第12話 バージンロードへようこそ
「いいお天気でよかったわあ・・」
満面の笑みで留袖の裾を翻して、窓枠に手を付いた母親の、まるではしゃぐ子供のような素振りに、真里菜は呆れた顔で言った。
「・・・ちょっとは座ったら?」
確かに、快晴といってよいほど晴れ渡っている空。
緑の芝に、咲き誇る黄金のひまわりが夏の盛りを注げている。
小さいけど、真里菜の言ってたガーデンウェディングできそうだよ。
彼の言葉と共に差し出されたパンフレットを見て感嘆の声を上げたあの日の自分。
夢見た、緑いっぱいのお庭で、長いバージンロードを歩くこと、が叶う日が来るなんて。
レストランを改装して作られたその会場は1日限定2組の完全貸切ハウスウェディングだ。
急なことだったので、親族と極親しい友人だけで挙式を行うことにした。
その後の会食は軽食で簡単に済ませてしまう。
夜には盛大な二次会。
大忙しの一日になりそうだ。
・・・とうとうここまできた。
怒涛の1か月を思い出す。
南を始め、先輩たちが全力で真里菜のサポートに回ってくれたから今日この日を迎えることが出来た。
新生活が落ち着いたら全力で皆に恩返ししていきたい。
とはいえ、籍を入れた今も、河野真里菜の自分にはまだ慣れない。
引っ越しもまだなので、本物の新婚生活をスタートさせるのはもう少し先になる予定だ。
ようやく窓から離れた母親が、隣の一人掛けソファに腰掛けた。
純白のウェディングドレスに身を包んだ娘を上から下まで見下ろして頷く。
「綺麗よー・・・昔の母さんそっくり」
「・・・私お父さん似でしょう・・」
「半分は母さんの血です」
自信たっぷりに言った母親の手を取る。
皺が増えたけど、この働き者の手を持つ母がずっと大好きだった。
長い間母子家庭を一人で支えてくれていた逞しい母だ。
「・・・お母さん、急に結婚決まって驚いたでしょ?」
「そうねえ・・・でも、しようと思ったときがその人の適齢期って言うじゃない?たまたま、真里菜の適齢期が急に来ただけのことよ。・・・それにね、母さんも父さんも安心してるの」
「どうして?」
「真里菜が連れてきたのが、隼人さんだったから」
「・・・・・」
視線を合わせたままで、次の言葉を待つ。
「あんたが、ひとり暮らしするって言いだして、さんざんお母さんと揉めた時、部屋探しから、引っ越しまで、自分が責任もって面倒見ますって言いに来てくれたのが彼だったじゃない。その時、こんな人なら安心だなって思ったのよ。これまで男の子家に連れてくることなんてなかった子だから。よし、人を見る目はちゃんと育ってるなって安心したもんよ。佳苗もあんたも」
「・・・・あの時は、本当にただの先輩だったのよ。きっと、手のかかる後輩を放っておけなくって何から何まで手伝ってくれたんだわ」
家賃交渉から、引っ越しの見積もりまで実に手際よく行ってくれた彼。
・・・そっか・・・あれがきっかけでなんとなく気になり始めたのね。
「今どき、珍しいくらいしっかりした人で佳苗に続いて良い人見つけたなぁって思ってたのよ。しかも、男前だし。まさか結婚準備中の佳苗より先にお嫁に出すことになるとは思ってなかったけどね」
茶目っ気たっぷりに言った母親の手を軽く叩く。
「もう、何言ってるの」
「あら、だって息子になるのよ?どうせなら男前の方がいいじゃない?たまにデートさせてね」
「・・・はいはい」
「早く孫の顔も見せてね」
「はいはい・・・・って気が早いわよ」
結婚式前から孫の話なんて・・・
思わず赤くなった真里菜のベールを整えて母親が笑う。
「そうそう、そうやってちょっとは肩の力抜きなさい。始まる前からそんなんじゃ、身が持たないわよ」
「・・・・あと何分?」
「15分。あ、そろそろ佳苗の支度も終わってる時間じゃないの?ちょっと母さんロビー見てくるわ」
さっきまで真里菜の着付けに付きっ切りで自分の準備は後回しにしていた妹の様子が気になったらしい。
今頃別室でドレスアップしている筈だ。
立ち上がってドアへ向かう母親が、くるりとこちらを振り向いた。
「そうだ。父さん、泣いてたわよ」
★★★★★★
襟ぐりが大きく開いたAラインのドレス。
オーガンジーで作られたフリルが花びらのように何層にも重なって、まるで大輪の花のようだ。
透けたベール越しに見えるダイヤのピアス。
髪に飾った小さなティアラが日の光を受けてキラキラと輝く。
父親とゆっくりこちらに歩いてくる、真里菜の首元には大ぶりのダイヤのネックレス。
唇は控え目な淡いピンク。
全体的に清楚な感じで纏められた、真里菜の雰囲気にぴったりの装い。
緩くカールした髪が歩くたびにふわふわと揺れて幻想的だ。
バージンロードを歩く姉の姿に、カメラを回していることも忘れて、思わず泣きだしてしまう。
喧嘩っ早い真里菜をいつも窘めて、見守ってくれていた優しい真里菜の晴れ姿をしっかりと焼き付けておきたいのに、こんな時に限って色んな思い出が甦って来て、カメラが上手く扱えない。
可愛い真里菜ちゃんと、元気な佳苗ちゃん。
姉にちょっかいを掛けようとする悪ガキ共を追い払うことに夢中になっていたあの頃が懐かしい。
うんと小さいときは、佳苗を背中に庇うのは真里菜だったのに、小学校高学年になる頃には、佳苗が真里菜の前に立つのが常になっていた。
穏やかで優しい真里菜が、佳苗にコンプレックスを抱いていた事も知っている。
そして、佳苗にとっても、可愛い真里菜はやっぱりコンプレックスだったのだ。
佳苗のそれは、友英学園で彼と出会ってから綺麗に払拭されたけれど、真里菜の中ではずっと佳苗に対するコンプレックスが根付いていて、なかなか消えてくれてなかった。
けれど、こうしてハレの日を迎えた今、真里菜は大輪の花のように咲き誇っている。
みんなが口を揃えて褒め称えた、可愛い真里菜ちゃんがそこに居た。
ほんとに・・・綺麗。
まっすぐに前を見つめる真里菜が、佳苗に気づいて、ふわりと視線を和ませる。
お姉ちゃんもう泣いてるし・・・!!
ばっちりカメラに収めるから、どうか号泣だけは止めてというの必死の願いが通じたのか、無事に新郎のもとへたどり着いた真里菜は一度も涙を拭くことはなかった。
★★★★★★
「ずっと着ていたいかも・・」
式を終えて、化粧直しに戻った控え室で真里菜は鏡に映る自分をうっとりと眺めた。
その隣で、佳苗が苦笑交じりにカメラを回す。
「なーに言ってんの、歩くのも大変なのに・・さて、はいこっち見て、なんかコメント頂戴。バージンロードの感想は?」
手マイクを突き出して来る仕草は、高校生の頃と少しも変わらない。
「すごーく素敵でした。佳苗の顔見た時が一番泣きそうになった」
「あたしもー。ほんっと綺麗だった。さすが自慢のお姉ちゃんって感じ。ドレスもすっごく似合ってるし・・・河野さん、ほんとタキシード素敵だったねぇ。お母さん隣でうっとりしてたよ」
「当たり前でしょ、今日から自慢の息子よ。あんたもイケメンの義兄で嬉しいでしょ」
「そりゃあもう!早くタイガ先輩に写真見せてあげたいよ」
急な挙式だったので、地方出張中の大河は参列する事が出来なかったのだ。
直前に、皆で食事をしたが、河野と大河は気が合うようだった。
「さあこれで、長女はお嫁に出したから、後は予定通りあんたの番よ。佳苗。しっかりお式の準備進めなさいよ」
「はーい!今日のお式見ていっぱい勉強になったから、参考にさせてもらうね!ほんとに急遽決まったお式だったのに、よくここまで色んな準備が間に合ったよねぇ・・・営業職の旦那様のコネって凄いな・・・」
河野の前で直接口にしたことは無いが、佳苗が先に結婚することを真里菜はかなり気にしていた。
そして、そんな真里菜の気持ちを河野は見抜いていたので、佳苗よりも先に結婚することを決めたのだ。
何となく真里菜もそれが分かっていたから、あの突然過ぎるプロポーズを受け入れた。
結果、真里菜の後を追うように、佳苗は花嫁になる。
長女としてのなけなしのプライドが守られて、ほんのちょっとホッとしている事は内緒だ。
「色んな取引先に当たってくれたみたい・・・」
かなり無理をさせた事は想像に難くない。
これからの新婚生活で、彼に少しずつ貰った愛情を返して行きたいと思う。
「河野さんお姉ちゃんに夢中だもんね」
「え、それは、大学時代の癖が抜けなくて面倒見てくれてるだけで・・・」
「あの日河野さんがうちに持ってきてくれたお菓子、母さんと佳苗の好物だったのよ。あんたも知ってるでしょ。ガーネットのリーフパイ。随分前に好きだって言ったのを覚えてくれてたのね。ちゃんとあんたの事、大事にしてくれてる証拠よ」
「・・・・うん」
「二人でしっかり幸せになりなさい。引っ込み思案な真里菜をちゃんと守ってくれる人が居てくれて、母さん安心だわ」
「あたしも」
「ありがとう。今まで心配かけてごめんね」
「それも母親の特権よ」
「ねえ、お姉ちゃん。旦那さんにも二次会までにコメント貰いたいんだけど」
「もちろん。ちょうどいいから河野さんにこっちに来てもらうわ」
そう言って、自らドレスのまま立ち上がる。
「え、待って、あたしが新郎の控室行ってくる・・」
「いいわよ。佳苗お式の間ずっと写真撮ってて少しも休んでないでしょ、少しは座って休憩して」
重たいドレスを引きずる足取りが危なっかしくて、佳苗も母親もハラハラしたが、無事に新婦は廊下へと出ていった。
★★★★★★
「河野さ・・・じゃなくって隼人?」
ノックすると、中からドアが開けられた。
「もう真里菜も河野だけどな」
笑って、花嫁の髪を撫でる。
「もうベール取ったの?」
「うん。あれは誓いのキスをするまでのものだから」
真里菜の言葉に、彼は神妙な顔で頷いてそれからちょっと屈んで、唇を重ねる。
いつもより顔が近いのは、ヒールのせいだ。
ほんのちょっと歩いただけなのに、もう足が痛い。
ドレスを膨らませるために、ワイヤーが入っているので、いつものように抱きつけない。
つま先立ちになって、彼の腕に触れる。
「ちょっとしか歩いてないのに、ヒール慣れないから足痛くなちゃった・・・」
「いつもより、目線高いもんな。キスしやすくていいけど」
そう言って、触れるだけのキスをした後。彼の腕が真里菜の背に回った。
・・・なんで?
そう思ったときには、抱きあげられていた。
「ええええー!おっ重いから!」
「歩きたくないって意味かと思って」
悪びれずに彼が返してくる。
「歩けます!部屋すぐそこだし、それに小町が・・ビデオ撮りたいって・・」
「小町ちゃん・・・ああ、こないだ一緒にお茶した女の子か」
一向に真里菜を下ろすそぶりを見せない河野はそのままドアの前まで歩いていってしまう。
結婚式だし、みんな微笑ましく見守ってくれるとは思うが、やっぱり人に見られるのは恥ずかしい。
「だ、大丈夫だから、歩くから」
「そう思ってみたら、俺、眠ってる真里菜しかこうやって抱き上げたことないな・・・こないだは、すぐに凭れて来たのに」
「そ・・それっは」
あの時は酔っぱらっていたのだ。
だから、普段より大胆になれた。
「女の子の夢じゃないの?ウェディングドレスでお姫様だっこって」
「・・・・そうだけど・・」
「一生に一回だから、楽しんどけよ」
・・・それはそうかもしれない・・・
ちらりと彼の顔を見返すと、上機嫌の表情で頷いた。
「どうせ誰もいないしな」
「じゃあそうする」
真里菜は手袋を付けたままの腕を彼の首に回して抱きついた。
右耳と首筋にキスが降ってきて、くすぐったさに笑ってしまう。
「重いでしょ、もう下りるね」
「じゃあその前に、真里菜からキスして」
・・・・一瞬迷って、おずおずと唇を重ねる。
「真里菜ー?隼人さーん?」
廊下から小町の声が聞こえた。
2度、3度と重なる唇に、肩にしがみついてしまう。
彼が少し笑って、ゆっくり真里菜をソファに下ろした。
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