第2話


 彼が収監された独房は、およそ牢獄にあるまじき快適な空間だった。

 空調完備、望めばいつでも出てくる食事、当然のように使い放題な浴室まで。

 洗濯物は日に一回、ほとんど侍従のような看守が回収に来るし、さすがに監視付きではあるものの、よく手入れされた庭園で日光浴だってできてしまう。

 何かしらの事情で蟄居や隠居を命じられた貴人が暮らす離宮と同等の環境が提供されていた。


「第一関門ごときに躓いてちゃあ、いくらなんでもカッコがつかねえしな……っと」


 牢獄らしさと言えば、その厳重さ、堅牢さぐらいのものだろう。

 一つしかない通用口、三重構造の防衛網、過剰戦力と言う他ない三人の看守長。

 何を何から守るための鉄壁なのかは……言わぬが花というものだろうが。


 見張りの隙を突いてジョンは梁の上に身を潜め、策を練る。


 なにしろ、守衛の注意はその大半が囚人以外に向けられていたのだ。

 庭園への道中、見張り役と二人きりになる瞬間は無数にあった。

 あとはもう、バッと回ってキュッとするだけ。

 彼からすれば簡単な仕事だった。


「しっかし脱獄っつってもどうしたもんか、情報がまるで足りやしねえ」


 看守長の一人である彼女にマークされていないのは不可解だが好都合。

 との直接戦闘を視野にいれるのなら手枷を外しておきたいが、鍵の場所すら分からない。

 ここにいるという姫の顔は見ておきたいが、どこにいるのかはやはり不明。

 探して動き回るには地形と配置が不明な現状リスクがあまりに大きすぎる。


「脱走はその内知られる。

 気づいたとき、アイツならどう動く……?」


 看守長アンネローゼの思考を読み取らんとするジョンだったが、彼に思い出せるのは幼き日の彼女だけ。

 10年越しの再会だったのだ。

 小娘と呼ぶのも憚れるような時期の性格が、今の判断にどれほどの影響を及ぼすというのか。


「王様にゾッコンなとこは変わってないみてえだが……嫌われたモンだなあ、あンだけ世話焼いてやったってのに。

 ま、向こうからすりゃだからなンだって話なンだろうが。 

 恨み言で済まされただけ御の字か……ンン、つーことは……」


 激しやすく、感情的。

 その一方で、忠誠心が高く命令にはよく従う。

 理性的に感情を切り分けて行動できる。

 ほぼ理想的な軍人の姿。


 非常時にこそ、安全な道を進むだろう。

 敵に時間と情報を与えるとしても、守り抜けば問題ないと。


「昔を思い出すぜ」


 こつり、こつり、誰かの足音が近づいてくる。

 巡回の兵か、それともただ移動しているだけか。

 どちらでも良いと首を振り、身構えたジョンは、制服を着たその姿が見えるやいなや音を立てることなく飛びかかった。








◇◆◇








 倒しては隠れ、倒しては隠れを繰り返す内に、単独で行動する刑務官はいなくなった。

 要人の周り、鍵のある部屋、通路の要所、守るべきところに人数を集めたのだろう。

 もともと手薄な監獄内だ、そうなってしまえばジョンはあるていど自由に行動できる。


「あンまし時間かけると援軍が来ちまうからな……こっからはスピード勝負だ」


 狙うべき場所を見定め、一直線。

 繋がれた両手を振り回し、訓練された兵士を薙ぎ倒し。

 強行突破を果たしたジョンは、倒れた刑務官らを踏み越えドカンと一発、閉まった扉を蹴破った。


 そこは看守長の執務室。

 監獄の中で使う鍵を管理する場所だ。


「おっと……アンネローゼ、お前がこっちにいるとはな。

 お姫様についてなくてもいいのか?」


「あなたは屑ですが……、姫様に危害を加えるような最低の屑ではないでしょう?」


「お褒め頂きどーも。

 前半のチクチク言葉、必要だったか?」


「……」


 それには答えず、赤い長髪を三つ編みにした刑務官は溜息を一つ。

 むしろ後半の褒め言葉こそが不必要だったと言わんばかり。


「陛下は……」


「お、命令でも受けてンのか? 

 囚人が逃げようとしたら好きにさせろ、とか、どうよ」


「陛下は、あなたさえ無事でいれば、姫殿下の未来は明るいと仰った」


 身を切るように、彼女は言う。


「私には――とてもではありませんが、あなたのことを信じられない……!!」


 同時、抜剣。

 対して、棒立ちのジョン。

 鋼が閃き、風が渦巻く。

 振り抜かれた刃に血曇りはない。


「構えなさい、ルーロー」


「ジョンだっての。

 にしても、あーあー……」


 いきり立つアンネローゼを小馬鹿にして、ジョンは解放された両手をぷらぷらと振り回す。

 枷の残骸を乱暴に握り、砕き、足を開き、腰を落とす。

 それは、数百年の歴史を誇った徒手格闘術の構えだった。


「世間知らずの小娘一人ぶちのめすのに、腕二本もいらなかったってのに。

 だいたい、昔教えたはずだぞ、敵の弱みは突いていけ、平等な条件で戦おうとするなってなあ!!」


「そんなあなただから、ちっとも信用ならないんでしょうが!!」


 激突。

 振り下ろされる刃を迎えるは空の平手。

 人と鋼と、ぶつかり弾けて距離が縮まる。


 ジョンからすれば、絶好機。

 アンネローゼがどれほどの剛力で剣を引こうとも、この距離ならば拳が早い。


 ――しかし彼は溜めた左を振り抜くことなく、擦れ違うようにして間合いを開ける。

 踏み込み手を伸ばしても届かない場所まで。

 くるりと返って、顔を合わせる。


「なあアンネ、オレからすれば、おまえを殺す理由なんて1っつもありゃあしないンだ」


「私には……っ、ある……!」


 無理に踏み込み、振り下ろす。

 速く、重い、それだけの剣。

 踊るように身躱し擦り抜け、扉の前へ。


「せっかくの有利をどうして捨てる? 

 言ったろ、おまえに殺し合いは向いてない」


「頼んでもいないのに師匠面して……! 

 するかしないかは、私が決めることだ!!」


「ったく……ま、その通りか。

 オレの勝手、おまえの勝手、だ」


 ちゃらりらちゃらり、でくすねていた鍵束を見せびらかしてから、ジョンは余裕たっぷりに背を向ける。


「あばよ。

 もう顔合わせないように気ぃつけるからよ、殺すのはちょっと勘弁してくれ。

 ここで死ぬわけにはいかねえンだ。

 どうも、まだやることがあるみたいでな」


「なっ、いつの間に!?

 待ちなさい!」


「待たねえよ」


 ひゅるり、と。

 最小限の動作で軽やかに投じられたのは、ジョンが左手に握り隠していた枷の残骸。

 追いかけようとする彼女の足を精確に打ち抜き、出鼻を挫く。


 その遅れで充分だった。

 身軽足早のジョンに対して、重たい剣を負う彼女の移動速度は遅すぎる。


 風のように、煙のように、ジョンはその場から逃げ出した。








◇◆◇








「待ちなさいルーロー、この……ッ、裏切り者!!!!」







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