第15話 恋に落ちる予感がした

昔から、人よりワンテンポ遅れる子供だった。


のんびり屋でマイペース。


妹の佳苗が活発だったから余計かもしれない。


皆がお片付けを終えて、幼稚園に迎えに来た母親と手を繋いで帰る頃にも、まだひとりでカバンの準備をしているような子供だった。


見かねた佳苗が呼びに来ることもしばしばだった。


思えばあの頃からもうすでに佳苗の方がテキパキ、ハキハキしていたのだ。


そして、中学校に上がる頃には何故だかクラスの一部の女子か距離を置かれるようになった。


「真里菜ちゃんと仲良くするとエミちゃんに嫌われちゃうよ」


というのが理由らしい。


分かりやすく言えば、エミちゃんが好きな男子校の生徒が交流会以降、どうも真里菜の事を好きらしい。


思春期の女の子の団結力はすさまじくて、リーダーグループの女の子から嫌われれば嫌われるほど、真里菜はどんどんクラスでも1人になった。


真里菜が女子からやっかまれなかったのは、やっかむ女子をやっつける佳苗がいつも側に居てくれたからだ。


偏差値不足で聖琳女子を受験できなかった佳苗がは、そんな真里菜を過剰に心配した。


けれど、入学して三か月も経てば、ターゲットは別の女の子に移ってしまい、その間に真里菜は目立たないように学校生活を送る術を身につけた。


エスカレーターの短大ではなくて、外部の大学を受験したのは、閉鎖的な花園に嫌気がさしたから。


最初はキャンパスに溢れる同世代の男の子たちに唖然としたけれど、席が近くの女の子のグループに滑り込んで、何とか浮かないように毎日を送っている。


そんな真里菜だから、本当はサークルも入りたくなかったのだ。


けれど”オツキアイ”というのはやっぱり平穏な大学生活には不可欠で。


特に女子からの仲間外れの凄まじさを知っているから余計断れなかった。


皆がお酒を飲んで楽しく盛り上がる中で適当に愛想笑いをしながらやり過ごすのも慣れた。


最初は、何人かの男の子に囲まれた事もあったけれど、真里菜が眉間にしわを寄せて俯けば、その気がないと察知して離れてくれた。


異性との関りが圧倒的に少ない6年間を過ごした真里菜にとって、近寄って来る男子学生は、誰一人として友達候補にはならなかった。


定例のサークルメンバーでの飲み会の席の片隅で盛り上がる会場をぼんやり見ながら、手にした梅ソーダをちびちび舐めていたら、サークルでも一番人気の河野が気さくに話しかけてきた。


「気乗りしない?」


この人の事は信用できる。


言葉に裏が無い。


他の男の人の言葉に見え隠れする”その先”を期待する何かが、彼からは見えないから。


彼は佳苗とどこか似ている。


佳苗は思った事をすぐ口にして、それが火種になる事もままあるけれど、彼は人の隙間をすいすい泳いでいく術を知っているように見えた。


真里菜が口を開くより先に佳苗がいじめっ子に喧嘩を売ったし、嫉妬心に駆られた女の子が真里菜に意地悪をする前に佳苗が憤然と真里菜の為に立ち塞がった。


活発な妹は、けれど決して鈍感では無かったのだ。


真里菜がきゅっと眉を寄せればすぐにその気持ちを察知して先回りして動いてくれた。


本当に頼もしい小さなナイトだったのだ。


そして、河野も同じように真里菜のほんのわずかな表情の変化を見落とさなかった。


小さく思い出し笑いしたら、怪訝な顔で河野がこちらを見てきた。


「どうかした?」


「いえ・・すいません・・大丈夫です。飲み会の雰囲気に慣れてないだけです」


河野が苦笑交じりでグラスをテーブルに置いた。


中身はビールらしい。


「そっか」


「はい・・」


「吉田さんって、人見知りする?」


「そう・・ですね」


「じゃあ・・もうちょっと柔らかい雰囲気出した方がいいかな?」


「はい?」


「こうもピリピリした空気出されちゃ、誰も話しかけられないよ」


「大丈夫です」


ほんとの意味で1人には慣れてますから、と心の中で付け加える。


アウトドアサークルに誘ってくれた同じグループの女の子達は、入部すると同時にそれぞれ意中の相手を見つけて離れて行った。


真里菜が必要だったのは、このサークルに入るまで。


それははなから分かっていたので、特に期待も落胆もしていなかった。


こういうメンタルは女子高時代に大いに鍛えられたと思う。


だから、それなりに表面上は取り繕えていると思っていたのに。


河野は逃がしてくれなかった。


「ほら、そうやってすぐに引く」


「!」


痛いとこを突かれて、真里菜は目を剥いた。


「人間嫌いじゃないなら、1人で大丈夫なんて損な事言わない方がいいよ」


「大丈夫だなんて思ってません」


ここでは1人で大丈夫なんです。


ここが自分にとってさして意味のない場所である事だけは確かで、だけど、それをあなたの物差しで測らないで下さい。


「ああ・・そうか・・大丈夫なんじゃなくって、本当は大丈夫じゃないけど、どうしていいか分からんないから、大丈夫、になるのか」


「え・・?」


「どうやってあの輪に入っていけばいいか分かんないんだろ?」


「そんな事っ・・」



脳裏に蘇る記憶。


いじめっ子たちを通せんぼして、こちらを覗き込む佳苗の顔。


あまりに素っ頓狂な質問に、真里菜は思わず本音を零した。


”寂しい・・”


友達の作り方なんか分からない。


周りがみんな敵に見える。


教室に入った瞬間のあの気まずい雰囲気。


”お姉ちゃん大丈夫?”


それが、今、河野とどうしてだか被る。


「っ・・・」


何も言えなかった。


全部が当たり過ぎていたから。


現実を付きつけられて、どうしようもなくなった。


真里菜はそのまま立ち上がる。


「失礼します!!」


それだけ言って、個室の襖を引き開ける。


そのまま廊下を駆け出した。


お店を出て、とりあえず駅の方向に向かって歩き出す。


悔しくて涙が出た。


どうして良いか分からない。


友達が欲しかったのも本当。


あの楽しそうな雰囲気に混ざりたかったのも本当。


声をかけて欲しかったのも本当。


でも、それらすべてを突っぱねたのは自分だ。


不器用な、自分なのだ。


最初の出発地点から、ちっとも前に進めていない。


「かなえー・・・お母さん・・・」


佳苗と母親に無性に会いたくなった。


会って話を聞いて欲しい。


大丈夫だよって励まして欲しい。


携帯を握りしめて短縮ボタンを押しかけてやめた。


こんな時まで家族に甘えるなんて、情けなさ過ぎる。


「こっちで一緒に飲もうよ」


「吉田さんもおいで?」


誘ってくれたサークルの男の子達の声が蘇る。


昔の記憶と6年間の女子高生活のせいで、他意があると信じて疑わなかったけれど、実際はそうじゃなかったのかもしれない。


さっきの河野だって、真里菜の為を思って言ってくれたのかもしれない。


でも・・全部もう遅い。


フラフラ歩いていたら、前を歩く誰かにぶつかった。


「きゃ!」


「わ!何だ―あんたぁ」


「す・・すいませ・・」


明らかに酔っ払っているサラリーマンがこちらを見てにやっと笑った。


「客呼びかー?あんたお店どこだい?」


「違います!」


「なんだぁ連れないなー」


伸びてきた手が腕を掴む。


振り払おうとするけれど、敵わない。


「離してください!」


声を強くしたけれど、ひるむ様子もなく肩を掴まれた。


と、もっと強い力に左腕を掴まれた。


強引に引かれる。


掴まれていた男の腕を引き離すと同時に後ろから聞こえた声。


「何やってんだあんた?」


振り向いたら河野だった。


酔ったサラリーマンを睨みつけて真里菜の肩を抱き寄せると、背中に庇うように前に出た。


「この子、どこに連れ込むつもり?」


「い・・いや・・」


慌てたように男が逃げて行く


背中の緊張が緩んで、河野が振り向いた。


「大丈夫?」


「すいません」


「いや、俺も余計な事言ったし。帰るなら、送るよ」


「大丈夫です」


「ソレ、これからやめような」


「え?」


「俺はちゃんと、吉田と関わって行きたいから」


有無を言わさぬ口調で言って、真里菜の肩をそっと撫でた。


ただ労わるような、慰めるような、優しいだけの手のひらだった。


「あ・・私が悪いのに・・」


そんな優しくしないでください。


上手く出来ないのは私のせいなのに。


謝るチャンスもくれないなんて。


「いや、俺が大人げなかった」


「ちが・・」


「違わないよ」


「こ・・河野さ」


「うん?」


「・・・・ごめんなさい」


初めて素直に言葉が出た。


「ちょっと待った。むしろ、それは俺のセリフだから。女の子泣かせて、1人で帰して謝られたら・・どーすりゃいいよ?」


「だって・・ごめんなさい・・」


「あーもう・・大丈夫だから」


俯いてしまった真里菜の頭を河野が優しく撫でてくれた。


「泣くなよ・・頼むよ」


「ごめ・・」


もう何も言えない真里菜の手を取って、河野がゆっくりと繫華街を駅の方へと歩き出す。


溢れて来た涙はそれから暫く収まってはくれなくて、真里菜はグズグズと鼻を鳴らした。


きっと傍から見れば、ケンカしたカップルだ。


河野さん彼女いるんじゃないのかな?


こんなトコ見られて平気なのかな?


ふとそんな事が気になった。


「うちのメンバーに悪いヤツはいないよ。最初は緊張するかもしれないけど、吉田がちゃんと話せば、すぐに打ち解けれるし。もし、話せなかったとしても・・・吉田が笑えば、それだけで皆喜ぶよ。俺も泣かれるより、笑ってくれる方が嬉しいし。多少、吉田に気に入られようとして調子に乗る馬鹿もいるかもしれないけど・・そん時は、俺がちゃんと釘差しとくし。女子も・・人数集まると尚更入りにくいかもしれないけど、吉田を嫌ってるヤツなんかいないよ。仲良くなりたいけど、話しかけにくいってのが率直な感想だと思うし」


「はい・・」


「次の集まりもおいで。酒の飲み方も教えるし・・・とにかく、心配しなくてもちゃんと面倒見るから」


彼が余りにも一生懸命なので、真里菜は勢い任せに頷いてしまった。


「はい」


そうしたら、彼が驚いたような顔で真里菜を見返してきた。


「何ですか・・?」


問い返したら、河野が首を振って笑う。


次の瞬間真里菜の頭を優しく撫でたその手。


覗き込むようにして合わせられた視線。


「吉田は素直な良い子だね」


「っ!」


真里菜は一気に跳ねた心臓を必死に押さえた。


恋に落ちる予感がした。

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