Not Yet But
コノワタ
第1話
そこにいたのは、疲れ果てた男だった。
閑散とした、玉座の間。
臣はたったの1人だけ。
謁見者と、国の主、2人は向かい合い、言葉を交わす。
「すまない、ルーロー」
「ハッ、言葉が抜けてるぜ、国王陛下。
何について謝ってンのか、これっぽっちも伝わりゃしねえ」
30絡みの粗暴な男は、敬意の一欠片も見せることなく横暴に振る舞う。
対して国王、50にも60にも見える痩せこけた男は、座るべき椅子に座ることなく、許しを請うて真っ赤な絨毯に膝を着く。
あるまじき光景を止める者はいない。
大扉を守る兵士ですら、傷ましいものを見る目で佇むのみ。
「なンにもしてねえオレに、こんなモンを嵌めたことか?」
男が見せびらかす両手首には、鋼の腕輪と2本を繋ぐ太い鎖が鈍く輝く。
身形こそは小綺麗なれど、男は、この国における罪人だった。
天地が返りでもしなければ、国王ともあろう者に頭を下げられる身分ではない。
「それともなんだ、てめえの国を、てめえの手で終わらせちまいそうなことについてか?」
王は答えず、言われるがまま、平伏して受け入れる。
事実だった。
この王の悪政によって、国は滅びに向かっていた。
がらんとした謁見の間、それがそのまま王城全域の状態だ。
国の中枢、政を司るところ、そうだというのに働く者は数えるほど。
ただあるだけ、空っぽの象徴、かつて賑わした者共は、悉くが手錠を嵌められ檻の中。
その多くは、ルーローと呼ばれた男のように謂れも無い罪状で引っ立てられた。
「なあおい陛下、いったいどうして、こンな国になっちまった?
教会は倒れた。
法が人の手に戻ってきた。
あとは幸福を積み上げるだけ。
オレはてめぇの演説、一言一句を忘れてねえぞ」
言葉選びは乱暴の一言、しかし男の声に怒りはなかった。
嘆いてもいなかった。
ただ、問うていた。
なぜ道半ばに倒れようとしているのか、と。
「すまない、すまない……っ!」
王の声は震えていた。
赤い絨毯に水滴が落ち、黒い染みを形作る。
震えは次第に広がって、いつしかわななきへと変わっていた。
「私たちの革命は――失敗だった……っ!!!!」
ほんの数年前まで、この国は神の名によって支配されていた。
王は、いた。
されどその権威は神が後ろ盾となったもの。
王は信仰を公に認め、神が王に民を治める権利を授ける。
持ちつ持たれつの関係であったはずが、いつしか教会は絶大な権勢を誇るようになり、神の名を借り法を定め、民を裁く存在にまで成り上がっていた。
宗教は人に善く生きるよう導くもの。
神は人の希望となるもの。
しかし人は墜ちるもの。
どうあれかしと願われようとも、不幸の上に幸福を築く生き物だ。
神の僕達は神の言葉を騙るようになり、信ずる者を踏みつけにし、自らの良い暮らしを追求して憚らなかった。
果てに、彼らは倒れた。
傲れる者は久からずや、発端は内輪の権力闘争、各地を纏める大司教の上に立ち、神の現し身たる教皇の地位を求めた者共の暗い闘い。
目が外ではなく内に向いたその隙を突き、彼の王は聖職者共の不信を暴き立て、零落せしめた。
彼らの積み上げた財こそが、全ての民の不幸を原資に築かれたもの。
後に待つのは山を平らかにし押し上げていく日々ばかり。
誰もがいつかの良き日を夢想して、国は建国以後、類を見ない空前の好景気に沸いていた。
が、それも数月前までのこと。
革命の立役者、英雄たる王もまた人に過ぎず、例に漏れず、堕落した。
定めた律令、一万超。
息をすることすら罪となりうる国に、繁栄などあるはずもない。
「答える気ぃねえか。
ま、そういう男だよな、おめえは」
男は馴れ馴れしく、自儘に囁く。
聞こえたか、聞こえていないか、王は滂沱の涙を流し、喚くように懺悔を続ける。
「人は、愚かだ!
愚かであるほど世に憚る!!
みなが平等に不幸を背負い、みな平等に幸福を得る世界など――しょせんは絵空事の幻想だった!!!!
……信じた私もまた、愚かだった。
ルーロー、我が友よ、すまない、どうか、笑ってくれ。
任せろと言い、託されて……、けれど、私にはもう、信じられない。
信じるだけの勇気すら、枯れ果ててしまったのだ」
「そうかい。
オレの言葉じゃあ、足りねえか」
「……、すまない」
「もう良いさ、謝ンなくたって。
説教したり、許したり、そういうのはもう廃業したんだ。
おんなじモンを見てねえオレにゃあ、責めることだってできやしねえ」
共に言葉に後悔を滲ませ、彼らは暫し沈黙した。
兵は間に割り入ることなく、背を向けて、居もしない侵入者から扉を守る。
やがて、立ち上がり、王は言う。
「牢を用意した。
全てが終わるまで、そこにいてくれ。
終わった後は好きにしてくれて良い。
それから……」
「なあ、王様、ところでよ」
王が何かしらの躊躇いを見せたところに、男はさっと口を挟む。
その先に、一番伝えたいことがあったのは明白だった。
だからこそ。
「えらく仲が良かったみたいだが、ルーローってのは誰のことだ?
そこで泣いてる兵隊さんか?」
「もう……、良いだろう、そんな茶番は。
何もかも終わったんだ、ルーロー」
「いいや、王様、オレはジョンだ。
間違えンじゃねえよ」
ジョンはくるりと背を向ける。
最期の願いなど聞くものか。
王は無数の悪法を作り上げ、無数の民を犯罪者へと貶めた。
けれど、そんなことのために彼が法を作ったわけではないのだと、ジョンはよくよく知っていた。
利用され、裏切られ、望みを失ってしまうほどに、人の世の醜さを目の当たりにし。
その果てなのだと分かっていた。
だからこそ、この国は滅びかけの身でありながら、しぶとく生き続けているのだ。
「ルーロー!!
キミがまだ、私をかつての友だと、同士なのだと……!!
想っていてくれるのなら、どうか……、どうか、頼むッ!!!!
娘を助けてやってくれ!!!!」
「うるせえ黙れ!!」
幼い怒声に、空気が止まる。
親の仇でも相手取るかのようにドスドス絨毯を踏みつけて、イエスもノーも返さないまま、彼は
「革命はまだ、終わってねえ!!!!」
そして、吼えた。
振り返ることなく。
「こんなところで終わらせるかよ!!!!!!
良いかよく聞けこの野郎、こんな生き恥晒させやがって、一度ッきりしか言わねえぞ!!」
吸う息すら音高く、ジョンはたかだかと天を睨む。
ステンドグラス。
僅かに残る、かつての名残。
「オレにっ、これ以上っ、ダチ見捨てさせんじゃねえ!!!!!!!!」
割り砕かんばかりの、絶叫だった。
固く冷たい岩の王城、扉も分厚く、内と外とは分かたれている。
声は染み込むように消えていく。
その響きによるものか、はたまたただの偶然か、吊られたシャンデリアがゆらりゆらりと揺れていた。
「おい看守長、オレは囚人なんだろ、とっとと連れてけ」
静けさを取り戻した王の間で、ジョンは兵士に命令する。
すらりとした女性はあらゆる感情を押し殺した能面のような表情で鎖を掴み戸を開く。
「田舎で安穏としていたあなたに何が分かる……!」
人気のない王城の、さらに物陰。
誰にも見えない聞こえない、そんな場所で彼女――看守長アンネローゼは噛み付かんばかりに唸りあげた。
「あいつに何があったかなンて、そりゃあ分っかンねえよ」
苦々しい笑みを浮かべてジョンは続けた。
「だから言ったろ、恥だって」
◇◆◇
「さぁて、とっとと脱獄しちまうかあ!」
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