番外編5 琴乃が生まれた日

とある日の出来事



美鈴みすず、大丈夫かな」


 美鈴みすずに陣痛がきて、病院に来てから、もう数時間が経とうとしていた。


 俺は病院の待合室でそのときを待つことしかできなかった。


「あいつ痛みに弱いからなぁ……。できるなら一緒にいてやりたかったけど……」

「立会い出産は美鈴みすずちゃんが嫌だって言ったんでしょ。男のあんたがそわそわしても仕方ないから、もっとどっしりと構えてなさい」


 そんな俺の様子を見て、オフクロがやや呆れた様子で俺に声をかけてくる。


「いや、けどさ……」

「そういうところはあんたの父親と一緒ね」

「親父?」

「あんたが生まれたときは大変だったんだから」


 オフクロがしみじみとそう呟いた。


「あの人、あんたが生まれた時は大号泣だったんだから」

「親父がっ!?」


 そんな馬鹿な!

 俺の知っている親父は、武道に精通していて、ものすごく厳格な人だった。


 そんな親父が泣くだなんて信じることができない。


「あの人が泣いているのを見たのは、そのときを含めて二回だけだねぇ」

「う、嘘くせぇ」


 こ、このおばば、前から話を盛る癖があるからな……。話、半分に聞いておかないと。


「嘘なもんかい! 生まれたあんたよりも泣いてたかもしれないんだから!」

「へぇ~」


 益々、嘘くさい……。

 赤ん坊よりも泣く大人がいるわけないじゃん。


「オフクロの言うことはアテにならないからなぁ」

「ふんっ、今に自分が親になるんだから分かるわよ」


 オフクロにそんなことを言われてしまった。


 正直、俺ってまだ自分が親になるって実感がないんだよなぁ……。


 そりゃ、生まれてくる赤ちゃんは楽しみだし、名前だって美鈴みすずと一緒に一生懸命に考えた!


 けど、いざとなると、自分が親になるということにイマイチ現実味がないんだよなぁ……。


「俺、いい親になれるかな……」

「いい親であるためにはいい旦那でいないとね。美鈴みすずちゃんが、子供と一緒に父親の悪口言うようにならないように気をつけることだね」

「う、うん」


 子供は父親よりも母親の姿を真似ると聞いたときがある。

 母親が父親の悪口を言っていると、当然、子供の父に対する印象も悪くなってしまうらしい。


「そんなことより今は美鈴みすずと“琴乃ことの”が無事なことを祈らなければ……!」


 心配事は尽きないが、今はそんな杞憂よりも、美鈴みすずが元気で出産を終えられるかが心配だ。


 神様……!

 俺はどうなってもいいから、どうか二人だけは無事に帰してください!


康太こうた君、美鈴みすずは!?」


 そんなお願いをしていたら、せい兄ちゃんも病院にやってきた。




※※※




「この場に一番いたかったのは父さんと母さんだろうな」

「おじさんとおばさん?」


 せい兄ちゃんが落ち着かない様子で、周りをうろちょろしている。


「おじさん、おばさんが亡くなったらすぐだったよね」

「そうだなぁ。そうなると男の人のほうが弱いのかもな」


 せい兄ちゃんの言う、父さん母さんは、もちろん二人の実親だ。


 俺の親父が亡くなると同時期に、美鈴の両親も持病で亡くなってしまった。


「結構あるらしいな。先に嫁さんに先立たれると、旦那さんのほうが後を追うように逝ってしまうって。逆は結構大丈夫らしいんだけど」

「あー、俺のオフクロ見てたらそれは納得」


 せい兄ちゃんの言葉に笑いながら頷く。


「なんだい! 康太こうた!」

「いや、おばばは死んでも死ななそうだなぁって」

「当たり前だよ! 私は、あんたらの子供が結婚するまで死ぬ気ないんだから!」

「少なくても後二十年は生きる気じゃん!」

「できれば、あんたの子供の子供まで見る気なんだからね!」

「それは気が長いことで……」


 まだ生まれてくる前なのに、子供の子供まで想像しているうちのオフクロ!


 今からそんなこと考えたくないっつーの!


「はぁ……。ところで、せい兄ちゃんはまだ結婚しないの?」

「急にどうした」

「いや、まだなのかなぁって。いい人いるのは俺も美鈴みすずも知ってるよ?」

「君たちが落ち着いたら考えたいと思ってるよ」

「おぉ~! ってなんで俺たち!?」

「弟と妹のことは心配だろう」


 せい兄ちゃんのメガネがきらりと光る。


「それってただのシスコン――」

「家族思いだと言ってくれ」

「姪コンプレックスが付け加わらないといいなぁ……」


 この人は、いつも自分のことを優先しない。

 一に家族、二に知り合い、三にようやく自分がくるくらいだ。


 そんなせい兄ちゃんに付き合わされている人も可哀想だな、こりゃ。




「おぎゃーーーーーーーーー!!!」




 そんな会話をしていたら、赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた! 




※※※




美鈴みすず!」

「えへへへ、頑張ったよ……」


 分娩室に行くと美鈴みすずに抱きかかえられた赤ちゃんがいた。


「おぎゃーーー! おぎゃーーー!」


 赤ちゃんはこれでもかというくらいに、元気に泣きじゃくっている。


美鈴みすず! 頑張った! 本当に頑張った! 本当にありがとう!」

「ひぃひぃふぅ~したよ~」

「いや、それ間違って……ない! 珍しく間違ってない!」


 よれよれになっている美鈴みすずにすぐ駆け寄って、二人とも一緒に抱きしめる。


「ほら、私はいいから赤ちゃんを抱いてあげて」

「う、うん」


 美鈴みすずが俺に赤ちゃんを預けてきた。


「おめでとうございます! 元気な女の子ですよ!」


 俺たちの様子を助産師の人が優しく見守っていた。


「おぎゃーーー!」


 慎重に……慎重にその赤ちゃんを美鈴みすずから受け取る。


 暖かくて、壊れそうで、ものすごく怖くて、それでものすごく軽かったけど、逆にものすごく重さを感じた。

 

「これが俺たちの赤ちゃん……?」

「“琴乃ことの”でしょ? あんなに一生懸命に考えたのに」

琴乃ことの……」


「おぎゃーーー!」


 その名前を読んだ瞬間、その赤ちゃんは返事をするようにまた泣き始めた。


「うっ、うぅ……」


 いつの間にか俺の目からは大粒の涙がこぼれ落ちてしまっていた。


「ありがとう琴乃ことの、ありがとう美鈴みすず。俺、二人とも幸せにできるように頑張るから」


 色んな気持ちが込み上げてきてしまい、そのまま俺は琴乃ことのと一緒に泣いてしまっていた。


「この子も私みたいにあなたのこと好きになってくれるといいね」


 美鈴みすずが笑いながらそんなことを言っていた。

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