第20話 チャイナブルー
「うわぁ、私、顔ひきつってる……」
コンサートは撮影を許可していたので、航が美咲を撮ってくれていた。全体を見ると気にならないけれど、美咲をズームにして見ると緊張しているのが丸分かりだった。
「もう、やめて、アップやめて」
美咲は自分のアップを嫌がるけれど、動画のズームは終わるまで変えられない。カメラが引いて全体が映るのを待って、ようやく美咲は画面のほうを見た。航と義両親は開演を少し過ぎてから到着し、『Harmonie』と『えいこん』まで聴いてから出たらしい。
「お義母さんたち何か言ってた?」
「いや? 上手いなぁとは言ってたけど。美咲の後のとこも上手かったで。前おったとこやろ? なんかな……気持ちわかるわ。熱がすごい」
美咲は自分のスケジュールが合わせられなくなってフェードアウトしたけれど、メンバーの熱量についていけなかったのも理由の一つだった。Harmonieも熱はあるけれど、コンクールには出ていないのでえいこんよりは弱い。
「好きなんやなぁ、音楽」
幼稚園に入る前から様々な楽器に触れてきて最終的にピアノを続けることになって、結婚してマンションを決めるときから『ピアノを置きたい』と航に話していた。電子ピアノの初期設定は鍵盤が軽いので、美咲は設定を重くしてピアノに近づけた。
Harmonieの練習は一回休みになったので、美咲は十一月になってから練習に顔を出した。地元の小さなホールでクリスマスにイベントが予定されていて、次はそこで歌う予定らしい。
美咲ももちろん出演するけれど、次回はピアノは無しで歌うことになった。そのことは以前から井庭と話をしていたし、コンサートの帰りに朋之とも確認した。えいこんにいた頃はソプラノだったけれど、やはり高い音が出なくなっていたので今回はアルトになった。今までは井庭の隣で待機していたけれど、椅子を持ってきてメンバーに混じって座った。
「今年は、イベントが終わってから忘年会をしようと思ってます」
練習前の連絡の最後に朋之が言うと、歓声が上がった。世間の事情でしばらく出来ていなかったので、特に大人はお酒が飲めることが嬉しいらしい。
「メンバー増えたし──小山さんの歓迎会も兼ねて」
「えっ? 良いよ、それは」
美咲は慌てて断るけれど、周りは賛成らしい。コンサートを無事に終えたことも感謝されているようで、『歓迎会しましょ!』という女性たちの声が上がる。
「小山さん、お姉さんたちには従っとき」
井庭が笑いながら言うので断れなくなって、忘年会は美咲の歓迎会を兼ねることになった。そして同じアルトだったお姉さんたちに引っ張られながら練習を開始して、休憩中も美咲は逃げることが出来なかった。
ようやく解放されたのは、練習が終わって帰るときだった。美咲は彼女たちが帰るのを見てから朋之に駆け寄った。
「ちょっと、歓迎会って……」
「はは、良いやん。みんなきぃのこと気に入ってるみたいやし」
「小山さん人気者やな。篠山先生が──中学のときモテてたって言ってたで」
「ええっ? それはないです!」
美咲のことが気になってそうな男子はいたけれど。実際に誰かに告白されたことは一度もなかったし、特に親しく過ごした人もいない。
「そんな、全力で……」
否定されたら俺のあの頃──、という朋之の言葉は誰にも届かず、残っていたメンバーのざわめきに消えていく。美咲も裕人が言っていた過去のことを思い出したけれど、今更どうにもならないので言葉にはしないでおく。
美咲には既に航がいるし、朋之ももちろん事情を知っている。
本当は美咲は言ってしまいたい。けれどそれは無理なので、せめて何か伝われと願いながらピアノを弾いていた。それは歌になっても同じで、ハモるメロディに彼を探し、ずっと追っていた。中学のときは声の大きさしか気にしなかったけれど、彼は歌が上手だと今ならはっきりわかる。
「本当にただの同級生だったの?」
クリスマスイベントのあとの忘年会で、美咲に聞いてきたのはお姉さんたちだ。朋之はやはり女性たちに人気のようで、仲良くしている美咲が羨ましいらしい。
「本当ですって。あっちにも聞いてくださいよ」
「ふぅん。まぁ、美咲ちゃんも旦那さんいてるからねぇ。ははは!」
それから彼女たちの話が違う方向に向いたので、美咲は飲みかけのグラスを持って席を移動した。男性陣から声をかけられたので間に入れてもらった。朋之は席を外しているらしい。
「それ、ジュース?」
「え? 違うよ、カクテル。チャイナブルー」
初めは綺麗な色をしていたけれど、時間が経って氷で薄まって少々色が悪い。飲み会の後に電車で長時間かけて帰宅することが多かった美咲は、少しのお酒をちびちび飲む癖がついた。残り1/3になる頃にはあまり味はしない。
「ビールは飲めへんの?」
「うん……ビールと日本酒は苦手で」
こんな話を前にもしたな、と美咲は思った。航と広島に行ったあと、同級生たちとだ。裕人とはときどき会っているけれど、彼の先輩を紹介された華子はどうしているだろうか。
「確か小山さんて、山口君と同級生なんですよねぇ? あの人、ちょっと厳しくないですか?」
「おいおまえ、ちょっと寄れ」
「えっ、あ──はい……」
どこかから戻ってきた朋之が話を遮って美咲の隣に来た。朋之は厳しい、と言っていた彼は気まずそうにしていた。
「俺そんな厳しくないよな? 篠山先生に比べたら」
「うん……あそこのほうが、しんどい」
何年も合唱を続けていると、他の団体の情報が入ってくる。それ以前に美咲と朋之は篠山に学校でお世話になって、美咲はえいこんにも所属していた。篠山がとても厳しいことは、Harmonieの誰よりも知っているつもりだ。
「きぃ、それ薄いやろ? 何か頼んだら?」
美咲が持ってきたチャイナブルーは、もはや青とは言えなくなっていた。
忘年会の時間はまだ残っていたので、美咲は少し迷ってから梅酒のソーダ割りを注文した。飲みやすくてすぐになくなるだろうと思ったのは正解で、ラストオーダーのときにお代わりをすることになった。
美咲は少しふらついていたので、降りる駅が同じ朋之が駅の改札を出るまで付き添った。美咲が航の車を見つけて乗り込むのを少し離れて見届けてから、クリスマス色に輝く街を朋之は一人暮らしのマンションへ帰った。
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