第16話 決定権は旦那様
小柄で、丸顔、ぱっちり二重の童顔。
だから、いつもお気に入りのショップに行っても、イメージに合うラブリー系の洋服を勧められる事が多い。
仕事柄、上品で好感が持てて、かつ動きやすい服装を心がけている(印刷所への届けモノや作家のおつかいを頼まれる事が多いから)ので、どうしても仕事用の服装は”お育ちの良いお嬢様スタイル”になりがち。
カチっとしすぎず、オフィスコードの中で適度に遊ぶのはなかなか難しい。
シャツにタイトスカートをキリッと着こなせる先輩社員の南にいつも憧れるけれど、如何せん身長が足りないし、顔立ちも違う。
だから、いつも真里菜はひざ丈のフレアスカート(皺になりにくい素材で!)にカットソーかフリルブラウスで無難に纏めてしまっていた。
OL向けファッション誌から抜けだしたようなスカート派可愛めOLの服装。
パンツ派綺麗めOLの南と並ぶと、まるで雑誌の特集みたいだね、と女性社員からよう言われる。
総じて”可愛らしい”と言われる。
そんな真里菜の目下の悩みは、目の前のワンピースだった。
休日の午後。
混み合う駅ビルのカジュアルファッションフロアにて。
膝下のワンピースと、マキシ丈のワンピースを二つ抱えて、鏡の前で盛大に眉根を寄せる。
唇を尖らせて思案中の真里菜の隣りには、当然のように、河野が寄り添っていた。
鏡に向かう妻の姿を眺めて、穏やかに微笑んでいる。
真里菜はそんな夫を鏡越しに見つめ返して、洋服の影でこっそり溜息を吐いた。
さっきから、店内の至る所で不自然に立ち止まっては、彼を眺めていく女性が多いのだ。
結婚前から少しも変わらず、河野は女性に人気がある。
むしろ、結婚して家庭を持った分落ち着きが出て、モテるようになった位だ。
独身時代より、貰って来るバレンタインチョコの数が増えた時には驚いた。
仕事場でグチを零した真里菜に、先輩社員の南が大輪の華を思わせる。眩い笑顔で教えてくれた。
”独身時代は、手が届かなくって声もかけられなかったけれど、結婚しちゃったから、逆に開き直って声掛けられるんじゃない?
ほら、それ以上の関係はあり得ない訳だから。
身近なアイドル代わりにされてるだけよ。気にしなさんな”
身近なアイドルって・・・と呆れたものだが、一緒に出掛ける度、南の言葉が当たっていた事を思い知らされる。
「どっちも可愛いな」
どちらも初夏を思わせる、白のワンピースだ。
膝下丈の方は襟元がレース素材になっていて、エンパイアタイプのシンプルなもの。
マキシ丈は、肩ひもを結ぶタイプで、フリルが幾重にも重なった可愛らしいタイプ。
雑誌を見た時から、今年こそは白ワンピを買おう!と決めていた。
仕事帰りに何度か1人で見てはいたけれど、優柔不断な真里菜は、結局1人では決められなかった。
河野の感想に、ハンガーを胸元に当てたままで振り返る。
「そうなの。どっちも可愛いでしょ?仕事で着るなら絶対ひざ丈だし、プライベート様なら、マキシ丈だよね?でも、こっちは、ちょっと大人っぽすぎるかなー?」
きっと南なら、綺麗に着こなすであろうエンパイアワンピを見つめる真里菜。
河野は顎に手を当てて考える様な仕草を見せた。
「真里菜のイメージで言うなら、こっちだろうけど・・・」
妻の手から、ロングワンピを取り上げて、反対の手で真里菜の肩を抱く。
鏡に向き直させると、改めてそれを当てて見せた。
「そんな子供っぽい感じでもないよ?」
コットンワンピだけれど、デザインはシンプルだ。
「んー・・・」
眉根を寄せたままで悩む真里菜を見下ろして、河野が店内にざっと視線を向けた。
途端、立ち止っていた女性陣が慌てたように視線を逸らして歩き出す。
そんな事には気付きもせずに、ぐるりとディスプレイされた洋服を眺めて、河野が一角で視線を止めた。
ショーウィンドウに向けて飾られている3体のマネキン。
流行りのカラースキニーパンツに白シャツカジュアルなマネキンを中心に、
左横には、ミニスカートにサマーニットのマネキンと、
右横に、ベージュホワイトのキャミソールワンピースにレモンイエローのパーカーを重ねたマネキンが置かれている。
「真里菜、あれは?」
視線を妻に戻した河野が、指でショーウィンドウを指示した。
「え、どれ?」
「右のマネキンの着てるやつ。シンプルだし、ひざ丈で可愛いと思うけどな」
「全然見てなかった・・・」
手元の洋服と見比べる真里菜を他所に、すぐに店員を呼びとめて、ディスプレイと同じものがあるのかを確認する河野。
二つ返事で頷いた店員に、ワンピースを持て来させると、迷う真里菜の手を引いて、あっという間に試着室に向かう。
「似合うと思う?」
試着室のカーテンを引き開けて、真里菜の背中を押してやると、不安そうな視線が返って来た。
「真里菜を一番見てるのは俺だよ?」
安心していい。と微笑んでカーテンを閉める。
迷い始めると、とことんループに嵌まる真里菜にはこれ位の強引が丁度良い。
身内の欲目を引いて見ても、真里菜は可愛らしい。
けれど、彼女の今の目標は”可愛い”ではなく”綺麗”に見える事らしい。
歳を重ねれば、必然的にあどけなさは抜けて行くと思うのだが、そんな事は言っても無駄だ。
とりなした所で”河野には女の子の気持ちは分かんないのよ”と言い返されるに決まっている。
カーテンの外で待つ河野の様子を見た先ほどの店員が、接客用の笑顔で近づいて来た。
その表情が心なしか高揚しているように見える。
「如何でしょうか?お色違いで、モカベージュのものもご用意出来ますが?」
「大丈夫です。あの子には、こっちのほうが似合うから」
あっさりと断言して提案を断ると、カーテン越しに真里菜を呼ぶ。
「どう?着れた?」
「んー、背中のホックが・・・」
「お手伝いしましょうか?」
颯爽と名乗り出た店員を制して、河野がカーテンに手をかける。
「俺が手伝うんで、大丈夫ですよ。真里菜、開けるよ?」
そう言って、カーテンを引き開ける。
鏡越しに真里菜の不安そうな表情が見えた。
「可愛いと思うんだけど、この位置にホックって、着るのも脱ぐのもちょっと大変かな?」
「さっきのより、断然こっちが良いよ。一番似合ってる。止めてあげるから、向こう向きな?」
妻の背を押して河野がカーテンを再び締める。
手際良くホックを止めてやると、華奢な肩を後ろから抱き寄せた。
近づいた距離のままで耳元にそっと囁く。
「脱ぎ着の心配はしなくていいんじゃない?」
「どういう意味?」
キョトンと問い返す無垢な横顔に唇を寄せる。
お気に入りのピンクのチークでほんのり染まった頬にキスを落とした。
肩までのミルキーブラウンの髪に指を絡める。
甘いフローラル系の香りは、真里菜のイメージそのものだ。
河野は閉じ込めておきたい気持ちを堪えて、背中に指を滑らせた。
滑らかな肌に唇を落とす。
痕は残さないようにそっと触れた。
「それは、どっちの俺の仕事でしょ?」
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