コーヒーシュガーは甘くない

ぺらねこ(゚、 。 7ノ

君の声を聴かせてよ

「君の声を聴かせてよ」

 HMDの右側で囁かれた声を聞きながら、深く抱きついた姿勢から背中を反らせて、彼の前に顔を見せる。

 首を左右に2回振ってから、元の姿勢に戻る。彼の右腕が、視界の左端を掠めて通り、頭を撫でられていることがわかる。

 優しいなあ。この人。でも、やっぱり普通の人かもしれない。


 僕は無言勢。彼はよく喋る。

 ふたりの意思疎通はついったのDMやディスコのテキストチャットがメインで、VRで出会ったときは、今みたいに彼がたくさん声をかけてきて、僕がそれに対して表情やハンドサインでリアクションすることが多い。

 リアクションは限られているけれど、厳選して割り当てているから、かなり意思は通じている。

 次に行きたいところとか、何がしたいのかとか、それはとても伝えづらいけれど、先にDMで伝えておけば、彼もそれを踏まえて気を使ってくれる。

 だから、今までは意思疎通がうまく行っていると思っていた。

「君の声が聞けたら、君を現実にいる人間として、確信することができ……」

 僕は再び彼の目の前に顔を見せて、会話を遮り、絶対にだめって言う事を伝える。今の僕はそれだけは絶対にできない。

「じゃあ、最後にキスして」

 このときの彼の声は、とても泣きそうだった。

 残念だけど、僕は再び絶対にだめのリアクションを取る。このゲームはNSFW禁止だから。


 そのまま、ゲームからログアウトした。


 間をおかず、スマホが震える。彼からのDM。

 「ごめん。君のことが好きなんだ。実在してることもわかる。だから一度会おう。君の話が聞きたい」


 僕は泣いた。人間はなぜルールを守れないのだろう。お砂糖になる前に、このVRではNSFWが禁止されていることを確認し合った。男同士のお砂糖なのだから、ほんとに好きにならないって相互に約束をした。

 そのために、くっついてもいいけど、キスはしないし、NSFWな展開にならないように、そういうことしたら別れるって説明もした。

 僕だって別れたくない。だが、ラインを超えたのは彼だ。


 社会に出られない寂しさをごまかすためにVRを始めた僕にとって、彼は元気で誠実な社会人に見える。

 社会に出たことのない僕には、会社での出来事を性別に配慮しながら話す彼は好もしく思えたし、近くにいてたまにニコッと笑いかけたり頭を撫でるだけで、子犬よりもわかりやすく元気になるこの人が面白かった。そばにいるだけでびっくりするほど上機嫌で、僕を弟のように扱う。話しかけてくるのがうっとおしいこともあるけれど、それはそれで可愛いと思っていた。


 僕はちゃんと働いたことがないから、彼の言い分が正しいのかよくわからない、だから曖昧にニコニコとしていることしかできない。

 けれど、そんな僕にいろいろな視点からの情報を説明し、自分の立ち位置から見えるものとして意見を言う彼の姿は、少なくともフェアに見えた。


 一方、彼からの愛情表現は、最近過激になっていた。ハグの延長で頭を撫でられたり、手をつないだりと言うことは頻繁にあったが、やめてほしいと、表情や合図をするとすぐにやめてくれていた。


 僕は男性のことを性的には好きになれない。

 けれど、女性と付き合うのも、気が引ける。なぜなら、本物の男性ではないからだ。

 

 僕がまだ女の子の体だったとき、どうやら僕の肢体は魅力的だった。らしい。今はその時の気分を思い出せないから、こんな言い方になる。

 心は男だから男らしくあろうとしていたなんてことはなく、自分が正しいと思ったことを意見するタイプだった。そして、学校では怖い女だと思われていた。

 気の強さから男子からも女子からも距離をとられていたわたしだが、小学校4年頃から、身体が勝手に、しかも急激に発育していった。

 私は女らしくなりたくなかった。別に今まで通りでよかった。子供でいたいわけではなく、今のまま大人になりたかったのだ。

 体と身体の乖離はどうにも止めることはできず、たびたびヒステリーを起こす私は、ジェンダークリニックに通うようになった。

 しかし、病院で女性としての生活の辛さを切々と語っても、男性になりたいかと問われるとわからないと答えるしかなかった。

 なぜなら、今の身体のまま大人になりたかったからだ。しかし、ジェンダークリニックに通う間にも体は女らしくなり、初潮を迎えた。

 けれど、周りの大人はあなたはとても可愛いから、女の子のほうが得だよと言い、同級生は、かっこいい男子に好かれてるからいいじゃんみたいな、そんなことを言うやつしか周りにいなかった。


 男性女性どちらでもないことを選ぶ、という生き方に出会ったのは、思春期を過ぎてからだった。


 どう生きようか悩み、なまじ見目麗しかったがゆえに女を強要された僕は、男たちが性欲をぶちまけるために使う写真を撮られることにした。

 これは、自分への攻撃であり、そのくせ金は稼ぎたいという、捻れた思考の産物で、あけすけなポーズで撮影に応じることで、両方を収めようとした小賢しい、本当に頭の悪いやり方だった。

 そして、モデル代をもらいつつ、女神を続けながら、男性化を始めた。


 若くて美しい女である自覚と、自分が僕である自覚。その両方を喧嘩させつつも、これから手術で失うであろう豊満な胸を誇示して、際どい水着を着ける。

 あどけない笑顔で男を誘いつつ、自分の女を否定する生活を続けていたら、まっさきに自分の心が折れた。


 撮影現場に行けなくなったのだ。


 いくら僕が美しくても、別の美しい女は沢山いる。何なら僕よりも全然若い。

 あっという間に、あいつはすっぽかすと言う悪評が立ち、撮影依頼が来なくなった。

 本物の女に勝てる気がしなくて、僕は逃げた。

 すね毛が生えだしていたし、声も変わり始めたからと、細かい自分にしか通用しない理由をつけて。


 僅かな期間のモデル生活で、治療のためのお金と、何年か暮らすのに必要なお金は手元に残った。

 そのおかげでここ数年は、親元で軽く引きこもりながら、PC越しに世界を見て、ダラダラと過ごすニートになった。

 幸い高卒ではあったので、通信制大学に入学し、大学生という便利な世間体を手に入れ、時々大学に行く生活をしている。


 体の治療は進み、胸オペは未着手だが、肉付きを含めて男性化は進んでいた。


 男でも女でもない状態。男子としてはやたら身長は低いし、細すぎて服の肩幅やら何やらがあまり、ベルトはゆるゆるでスーツのたぐいは全滅。

 女子としてもすね毛や腕毛を処理しても、ひげが隠せないし、喉仏も出始めている。

 何を着ても違和感の塊にしかならないし、なによりも自分が外見で売っていたという過去が、自分に突き刺さっていた。僕はもうあんなに可愛くないし、男に媚びることもできない。 


 彼からのDMを返せぬうちに、新しいものが送られてきて、結果何通か溜まってしまった。

 けれどそれが、僕を決心させた。なぜ僕にここまで興味を抱けるのだろう? と。

 卵アイコンではないものの、なんだかよくわからないアイコンで、VRでどっかいった話とたまにアイスとパフェの写真。そんなついったに惹かれてフレンド登録してきた男の顔が見たくなったのだ。


 ただただ純粋な興味。僕のどこが気になったのかわからないから、それだけ聞いて別れようと思った。どうせVRでキスしよなんて持ちかけてきても、男性同士でキスできるほど度胸はないだろう。そう高をくくってもいた。

 だから、会うだけの約束を、僕に都合のいいように、僕をストーキングできないように、最大限の安全を確保してセッティングした。


 それから約一週間後、僕は大学生らしくファストファッションで身を包み、量販店では手に入らない微妙なサイズのブーツだけ、マーチンのお気に入りを履いてくじらの背中のウッドデッキをたかたかと歩いていた。

 初めてあった彼は、思ったよりセンスのいい、セレクトショップで買ったようなダッフルコートとジーンズ、パーカーを合わせていた。


 2重パーカーじゃん。と僕は突っ込みを入れながら、長い髪の毛をひとつ括りにしているたばを勝手に解いて、パーカーとコートのフードを2枚ともかぶせる。

 止めてよね。と彼は言いつつ、私に持たされたソフトクリームを返してくれた。


「あのさー。いつわかったの?」

 僕の問いに彼は答える

 赤面した彼は、こっそり耳打ちをしてくる。貧乳ロリに大人のリクスー着せてるからわかった。とのこと。合わせが男合わせだし、そのくせフルトラだと内股だし、性別こじらせてるのは丸わかりだったらしい。

「そういうあなただって、大概じゃん!」

 僕はそう言いながら、彼のフォトリールから、男女兼用のスボンとパーカーを装備した、アバターと本人のセルフィーを指差す。

 彼はこじらせてる同士、話が合うかなと思って僕に声をかけたことを認めた。

 今まで僕に話したことに嘘はないけれど、好きになった人にキスをしたくなるのは初めてだったとのこと。

 こんな初心な男の人がいるのか、とびっくりしながら、今日キスしたいか聞いたら、予想外の答えが返ってきた。

「君との約束を破ったのは俺だから、君と恋人になろうとするのはもうやめる。けれど、友達になろうとすること、君の苦しみを聞くことはできるよね?」と。

「いいよ」

 僕は即答した。


 性別たくさん迷子な僕と、性別ちょっぴり迷子な彼。この世界は二人に厳しいけど、彼がしっかりしていることがわかったので、僕は彼と仲良くすることにした。

 ひとりよりもふたり、ふたりよりも友達たくさんのほうが、相談もできるし、世界を楽しく生きていけるような気がしたから。 


 ふたりで1階に降りて、船を見ながらお茶にする。

 VRのお砂糖は、なまなかなコーヒーより全然苦がかったけど、ここのコーヒーはティースプーン2杯のコーヒーシュガーでしっかりと優しい甘さになってくれた。珍しく砂糖を入れて飲むそれは、気持ちを落ち着けてくれる味だった。

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