17. 俺も一緒に名前を考えたい

 “人生の主役が変わるとき”


 子供が生まれると、今まで自分中心だった人生から、子供中心の人生に変わっていくという意味合いの言葉だ。


 ……昔からこの言葉には賛否がある。


 じゃあ親になった自分の人生はどうなるのか?

 親は好きなことをできなくなってしまうのか?


 そんな議論をどこかで聞いた時がある。


「私は人生の主役を変えることができなかった」

「……」

「自分の人生は自分で楽しみたい。あなたのことは大切に思っていたけど、主役が変わるなんてあり得ない。私って本当にダメな親よね」


 母さんが懺悔するかのようにその言葉を吐いた。


「あなたとはいつかちゃんと話さないといけないと思ってた」

「うん」

「あなたとは距離を取ってたのになぁ」

「なんとなく分かってたよ」


 いつもの香里かおりさんの口調じゃない。

 低い声で、少しドスが聞いている。


 これが彼女の素なんだということがすぐに分かった。


「私に何か言いたいことがあるみたいだけど……。今までの恨み言でも言われるのかしら」


 香里かおりさんが怯えた目をしていた。



 ――俺はその場で少し目を瞑って、に声をかけた。




▼▼▼




唯人ゆいと! 場は作ってやったぞ! 言いたいこと言ってやれ!」


「な、なななななんちゅー! 余計な事をしてるんですかあなたは!?」


「なんだよ、自分では言いづらそうだったから場を作ってやったのに」


「いきなりこの地獄みたいな空気に放り出される身にもなってくださいよ!」


「いいから行って来いって! こんなの勢いで言うしかないんだから!」


「ほ、本当に大雑把な人だ! いつも直球しか投げられないんだから!」


「お前が俺になって、俺がお前になるなら、お前も頑張れ!」


「え?」


「俺はお前に絶対に負けられない! けどお前も頑張れ! 家族なんて、言いたいこと言っていいんだよ! 多分!」


「……」


「言いたいこと言って、ちゃんとぶつかってこいよ! 俺もこの前まではそれができなかったけど……。きっと、それでも何とかなるのが家族だから――」




▲▲▲




「……母さん」

「えっ?」


 俺は、この日、久しぶりに母さんと直接話をすることになった。




※※※




◆  ◆



「と、とりあえず結婚おめでとう」

「それは前にあなたから聞いたわよ」


 お節介な人のせいで、俺は無理矢理、外に引きずりだされた。


 あの人は、いつも自分の前世の奥さんのことをなんだかんだと言ってるけど、絶対に、ぜーーーったいに似たもの夫婦だと思う。


 母さんが俺のことをじっと見つめている。


 いつもの母さんの目だ

 俺に興味がなくて、いつも機嫌が悪そうにしている。


 将人まさとさんと結婚して、穏やかになったけど、これが母さんの普通の状態だ。


「お、俺、母さんに言いたいことが」

「分かってるわよ。文句が言いたいんでしょう」


 こういう母さんが嫌で、俺の実の父は、俺が生まれてすぐに母さんと別れてしまったらしい。


「いや、そうじゃなくて。いや、そうなのかな?」

「相変わらずはっきりしない子ね」


 母さんが少しめんどくさそうに俺に答える。


「なんかさ、俺、あの日に死んじゃったみたいなんだ」

「……」

「だから、今までのお礼とか言えなかったからさ」

「馬鹿なこと言わないで! 今あなたはここにいいるでしょう!」

「そうなんだけどさ」


 言いたいことが沢山あったはずだったのに、いきなり引っ張り出されたから全然考えがまとまってないや。

 

「……母さん」

「な、なによ」

「確かに恨み言も文句も沢山あるけど、これだけは言っておきたいんだ」

「だから何よ!」

「生まれてくる赤ちゃんの名前、俺も一緒に考えたいんだけど……」




※※※




(……康太こうたさんありがとう)


 心の中からそんな声が聞こえてきた。


 馬鹿だなぁ……。

 言いたいことがあるなら、もっとけちょんけちょんに言ってやれば良かったのに。


「あ、あのさ……!」

「なによ」

「俺、名前いっぱい考えてくるから! 家族四人でみんなで考えようよ! 赤ちゃんの名前!」

「……男だったら康太こうた、女だったら美鈴みすずで、もう決まってるんだけど」

「断固却下! それだけは絶対に断固却下で!」


 俺が勢いよくそう言うと、香里かおりさんが少しだけ笑った。


「少し明るくなったわね、あなた」

「そう?」


 俺がそう言うと、香里かおりさんが、浅く深呼吸をした。声がわずかに震えていた。


「それで、うちの唯人ゆいとは大丈夫なんでしょうか?」

「えっ……?」 


 ――やはり香里かおりさんは俺のことに勘づいていた。


「答えられないならそれでいいんだけど、ちゃんと家には戻ってくるよね……?」


 香里さんが怯えた目で俺にそう尋ねてきた。


 親子の絆とは不思議なもので、決して切れない何かがあるらしい。


 オフクロと俺もそう。

 俺と琴乃ことのもそう。

 香里かおりさんと唯人ゆいともきっとそうなのだろう。


 もしかしたら、俺が骨折した日に香里かおりさんが来なかったのも、そのことに気が付いていたからだったのかもしれない。


 だって、自分の息子がいなくなってるかもしれないんだから……。そのことに臆病になって、より距離を置いてしまうというのは同じ親として理解できるかもしれない。


「絶対に帰ってくるから! 俺、もうみんなのこと幸せにするって決めてるんで!」

「えっ?」

「だからも安心して!」


 自然に香里かおりさんのことを子供のときみたいに呼んでしまっていた。


「……遅いかもしれないけど、私もいい母親になれるように頑張るからね」


 香里かおりさんが声を詰まらせていた。

 口調はいつもの口調に戻っていた。



(俺は前みたいに自分のことも家族のことも諦めたりしない。だからお前も頑張れ)



 俺はにそう声をかけた。

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