第25話 神童の残香

 そして、その時はやって来る。


「必ず決勝に来ると信じていたよ。青山凪月」


 決勝の舞台に姿を現した小早川先輩は、堂々たる面持ちで俺に笑いかける。


「はぁ」


 俺はといえば、生返事。


 まぁ、負けても全然良かったんですけどね。少なとも今朝くらいまではマジでそのつもりだったし。

 まったく、誰のせいでこうなってるんだか。もうわからんのですわ。


 惚けながらも、先輩の思い描くシナリオそのままに事態が進んでいることには若干イラついた。


「俺はね青山、キミと戦ってみたかった」

「はぁ。恋敵的なアレっすか」


 どうでもいいが。


「それもあるし、今はそれこそ本懐だが……それとはべつに、だ。俺はずっと、キミと試合がしたかった」

「はぁ?」


 なして?

 つーか俺のこと知ってたのかよこのイケメンが。

 

「この地域のサッカー関係者なら、キミを知らない者はいないよ。天才サッカー少年、青山凪月」

「……はは。いやに昔の話っすね」


 そういうのマジでやめろよ。

 ぜんぶ捨てたんだから。

 終わった話なんだから。


「そいつを言うなら先輩の方がよっぽど有名でしょう。今も、昔も」


 少し調べてみればわかる話。

 最後のインターハイこそ振るわなかったが、彼個人でみれば昔から県のトレセンにも招待されるような選手だ。


「そうだな。でも、あの頃のキミには俺以上の華があった」


 小早川先輩は昔を思い出すように瞳を細めて語る。


「そんなキミが、まさか同じ学園にいたとは今まで気づかなかったがね」


 はっ。

 所詮その程度の話ということじゃないか。

 いや、これに関しては変わりすぎた俺が悪いのか?


「とにかく、俺はキミに勝ちたい。心から」

「はぁ」


 そんなにまっすぐに見つめてくれるなよ。

 ここにいるのは、ただの陰キャの、ナンパ野郎だぜ? 

 

「そんなに期待しないでくださいよ。まともなサッカーなんてここ数年やってないし、何より運動不足なもんで」

「わかっているさ。それでも……」


 小早川先輩は、やはり威風堂々と、この舞台の中心で台詞を口にする。


「キミはこの舞台にいる」


 ぞくり。

 まっすぐな瞳に貫かれて、ふいに背筋が震えた。


「正々堂々、いい勝負にしよう」

「…………そうっすね」


 握手を交わすと、俺たちは背を向け別れた。


 は……っ。

 正々堂々、ね。


 そんなもん…………


「…………クソくらえだ」


 試合開始が迫る。

 

 コイントスの結果、ボールは俺たち2-Aが取った。


 センターサークルの端に俺は立つ。

 

「すぅ……はぁ……すぅ、はぁ……」

「なにしてんの?」

「…………ルーティンってやつだな」

「ああ、集中力を高めるあれね。プロっぽい」


 正確に言うなら、これはプレパフォーマンスルーティンと呼ばれる。

 試合前ではなく、プレー中に行われるものだ。


 サッカーで言うならたとえば、フリーキックや、ペナルティキックの直前……。


「しっかり頼むぞ、霧島」

「お安い御用だよ」


 そう言って微笑むと、霧島はフィールド中央へ向かった。


 そして、試合開始のホイッスルが鳴る。


「……っし」


 最後に俺はその場所を、睨みつける。


 フィールド上の声、外野の応援。

 何もかも、今の俺にはもう聞こえない。


 女子決勝において、篠崎聖良は疾風怒濤のドリブル突破を見せた。

 瞬く間の得点。衝撃のスタート。

 まさか俺と似たようなことを考えているとは思わなかったよ。


「へへ」

 

 なぁ聖良。おまえはスゴいよ。

 本当は運動音痴なくせして、よくやるものだ。

 だけど。

 俺ならもっと、上手くやる。

 もっと、もっと、簡単な方法があるだろう?


「青山っ」


 中央の霧島が、こちらへボールを蹴り出す。

 コロコロとゆっくり転がる程度の、パスと言うには弱い球。


 そこへ向かって、俺は助走を始めた。


「————っ!? まさか!? オフェンス! 前にでろ!!」


 瞬間、小早川先輩が叫ぶ。


「え? 前っ!? は? え? え? どど、どうすれば!?」

「クソッ」


 突然の指示に、相手オフェンス陣は統制を欠いている。


 はは、想定外だったか?

 もしも俺が聖良のようなドリブル突破を選んだとしても、自分が阻めばいいことだと思っていだだろう?


「————そんな時間はねぇよ」


 体に染みついた動作だ。

 もはや考えるまでもない。

 左手を大きく広げ、軸脚となる左脚を全力で地面に踏み込む。

 

 そして素早く、鋭利に、右脚を振り抜いた。


「え…………?」


 グラウンドが静寂に包まれる。


「く、う、————ぉぉおおおお!!」


 ただ一人、反応した小早川先輩が必死の叫びを上げて、宙のボールを追っていた。


 が、やはり何もかも、もう遅い。


 キーパーは動かなかった。いや、動けなかったのだろう。


 俺の放ったは、吸い込まれるようにゴールネットを揺らした。


「ふぅ」


 ゴールの中で転がるボールを見つめて、ようやく呼吸を思い出したかのように、俺は息をついた。


「なんとか、なるもんだな」


 いや、なってもらわないと困る。


 昔のようにサッカーはできない。本当だ。サッカーの練習なんてしていない。

 そもそも、サッカーなんてそんなに好きじゃない。

 俺が好きだったのは……この、ゴールネットを揺らす瞬間だけ。

 点を獲ること、シュートを撃つこと。

 だから、あの河川敷で、あくまで趣味の範疇で、己のシュートを研究することだけはやめなかった。


 たとえその先に、昔求めたあの面影がないんだとしても……。


「………………」


 これはそれだけの話の、その結果なのだ。


「す、すっげええええええええええ!!!! すげえよ青山ぁぁぁぁああああ!!!!」


 大興奮の細谷さんがこちらへ駆け寄り、強引にハグする。

 続いて霧島、他のチームメイトたちも。


 それを合図に、やっと状況を認識したオーディエンスが湧き上がる。


 ————ウォォォォォォォォォォォォォ‼︎‼︎


 ああ、何度体験しても、この瞬間だけは良い。

 

 しかし、


「気を引き締めろ。試合はここからだ」


 まだ小早川先輩は一度たりともボールに触れていない。

 この手はもう2度と通じないだろう。

 これはただの不意打ち。

 正々堂々とは程遠い。

 たった一度だけ使える、俺の持つ唯一のジョーカーなのだから。

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