第11話 休日の幼馴染

「えーっと……あ、この単元はまだ私習ってない……でもこっちは逆にもうやってますね……。うーん、学校によって学習する順番も進度も違うんですねぇ」


 休日の午後。

 俺から借りた各教科のノートを見ながら、聖良が呟く。

 場所は俺の家。

 その私室。クーラーがガンガンに効いた、俺の唯一と言っていいプライベート空間。


「いやなんでだよ」

「どうしました凪月さん。私はボケていませんが、ツッコミの練習ですか? エッチですね」

「いやなんでだよ」

「壊れちゃったみたいですね。修理に出さないと」

「いやなんでだよ! 俺は壊れた玩具じゃねえ! ――――じゃなくて、おまえがなんでここにいるのかって聞いてんだよ!」


 そう、今まさに俺のプライベート空間は脅かされている。

 

 一万歩ほど譲って、ノートを見せてやるのはいい。

 転校生としては転入先の授業の進行度をしっかりと確認しておきたいところだろう。夏休み前の期末テストだって数週後には迫っているのだ。

 聖良はこの数日で十分にクラスに溶け込んではいるが、出会って一週間足らずで全教科のノートを借りるというのは心理的なハードルが少し高いとうのも理解できる。

 そこで、俺だ。先日の人見知りを信じているわけもないが、幼馴染である俺には遠慮がいらない。

 

 肝心なのは、なぜ俺の家に来ているのかということ。


「なんでって、幼馴染だからですが?」

「それは理由にならねえよ!? つーか、俺に関わるなって彼氏にも言われたんじゃないのか!?」

「それについては問題ありません。まーくんはほら、あれです。独占欲を拗らせちゃうお年頃なんです。14歳ですから」

「なるほど――――いや納得しねえよ。厨二彼氏の意見聞いてやれよ」

「中三です」

「はあ」

  

 どうでもいい訂正をどうもありがとう。

 しかして、どうやら俺の幼馴染は年下好きであるらしい。

 それにしては大人びてはいたか。イケメンだし。俺だったら二つも年上の恋敵に啖呵を切る自信はない。


「幼馴染と休日に会うくらい良いのではないですか? まーくんにもそういうのではないとちゃんと説明したつもりです。何も問題ないでしょう? まぁ、凪月さんが私に邪な感情を抱いていれば、別かもしれませんが……くすくす」


 聖良はしてやったりとでも言いたげに笑う。

 聖良としては幼馴染、ひいては男友達と一緒にいるだけ。その上今日に関しては理由も明確。転校生としては重要な要件だろう。

 厨二まーくんとしても言いくるめられて致仕方ない部分はある。そもそも、聖良に口で勝てる未来が俺も含めて見えない。


「それから、こうも言えますよ。この方が凪月さんには収まりがいいかもしれません」

「あ? なんだよ」

「私は幼馴染の男の子の家に来ているのではありません。お友達のなぎさちゃんの家に来ているのです。そこにたまたま凪月さんがいて、たまたまノートを借りるのに都合が良かったのです」

「渚? おまえらまだ仲良かったのか?」


 渚と言うのは、俺の妹。

 青山渚あおやまなぎさ。これまた偶然だが、中学三年の少女だ。


「ええもちろん。ずっと連絡も取っていました」

「マジかよ……」


 俺はまったく知らなかったのだが……。


「ということで、ここは私にとって女の子のお友達である渚ちゃんのお家。なんらおかしいことはありません」

「なるほど――――いや渚のやつは今家に居ねえけどな!?」

「それは誤算でした。ふたりっきりですね♪」


 てへぺろと舌を巻く聖良。

 今日はやけにツッコミをさせられる日だ。


「まぁまぁ、今日は本当に凪月さんのおチカラを借りたかったのですから。許してください。このノート、すごく助かります。ここで作業させてもらえれば、分からないことがあってもすぐ凪月さんに聞くことが出来ますしね。本当に、ありがとうございます♪」

「え……お、おう。まぁ、どういたしまして」


 突然天使のような微笑みで殊勝な態度を見せられると、言葉に詰まってしまう。

 やはりと言うか、なんというか、結局言いくるめられた俺だった。


「ふーむ、それでは、テスト範囲はここまでということでよろしいですか?」


 しばらくすると、聖良が自分でまとめたノートをこちらに提示しながら、確認の意味で聞いてきた。線が細く、丁寧で美しい文字だ。


「あーっと、おう、そうだな。大体そんなところ」

「よかった。ありがとうございます。でも……これはこれは。私が習っていないところがけっこうありますね。張り切って勉強しないと」

「転入生だし、そこら辺は大目に見てくれるんじゃないか?」

 

 聖良の学習態度は至って真面目だ。ノートに向かっている時は、憎たらしい言動も大方息を潜めていた。

 それに転入試験も優秀だったという噂だ。

 教師の心象が悪いということもあるまい。

 いや、授業中は教師に隠れてかなーりふざけてますけどね? この女。いつまでシャーペンで俺を突いているのか。教師の話は聞いているしノートも取っているのが余計にムカつく。

 

「それはそうかもしれませんが……やるからにはやっぱり、いい結果を残したいので」


 やはり真面目だ。こいつ、人格が入れ替わっているのでは?


「彗星のように現れた美少女転校生・聖良ちゃんが学年一位を取っちゃいますよ?」

「そこまでかよ……」


 昔は俺に散々バカにされていた、あの聖良が?

 聖良は自信満々な様子で黒髪を揺らし、豪胆に笑む。


「惚れ直しちゃいます?」

「いやべつに」

「イケズー」


 ぷぅっと子供っぽく頬を膨らませる聖良。

 やば可愛い。ってちょっと待て俺。騙されるな戻ってこい。


「っ……い、一位を取るなら、最大の壁は七瀬だな」

「え、里桜りおちゃん?」

「うちで一番の才女だからな。入学以来不動の学年一位。その上、文武両道。おまけにいい女。我らが委員長に隙はない。おまえに勝てるかな?」

「ぷぅ……」


 また頬が膨らむ。

 やばい、突きたい。突こう。遠慮などいらない。俺は散々シャーペンで刺されている。

 本能のままに白いほっぺたへ指をダイブさせた。


「む……なんでしゅか」

「……何でもないです」


 柔らかかったけれどすぐに逃げられた。

 それから聖良は一度咳払いして、仕切り直す。


「絶対、里桜ちゃんに勝ちますので。しっかり目に焼き付けておいてください。私が勝利を収めた暁には、機嫌がすこぶるいい聖良ちゃんへの告白権利をあげますよ? 大チャンスですね」

「いや意味わからんわ」

「一緒に勉強しましょ~ってことですよ~」


 縋るように甘えてくる聖良と共に、俺たちは少し気の早いテスト勉強を始めたのだった。



「ふぁ……」


 二時間ほど経っただろうか。

 夏は陽が長い。まだまだ、太陽が沈むには早い時間だ。


 しかし勉強の疲労は身体に微睡を伝え始めていた。

 元々俺は、家で張り切って勉強するようなタイプではない。テストだって、その場しのぎの勉強で平均点程度をとって乗り切れば御の字。

 勉学に対するモチベーションなどありはしないのだ。

 そんなことをするくらいなら、せっかくの休日、ナンパに精を出したかった。


 しかし聖良は夏の暑さも、お昼の微睡も歯牙にかけない様子でシャーペンを走らせている。たいした集中力だ。

 その姿だけは、素直に応援したくなった。

 聖良がこれだけ頑張っているのに、俺が眠気に負けるわけにもいかないだろう。


 眠ってしまったが最後、聖良が何をするかも分からないしな……。


「凪月さん、眠いんですか?」

「眠くない」

「さっきから全然進んでませんってば。無理しないでください」

「大丈夫だって。問題ない」


 俺は強がりつつ、シャーペンを強く握る。

 しかし聖良は俺とは逆にペンを置いて、一息を吐いた。


「人間の集中力の一般的な持続時間は50分なのだそうです。だから、それ以上は無理しても効率が悪いんです」

「いや、おまえは全然集中力切れてなさそうだっただろ」

「私の集中力だって、もって二時間といったところです。もうガス欠です」

「そうなのか……?」

「はい。だから、うつらうつらしている凪月さんの可愛いお顔を横目で観察していました」

「なっ……」

「ふふ。疲れちゃったので、少し休憩してもいいですか?」

「ま、まぁ、おまえがそういうなら」

「ありがとうございます」


 聖良はからかいがちないつもの微笑みではなく、優しく瞳を細めるように笑みを見せる。

 明らかに俺を立てるような口ぶり。気を遣わせてしまった。

 今日の聖良はとことん俺の調子を崩してくる。


 だけど天使のフリはそこまでで、休憩に入った聖良は普段の調子に戻り、憎たらしかったということは言うまでもない。

 ただ、後ほど帰宅した妹の渚と、聖良。久しぶりに再会したのであろう二人のやり取りだけは、少し微笑ましかった。

 俺は、蚊帳の外だったけれど。


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