第8話 屋上の逢引き

「ちょんちょん。ちょんちょん」


 授業中。俺は隣席の女からしきりに妨害を受けていた。

 ずっとシャーペンで脇腹を突かれているのだ。

 

 聖良は俺以外に聞こえないよう小さな猫撫で声で話しかけてくる。


「凪月さーん。無視しないでくださいよー。ねーえー」

「……五月蠅い」

「あ、反応した。さっきのこと、考えてくれました? 歓迎会。了承してくれないと、凪月さんが悪者になっちゃいますよ?」

「授業に集中しろ」

「私はちゃんとノート取ってるし、先生のお話も聞いてます。むしろ集中出来てないのは凪月さんでは? さっきから手、動いてないです」

「誰のせいだ誰の」


 すべての元凶のくせして、聖良は悪びれた様子も見せない。


「凪月さん凪月さん」

「……なんだよ」

「こうしていると、授業中にいちゃつくカップルみたいですね」

「…………」

「なつくんとお隣で授業を受けたことってなかったので、新鮮です。ちょっと楽しんじゃってるかも」

「…………」

「うるさくしてごめんなさい。興奮しちゃってるんです。この場にいられるのが、とってもとっても、嬉しいんです……♪」

「…………」

「しばらくは、我慢してくださいね?」


 無視を繰り返していると、そのうちに聖良の独り言は終わった。

 どこまでが本心で、どこまでが偽りなのだろう。もしくは、すべてがウソなのか。

 とにかく、このままでは俺の高校生活がめちゃくちゃにされる。

 聖良をどうにかしなければ、彼女作りどころではない。


「おい」

「はいなんでしょう。しりとりですか? いいですよ。この授業、ちょっと退屈ですもんね。聖良ちゃんはドンとこいです」

「ちょっと話がある。放課後、屋上に来い」

「わお」


 聖良は大げさに開いた手を口に当てる。


「大胆。遅れても怒らないでくださいね。乙女には準備があるので♪」

「言ってろ」


 口約束を取り付け、その後の授業は滞りなく進んでいった。



 ◇



「来たな」

「緊張しすぎて逃げ出したいのも山々でしたが、他でもない凪月さんのお誘いなので♪」


 約束通り、クラスメイトに悟られぬよう集まった屋上。

 聖良は何か勘違いしているようだが、もちろん告白するために呼び出したわけはない。


「屋上で逢引きなんて初めてです。誰かに見られちゃったりしていませんか?」

「――――もう俺に関わるな」

「え?」


 聖良はきょとんと驚きで喉を鳴らす。


「なぜ? 私のこと、好きなのでは?」


「もう十分だろ。お互い関わるのはやめよう。関わるべきじゃない」

「転校生の私は、幼馴染のなつくんしか頼れる人がいないんですよ?」

「クラスメイトがいる。楽しそうに話してただろ」

「私、人見知りなので」

「昔はともかく今はもう違う」

「そんな。そんなそんな。人の本質なんてそう変わりませんよ。経験と技術で会話しているにすぎません。内心はいつだってそわそわビクビク。心を許せるのは、今も昔もなつくんだけ」

「嘘つけ」

「私にはなつくんしか……いないんですよぉ……」


 甘えるように蠱惑的な囁き。

 昔と今を絡めて話す聖良の言葉は、幼馴染である俺にとってどんどん曖昧なものになっていく。疑念が渦巻いてゆく。

 この縋るような表情も、絶対にウソだと思うのにその確証が持てなかった。

 それ付け加えて、幼馴染ではない「聖良ちゃん」に頼られるのを喜ぶ都合のいい男が心のどこかにいるのだ。


「なーんて。冗談はこれくらいにしましょうか」


 聖良はぺろっと可愛らしく舌を出す。


「お、おう」

「ドキドキ、しました?」

「してねえ」


 聖良はからかうように笑いながら美しい黒髪を屋上の風に揺らすと、話を進めた。


「まぁ真面目な話、クラスメイトでありながら関わらないというのは不可能ですし、それこそ不自然です」

「……それはまぁ、そうかもな」


 特にウチのクラスは七瀬を中心に全員の仲が良い。まとまりのあるクラスだ。あの様子なら聖良もすぐに溶け込むだろう。

 そこで俺が聖良に対して全く協調性のない態度を示していれば、それは間違いなくクラスで浮いた存在となる。

 七瀬にも迷惑をかけるかもしれない。

 数年に渡り仲良くしている手前、彼女の足を引っ張るような真似をしたくはなかった。


「不自然が続けば、いずれ私たちの関係を勘ぐる人間も現れるでしょう。そうなれば最終的にクラスで立場を悪くするのは凪月さんの方なのでは? それは嫌でしょう?」


 それも悔しいがその通りに思えた。

 昔が知れれば、聖良はこっびどくフラれた可哀想な悲劇のヒロイン。

 俺は特に格好いい主人公でもないくせして女の子を泣かせたヒールだ。

 今にしてみても聖良をナンパしたことが知れれば、何らかの理由で気まずい状況になっていることは簡単に推測される。

 それでも仲よくしようとしてくれるを跳ねのける俺はやっぱり、クラスの調和を乱す悪者でしかない。


「まぁまぁ、いいじゃないですか。過去のことは水に流して、仲よくしましょう? 聖良ちゃんのことが大好きな凪月さんは、心の奥底でそれを願っているはずです」


 聖良は握手を求めて、女の子らしい小さな手を差し出す。


「私だって、凪月さんと仲良くしたいのです。至ってふつうの友人関係を、ここで築いていきましょう。そうすればいつかは、満願成就の日が訪れるかも♪」


 聖良は俺の手を強引に取ってしっかりと握ると、満足したように背を向け歩き出した。


「これで仲直りですね♪ さ、歓迎会へ向かいますよ。道案内お願いしまーす」


 納得いかない。納得するわけがない。

 しかし俺が何を言っても、彼女は聞く耳を持たないのだろう。

 その上、思い通りにならなくて安心している俺もやっぱりどこかにいる。

 握られた手の温もりを噛みしめている。


 俺は以前として、聖良の掌上で踊るばかり。

 どこまでいっても、その胸中は読めないままだった。

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