄張りでしょうか?』


『我のか? 特にそういうわけではないのだが、我はここから動けぬのだ』


 そう言ってフェンリル様が立ち上がると、大地から伸びた四本の紐が、フェンリル様の足を拘束しているのが見えました。


『フェンリル様なら、簡単に千切れそうですが?』


『この紐、見た目は貧相だが、他の神々が作らせた特注製で、神の中で最強の力を誇る、我でも切れぬように作られているのだ』


 どうやら、神という存在は複数いるようですね。ここに繋がれているということは、何も食べていないのでしょう。

 

『いつから食べていないのか分かりませんが、見ての通り、私はもうすぐ死にます。このまま何処かで死ぬぐらいなら、フェンリル様の役に立ちたいです。どうか私を食べてください』


 私がそう言うと、フェンリル様は首を傾げ、笑い出した。


『そうか、小さき者は神の存在を知らぬのだな! 神は食べ物を取らなくても死ぬことのない存在だ。中には死という概念のない神々もいるが、小さき者に話しても分かるまい』


『死なない存在……』


『それより、我のために命を投げ出す覚悟があるとは、なかなかおもしろい奴だ! 我の眷属になれば、小さき者の命を救えるがどうする?』


『フェンリル様の眷属に? ……お願いします。身動きの取れない、フェンリル様の手足になりましょう』


『まあ、身動きが取れないのは、慣れているから気にする必要はない。小さき者に望むことは、我が目となり、耳となって、この世界の事を教えてくれ! とにかく暇でしょうがないのだ』


『フェンリル様が望むなら、何にでもなりましょう』


『よし、近くに来るがよい』


 フェンリル様の近くに行くと、その大きさに改めて驚きます。


『我、汝を眷属とするにあたって、汝に名前を与える……名前を……うーん、シロはダメなような気がするし、どうする……よし。汝にリルの名を与える』


 フェンリル様より名を与えられた私は光輝き、傷は塞がり体も大きくなりました。


『うん? そうか、我が名の一部を与えたことにより、力を与えすぎたか』


 そう言った主をみると、体が半分ぐらいの大きさに、縮んでしまったようです。今の私と同じくらいでしょうか。


『主の体は大丈夫なのでしょうか?』


『問題ないな。まあ、我が眷属として活動するのに、ちょうどいいだろう。与えた真名は、今後主人と認める者以外に教えるでないぞ?』


『畏まりました』


『ふむ、知能も増えたようだな。種族自体ランクアップしたというところか。リルは最初に言った通り、我が耳目となりこの世界を調べるのだ。特に人々……そもそも、この世界に人間がいるのかも分からんからな。我、わくわく、すっぞ!』


 ◆


 こうして、私は主の耳目となり、世界のことを調べ、主へ報告するようになります。いつしか森は魔の森、私は人々からエンシェントウルフと呼ばれるようになり、一時は神と崇められることもありました。


 主は退屈から解放され、私の情報を嬉々として聞いてくれます。私が魔法を覚えた時などは、飛び上がって喜んでくださいましたが、練習しても主は使えるようになりませんでした。


 私は人間と交流する中で、人間がどんな能力を持っているのか、分かることに気がつきます。様々人間の能力を見ていくうちに、主を拘束している紐を解ける能力があるのではないかと思い、探すようになりました。


 しかし、その能力は見つからないまま、かなりの歳月が経ったところで、事態は急変します。


 ◆


 いつものように、報告に訪れると。主の体が子狼のサイズに縮んでいたのです!


『主! どうなさいました! 体が縮んでいます!』


『リルよ、どうやらこの世界に、他の神々が降りてきた。今後は森から出るのを控えるのだ』


『主と同じ様な存在ですか?』


『そうだ。繋がれた我の存在を悟られるのはまずい。リルも我の眷属故に万が一のことが考えられる。幸いこの森は濃い魔素で覆われており、神の眼をもってしても中の様子は分からないだろう』


『畏まりました。それでは、主が縮んだのは、その神々が関係するのでしょうか?』


『関係性は分からぬが、このグラウプニルは元々我の力を吸い取っていたのだ。最近その力が強まり、このままではまずいと色々試しているうち、小さな体に変化させることで、力の消費を抑えられることに気が付いたのだ』


 主は凄いだろと自慢げに話しますが、小さな体では以前のような威厳が感じられません。……小さな主もアリですね。


 しかし、困りました。森から出られないと、主の拘束を解く能力を保有する人間を探せなくなりました。


 ◆


 私は森に人間が入らぬよう管理するようになり、久しぶりに赴いた北の森で、ついに赤子を見つけたのです。


 盗賊というのは、人目につかない所に隠れ家を作るそうですが、まさか魔の森に作る者がいるとは思いませんでした。


 当然、隠れ家は破壊し盗賊も片付けます。最後の生きている盗賊を見つけ近づくと、その盗賊から死の臭いがしたので、とどめは刺さず立ち去ろうとしたそのとき、籠を中心に瓦礫がぶつかるのを避けたような不思議な光景が。近づいてみると、籠の中にいたのは産まれて間もない赤子の姿が。


 その赤子は、この状況下でも一切泣きません。それどころか、近づいた私を見て微笑んだような……確か、生後間もない赤子は目が見えないと言っていたので、気のせいでしょう。


 赤子をよく見て驚きました。なんと能力が『糸』だったのです。これなら、主の拘束を解けるかもしれないと思い、主の下へ全速力で帰ったのでした。


 ◆


『リルよ、赤子を連れてきてどうするのだ? 能力を使いこなせるはずがないだろう。返してこい』


『しかし、主! 人間はすぐに大きくなります。育てればよいのではないでしょうか?』


『赤子の食べ物など用意できないし、そもそも食べさせられないだろうが。少し冷静になれ』


『……』


 確かに、すぐに大きくなるとはいえ、主の言う通り、私では育てられませんね。


『それにしても、泣かない赤子だな』


『瓦礫の中でも、一切泣くことはありませんでした』


『まあ、我のためにという気持ちは嬉しいが、他の神がいる以上、あまり干渉しすぎると見つかる恐れもある。注意した方がいいな』


『申し訳ございませんでした。心優しき人間に預けてきます』


『うむ、それが一番だ』


 私はたまたま森にいた、ハーフエルフの少女に赤子を預けたのでした。そういえば、ハーフエルフを見るのは久しぶりでしたね。


 ◆


 そして、私は少年になった赤子と出会い、主の拘束を解いてもらうことに成功したわけですが、元々好奇心の強い主はついに旅へ。


 あの状態の主なら、振るわなければ他の神に気づかれないだろうという話ですが、心配が尽きません。


 主が少年と馬車に乗り、遠ざかるのを見届けて、森の奥に帰りますが、道中で不穏な空気を感じます。

 

 どうやら森で、良くないことが起ころうとしているようですね。私の縄張りではない場所ですが、一度足を運んでみることにしましょう。



 ――――――――

 書籍第四章の終わりぐらい、WEB版だと46.5話ぐらいになります。

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