第2話 結んだのは君か?

店を出て、タクシーが止まる大通りに向かいながらスマホを引っ張り出す。


・・・・どーしよっかな・・


家に帰ったって構わない。


この時間なら、両親どちらかの顔は見れるだろうし。


昨日は夜勤だった母親が今頃起きて、南の帰りを待っているはずだ。


父親も今日には中国出張から戻っているはず。


また怪しげなお茶を山ほど持って帰ってきているかもしれない。


自宅のリビングを思いながらも無意識にスマホは別の人物の番号に向けて発信される。


長いような短いようなコール音の後。


「南?」


落ち着いた、もう10年近く聞いている懐かしいとさえ思えるような、静かな声。


不覚にも、泣きそうになる。


ワケなんてない。


もうそうなるように刷り込まれているのだ。


悔しい位に。


「あたしが今日は家に帰るって言ったらさみしい?」


突拍子もない恋人の発言にとくに驚いた様子も無く、受話器の向こうから、呆れたような小さな笑い声が返ってきた。


「どうしたの?」


・・・ほら、やっぱり絶対動じない。


思わず唇を尖らせる。


こうなることは分かってる。


出会ってからこちら、この男を手玉にとれたことなんて一度も無いのだ。


「何でもない。仕事、進んだ?」


「今ひと休みしようとしたトコ」


「来週には新作上がりそう?」


「編集者として訊いてる?いちファンとして訊いてる?」


・・・・・自分の欲しい言葉を引き出すのはピカイチなのに。


ほんっとにあたしには優しくない。


「続きが気になる、いち読者として」


大通りのタクシー乗り場にはタクシー待ちの列が出来ていた。


週末のお馴染みの光景である。


ほろ酔いのサラリーマンの後ろで立ち止まる。


見上げた夜空は、ネオンの明かりで星も見えない。


慣れ親しんだ団地の屋上からは、驚くくらい綺麗な夜空が見えるのに。


闇色のカーテンに、色とりどりのライトが当てられて、まるでおとぎ話の世界のように金曜の夜を彩っている。


今日もヒールで歩いたので、足首が重たい。


慣れてしまった書類の入ったカバンの重み。


放課後の教室でじゃれあっていたあの日々は随分遠い。


2人乗りのバイクで出掛けた海、放課後の隠れ家、学際の花火、何もかもが遠い過去だ。


昔から甘えることは苦手だったけれど、それでも、今みたくヘタクソじゃなかった。


どんどん可愛くなくなるな・・・


無条件でぶつかっていけるのは、幼馴染の数人だけだと思っていたから。


『南はなー、もっと思ったこと言っていいよ?』


困ったように頭を撫でてくれた、ギターを弾く優しい右手を思い出す。


『ひなたはすぐ顔に出るから、みんな気づくけどお前は隠すのも、忘れた振りも上手だからなぁ』


何処に帰りたいのか分からなくなる。


「来週には間に合わせるよ。紺野さんとも打ち合わせしてあるから」


「なら安心ね」


編集者として、返事をする。


プライベートと、仕事はキチンと分けたい。


じゃなきゃ、一緒にいる意味がない。


でも、対等の位置では甘えられない。


安心しきった寝顔で、体を預けられる真里菜の無邪気さが心底羨ましい。


彼女の半分でも、可愛げがあったなら。もっと上手に言えるのに。


「巧弥、今日は家に戻るわ」


いつも通りの口調で伝えた。



ちょっと羨ましかったからって、すぐに巧弥に甘えようとする自分を叱りつける。



同じ場所にいたいと思ったのはあたし。


望んだのは自分なんだから。


仕事上、都合がつかないことの方が多いのは百も承知。


会いたい時に会えないことが当たり前なんだから。



同じものを求めても仕方ない。


分かってる。


・・・でも、抱きしめてほしかったのも本当で。




立て続けに2台タクシーが止まった。


待ち人はとうとう自分ひとりになる。



「みなみー」


宥めるような、言い聞かせるような、一番好きな声で名前を呼ばれた。


「うん?」


「昔っからだけど、ほんっと甘えるのヘタクソだなー・・・なんで迎えに来てって言えないの?」


急に足もとが無くなったかのような、浮遊感に襲われる。


立っていられなくなる位の衝撃。


なんとか足に力を込めて踏ん張る。


こんな所でしゃがみ込むわけにいかない。


「そ・・そんなの・・・知ってるわよ・・・とにかく!!今日は帰るから」


必死に取り繕って絞りだす声。


筒抜けなのがめちゃくちゃ悔しい。


知らないあいだに拳を握り締めてしまっている自分がいる。


「鍵開けとくから、すぐおいで」


「ちょ・・」


「甘やかしてあげるから」




★★★★★★




「と、ゆーわけだ。とっとと帰れ」


くるりと振り向くなり言われて。一臣は肩を竦めてソファから立ち上がる。


通話を終えたスマホをテーブルへ放り出し、パソコンに向かう巧弥の背中を眺めながらジャケットに腕を通す。


「はいはい、お邪魔虫は退散しますよ」


「明日には最愛の奥さんも帰ってくるんだろ?一晩ぐらい、我慢しろ」


「わかってますよ。お前も結婚したら分かるよ。明かりの点いてない家に入るときのあの寂しい感じ・・・・・俺が夜勤の時、絢花はおんなじ気持ちだったんだなーって今更ながら反省するね」


「もうすぐ家族が増えるから平気だろ?」


「無事に生まれるまでが不安だよ」


「コラ、医者のお前がそんなでどーする。しっかり守ってやれよ」


「・・・・・驚いた」


一臣が目を丸くして巧弥を見やる。


視線に気づいて椅子を反転させて、学生時代からの親友と視線を合わせる。


「なにが?」


怪訝な顔で問い返す巧弥。


「本気で結婚するつもりなんだな」


「は?」


そんな話をしていただろうか?


「そういう形式に捕らわれるのは、嫌うだろうから一生結婚しないもんだと思ってたよ」


「俺は、別になんでもいいんだ。このまま南が側にいるなら、籍を入れようが抜こうが関係ない。結婚はそのための手段だよ。一生南を手放さないためのね」



明らかに結婚したがっているのは、知っていた。


けれど、それとなく入籍の話をすると仕事が落ち着くまでは、と逃げたのは彼女で。


だから、敢えて急ぐ必要もないと思っていた。


多少強引にでも、籍を入れておくべきだったかな?


こんなことで安心するなら。




編集者と作家という立場を考えて、身動きが取れなくなっている南に、当事者の自分が何を言っても仕方ない。


彼女の気持ちが固まるまで、と先延ばしにしていたけれど、ようやく時期が来たようだ。


もともと生活は不規則で、寝る時間も起きる時間もマチマチ。


食事に至っては、食べたかどうかすら定かでないことが多々ある。


朝方眠ろうと思ってベッドに入ったら、南がぐっすりお休み中だったことも片手では足りない。


こんな自分だから、まっとうな”お付き合い”というやつは、ここ数年出来てない。


それでも、自分の中で唯一譲れない存在が南だった。


絶対に、彼女だけは要る。


迷わなかったからこそ、この半年待てたのだ。



たとえ数時間でも、一緒に眠れる方がずっといい。


決して器用とは言えない彼女の、帰れる場所はこの家にしたいと思った。



「疑問形で訊くんじゃ無かった・・」


「なんの話?」


一臣が絢花にメールを送りながら尋ねる。


どうせハートマークが飛び交ってるんだろう。


「籍入れようか?って訊いたんだ」


「お前にしては珍しい。籍入れることにしたから位言いそうなもんなのにな」


自分の性格を知り尽くした10年来の親友は実に的を得た答えを出した。


確かにそうだ。


眠っている南の左手に結婚指輪を嵌めるくらいのことしておけばよかった。


不安にさせるくらいなら。



「結婚したいって言って欲しかったんだ」


彼女の口から。


滅多に甘えたりしない南だから。


どうしても、聴きたかった。


一生を共にする誓いの言葉を。


「心配するな、俺もそうだよ?てか、みんなそうだよ。言葉にしないで伝わるやつなんて・・・」


一臣は言いかけて口ごもる。


一組だけいる。


言葉とか、心とか、そーゆー形式ぶっ飛ばして感覚だけで、繋がってる妙なふたりが・・・


言わんとしていることが分かったのか、巧弥が苦笑交じりに煙草に火をつけた。


窓を開けてからゆっくりと煙を吐き出す。


「貴崎のトコは例外だ。あいつら、最初からああだからな」


「だよな?俺らが必死に繋いできたものすっ飛ばして纏まったからね、あの二人。ある意味もう運命なんじゃない?アレ」


「そのうちあいつらモデルにして、恋愛小説描こうかな・・・取材頼んどいてくれよ」


「絶対無理、貴崎から殺される。矢野は嬉々として引き受けるだろうけどな」


「たしかに」


目をきらきらさせて喜ぶ茉梨と、それを必死に押しとどめる勝の様子が目に浮かぶ。


昔と寸分変わりなく。


「今から言えよ。結婚することにしましたってさ。望月泣いて喜ぶんじゃないの?」


無断で抜き取った煙草に火を付けて、一臣がライターをテーブルに戻した。


「・・・泣いて・・ね・・・」


頬杖をついて、光るディスプレイを眺める。



もう2日も、南に触れていない。


柔らかい髪と、お気に入りの香水を思い出す。


「さて、じゃあ俺は帰るよ。本助かったよ、恩に着る」


取り寄せた海外の絵本を掲げて、一臣は部屋を出る。


「絢花ちゃんによろしく、つわりが納まった頃ふたりで会いに行くよ」


「ああ、伝えとく」


すっかりマイホームパパの顔で振り向いた一臣を見送って、灰皿に煙草を押しつけた。



南は煙草を嫌うから、空気清浄機を入れて少し窓を開ける。



さて、どのタイミングで取り出そうかな・・・



実は用意してある婚姻届の入った棚をチラリと横目で眺めながら、巧弥は腕組みをして考えた。




ピンポーン


インターホンの音の後、いくら待ってもドアの開く音がしない。


鍵は開けてあるのに。


小さく溜息を吐いて、巧は椅子から立ち上がると真夜中の来訪者を迎え入れるために玄関に向かった。

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