第3話 解くも、繋ぐも自分次第
体がダルイ。
飲み過ぎた次の日は、必ずこうだ。
とりあえず、起きてシャワーを浴びて、重たいからだと頭をひとまずしゃきっとさせなくてはならない。
あー・・週末には実家に電話するって約束してるのに・・・まーたお母さんから厭味言われちゃうわ・・・
高校時代に出来た年上彼氏と結婚間近の妹に回るはずだった心配も、一身に向けられる出来損ないの姉としては、少しでも両親の心の負担を減らすべく、日々仕事に邁進して自立した生活を送っているのだが、残念ながら、仕事に打ち込み過ぎて結婚どころか恋愛すら縁遠いのが現実だ。
真里菜ちゃんは可愛いからきっといいお嫁さんになれるわねぇ!とチヤホヤされていた学生時代は遠い昔。
嫁入り先の心配をされていた妹の佳苗の方がちゃっかり素敵なスポーツマンの彼氏を作ってがっつり未来を確定させている。
私だってもうちょっとうまくやれるはずだったのに・・・・
目の前に迫る現実を拒絶するようにぎゅっと目を閉じれば、二か月前の嫌な記憶が頭を過った。
サークル仲間御用達のお馴染みの居酒屋に顔を合わせるのは大学時代から変わらない顔ぶれたち。
気安さと居心地の良さはあの頃から変わらないのに、その日に限っては違った。
彼が、また彼女の名前を口にしたせいだ。
そこに加えて、週末実家に戻った時に妹の佳苗と母親が結婚式場のパンフレットを見ながら、あれこれ相談しているところに鉢合わせしてしまって、余計気分が沈んでいたせいもあって、あの日の真里菜はかなり荒れていた。
長女の真里菜が次女の佳苗に勝てた事といえば、中学受験で聖琳女子に合格した事だけである。
思えばあの時が真里菜の全盛期だった。
人生が一気に開けた気がしたし、すべての幸運は自分のものだと信じて疑わなかった。
家族も親戚もご近所さんもみんな揃って真里菜を祝福してくれた。
全力で最良の人生へのスタートダッシュを切った筈だったのに、翌年友英学園に入学した佳苗に、その後の人生は全て後れを取ることになった。
小さい頃から活発で自分の意見をはっきり口にする佳苗のフォロー役に回る事が多かった真里菜は、自然と後ろに下がる癖が出来てしまって、そのうちそれが定番化した。
聖琳女子の制服を着ているだけで高嶺の花扱いされていた学生時代を経て、大学デビューした後もその性格は変わらず、気になる相手が居たって自分から近づく事なんて出来なかった。
引っ込み思案な真里菜の性格を見抜いて、最初にフォローしてくれたのが河野だったのだ。
当時彼には一つ年上の女子大の彼女が居たけれど、構わなかった。
あの頃から何度も河野は連れ歩く女性を変えて行ったけれど、一度だって真里菜に出番が回って来た試しがない。
当然だ、立候補すらしていないのだから。
だから二人の関係は、いつまで経っても先輩と後輩のまま。
『で、そこに秋吉と森が入って来て、広瀬さんめちゃくちゃ慌ててさぁ』
『もう広瀬さんの名前は聞き飽きました!随分お気に入りなんですね!次の彼女候補ですか?』
繰り返し聞かされた支店の女子事務員の名前にカッとなって言い返したら、河野が信じられない位柔らかい顔で笑った。
その顔を見て、直感したのだ、あ、好きなんだな、と。
『違うよ。っていうか、真里菜、俺の事好きなの?』
とんでもない切り返しが飛んできて、ぐわっと頬に熱が集まった。
震える拳を握りしめて全否定した後で、突きつけたのは一方的な絶交宣言。
思い出すだけで情けない。
考え始めればキリがない与太話を振り切るようにベッドの上でゴロゴロと寝がえりを打つ。
真里菜は瞼にかかってきた鬱陶しい横髪を後ろにかき上げようとして。
「あれ?」
頬に触れた腕時計の感触に気づいた。
もしかして寝ぼけて外し忘れた?
そう思ってみればなんだからいつもより身体が窮屈だ。
いつもの部屋着じゃない・・?
「ん?」
のろのろと眼を開けて、ゆっくりと体を起こす。
そして見てはいけないものを見た。
「河野さ・・・・・・・・!?」
なんで彼が私の部屋に・・・ってそうじゃない!
見ればここは真里菜のお城ことワンルームマンションではなかった。
飲み会で何度かお邪魔した事のある彼の部屋だ。
嘘だと思いたいが、昨夜と同じ格好のままということは、酔って彼のベッドを占領して今の今まで眠りこけていたらしい。
なんで私が彼の部屋にいるのよ!?
思わず上げそうになった悲鳴を必死に呑み込む。
・・・・やっちゃった・・・・
南から誰か迎えをと言われて、彼の番号をスクロールしたところまでは覚えている。
ど・・・どーしよ・・・や、そうじゃなくってちょっと待って、待ってよ・・・
勢いで彼と一線を越えたわけではなさそうで、それだけはホッとする。
もしそんなことになっていたらこの場で舌を噛んでいた。
今にも口から飛び出しそうな心臓を押さえつけて必死に頭を働かせる。
とにかく、大急ぎで帰ろう。
そっと隣を覗きこんだが、彼が起きる気配は無い。
今のうちなら、大丈夫・・・よね?
ソファに置かれていたバッグを持ち上げると付けていたアクセサリーがぶつかって音をたてた。
「!?」
慌てて後ろを振り返るが、熟睡している彼は目を覚ます気配がない。
・・・だ・・・だいじょうぶ・・・
お世辞にも運動神経が良いとは言えないので、すぐに玄関まではたどり着けない。
必死に足音を忍ばせて、フローリングの床を滑るように歩く。
お願い、お願い、起きないで。
祈るように、1歩、1歩玄関に近づく。
なんとかアンクルストラップのパンプスまでたどり着いて、引っかけたままでカギを開ける。
ゆっくりとドアを開けると、朝の冷たい空気と眩しい朝日が隙間から入り込んできた。
・・・ううう・・・めちゃくちゃ罪悪感・・・でも、許して下さい!!
えいや!と気合を入れて廊下に飛び出してそっと、ドアを閉める。
大丈夫、大丈夫よ。
そっと胸をなでおろして、息を吐く。
ってこんなとこでゆっくりしてたらダメだってば!
明らかに朝帰りな女の子が部屋から出てきたって噂になったら河野さん困るし・・・
慌てて乱れたシャツの胸元を整えて、寝癖の付いた髪をシュシュで手早くまとめてしまう。
私は、ここに住むOLよ、ただのOL。
そう言い聞かせてエレベーターホールに向かった。
飛び込んだエレベーターの鏡に映る、むくんだ自分の顔に悲鳴を上げるのは30秒後の事。
★★★★★★
どうにか懐かしの我が家にたどり着いて、窓を開けて、布団を干して、バスルームに直行。
崩れまくった化粧と共に、昨夜の失態を洗い流す。
今日が土曜日でよかった・・・
いや、次の日が休みじゃなかったら、いくらなんでも勢いづいて飲んだりしない。
ビール1杯が限界の真里菜にとって、お酒とは現実を忘れる劇薬のようなものなのだ。
それでも酔っぱらって知り合い呼びつけて。挙句の果てが朝帰りだなんて。
いい歳の大人がやる事ではない。
濡れた手でも使えるオイルでメイクを落としながら思いっきりシャワーを浴びる。
少し熱い位の方が目が覚めてちょうど良い。
自慢じゃないが、自分が完全な下戸だというのは二十歳の時に確認済みで、それ以来、酔っぱらうなんてことは一度だって無かったのだ。
飲み会だって、カクテル半分でもうお腹一杯。
後は、ウーロン茶とオレンジジュースでそれなりに回りに合わせて楽しんできた。
昨夜は、社内トラブルの解決記念で少しばかり羽目を外してしまった。
憧れの望月南から飲みに行こう!と誘われたせいもある。
ちょっと、いや、かなり浮かれていた。
それでも・・・酔って呼びつけた相手が、よりによって大学の先輩なんて・・・・二度と会わせる顔が無い・・・
自分の考えなしの行動を猛省しつつ、真里菜は苦い記憶を手繰り寄せる。
勢いよく啖呵を切った2か月前の自分を思いっきり殴りたい!!!
なんであんなこと言ったのよー!!
「もうやだ・・・」
オイルと、化粧と、ついでに涙までが頬を伝ってシャワーと共に流れて行く。
久しぶりの自己嫌悪で押しつぶされそうだ。
お気に入りのトリートメントの香りに包まれて、真里菜はとうとうしゃがみ込んで泣き始めた。
★★★★★★
ようやく涙も止まって、のぼせ気味でバスルームから出てくると、時計は9時を回っていた。
いつもの休日なら、ようやく目が覚める時間だ。
冷蔵庫から冷やしていたジャスミンティーを取り出して、ベランダに出る。
濡れた髪に、腫れぼったい瞼だけど。
別に誰に見られるわけでもないし・・・
小さな葉を必死に伸ばしているサクラランの鉢を乗せた椅子を引き寄せて、鉢を下ろして腰かける。
ジャスミンの良い香りに交じって、悔しい位清々しい朝の匂いを吸いこむ。
「あー・・・・もー・・・」
くしゃくしゃと髪を乱暴にタオルで拭いて手すりに凭れた。
額に触れる鉄の感触が、これを現実だと改めて認識させる。
実は夢オチでした、なんてマンガの世界じゃあるまいし・・・
ペットボトルを頬に当てて考えること数秒。
真里菜は慌てて立ちあがった。
悩む前に、目を冷やさないと!!
周りからは綺麗な二重で羨ましいと言われる真里菜の両目は、寝不足やストレスでしょっちゅう晴れたり三重になったりする、しょうしょう手のかかるパーツなのだ。
ただでさえ扱い辛いのに、これで腫れたままだったらとてもじゃないが会社に行けない。
しかも、あんな状態で帰ったのだから南には間違いなく質問攻めにされるだろう。
絶対に、週明けはいつも通りの顔で行かなきゃ。
泣くと目をこすって、症状を悪化させるのが真里菜の悪い癖だ。
日曜の夜までは絶対に外に出ないと心に決めてアイスノンを片手にソファに倒れ込んだ。
★★★★★★
「吉田真里菜です、よろしくお願いします」
名前通りの子だな。
最初はそんな第一印象を抱いた。
彼女は、可愛らしい、と表現するのが最も適切な、雰囲気の女の子だった。
同世代の男子が揃ってへにゃりと頬を緩めて歓迎モードになっている。
柔らかい表情と、女子高出身のせいでちょっと異性に対して身構える癖があった。
何とも庇護欲をそそるタイプだった。
明らかに免疫の無さそうな後輩を前に、先輩として、馬鹿な男に引っかからないように面倒見てやらなきゃなぁと、それなりに責任感を覚えた。
あれ、いつからだろう?
癖のないその髪に触れたいと、そんな風に思うようになったのは。
明らからに、安心しきった顔を見せる彼女に物足りなさを感じるようになったのは。
でも、急ぐことはなかったんだ。
なにも、あのタイミングで彼女に答えを求めることはなかったんだ。
それでも頭では理解していても、心は止められなかった。
伸ばした手で、髪に触れた。
少し戸惑ったような彼女の表情。
それでも、彼女の真っ直ぐな瞳が曇ることはなく。
「河野さん・・・?」
無理やりにでも抱きしめてしまえばよかった。
そうしたら、きっと2か月間も音信不通なんてそんなことにはならなかったに違いない。
ほら見ろ、だから、目覚めた時に彼女はいない。
「・・・嘘だろ?」
もぬけの殻のベッドを前に、ひとりごちて河野は頭を抱えた。
どうしてこうも予想通りの展開になるのか?
分かっていて、手を拱ていていた自分を今更ながら呪う。
それでも、どうしたって諦められないのだから、手を伸ばして捕まえるよりほかにない。
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