第3話 ジンクス
「夕日が綺麗ですね~、凪月さん」
「だね。最高のロケーションだ」
眼前に広がるのは夕暮れの日本海。
喫茶店で寛いだ後、街を回りたいという聖良ちゃんに従って、案内をしていた。
最初は俺にとって馴染みのある店や施設を巡り、聖良ちゃんはすごく喜んでくれていたのだが、そのうちにそれも尽き、最終的には町の名所を訪れる流れに。
そして駅で手に入れたガイドブックに目を落とすと、聖良ちゃんが特に興味を惹かれたようだったのがここ。
恋人岬だった。
「本当に素敵……こんな所で結ばれることができたらって思うとそれだけでドキドキしちゃいますね」
カモメが飛び交う日本海に包まれた岬。
恋人岬という名前からも分かるように、ここは恋人たちの名所であり、告白スポットだ。
この場所で告白をすると、必ず結ばれる。
その後、ふたりで未来への願いを書いたプレートを柵に結び付け、岬の中心にそびえる鐘をふたりで一緒に鳴らす。
すると、ふたりは仲睦まじく幸せに、遥か彼方の未来まで一緒に居られる。
恋人として訪れ、プレートを書いても然り。
そんなジンクスの眠る場所。
「まぁ、さすがに出会って一日で来る場所ではなかったかな?」
俺だったら、重いと思う。聖良ちゃんが言わなければ、連れてくることは絶対になかっただろう。
「いいじゃないですか。もしかしたら、未来は違うのかもしれませんし」
「へ? それはどういう……?」
「さあ、どういうことでしょう?」
聖良ちゃんはクスクスと含み笑いを見せると、鐘の方へと歩みを進める。それから、柵に結ばれているプレートの一つを撫でるように、手に取った。
それを読んで、彼女は何を思っているのだろう。
夕日に照らされる彼女は、昼間よりも更に美しく、幻想的にさえ見えた。
「まぁ、私はかつてここで…………たんですけどね」
小さな呟きと同時、大きな波音が聖良ちゃんの声をかき消した。
「……今、なんて?」
「いいえ、なんでも」
それから聖良ちゃんはこちらをふわりと振り向く。
夕日の加減か、その微笑みには影が差しているように見えた。
「ただ、こういう場所のジンクスって夢があるようで、一種の呪いみたいだなって。そう思いまして。素敵だとは思いますが、あんまり信じていないんです。ごめんなさい。自分で来たいって言っておいて、おかしいですよね」
「意外と、リアリストなんだね」
まぁ、俺だってそんなジンクスは信じてはいないのだが。
真に受けすぎる方がどうかしているのだ。
あの日、私たちはここで結ばれたんだから。だから別れるはずなんてない。一生一緒に居られる。
もしそんなふうにジンクスに囚われたのなら、それこそきっと恋愛に浮かれている、一時的な感情に過ぎない。
ジンクスなんてものは都合よく、信じるべき時だけ信じていればいい。都合が悪くなれば、投げ捨てればいいのだ。
聖良ちゃんはもしかしたら、純粋にジンクスを信じたいからこそ、それが呪いにさえ思えて、自ら距離を取ったのかもしれない。
そんなことを思うと、彼女が更にいじらしく感じられた。
「夢見るばかりの可愛らしい時代は終わりましたので。やはり、恋愛といえどしっかり地に足付けていないと」
聖良ちゃんは鐘に背を向け、ゆっくりと俺の方へと戻ってくる。
「キレイなお話ももちろん好きですが、やっぱり泥臭くても、運命は自分の手で掴み取らないとって思うんです」
そしてとうとう、すぐにでも抱き合えそうな距離までやってきて足を止めた。潮風と一緒に、女の子の甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「そんな夢のない女の子は、お嫌いですか……?」
それはふわりと、息遣いさえも感じられる距離で放たれた甘い言葉。狙っているのかも分からない完璧な上目遣いは、視線を外すことを許してくれない。
一瞬でも気を抜けば、今すぐにその華奢な身体を抱きしめて愛を囁いてしまいそうだ。
いや、待てよ。
べつに抱きしめていいんじゃないのか?
たしかにナンパ初日からそこまで踏み込むなんてセオリーから外れている。
だがそれを言うなら、今の状況そのものがセオリー外だ。
この状況でどうして抱きしめてはいけない理由がある?
むしろ彼女からそれを求めているのでは?
いや――――、俺は抱きしめる寸前まで挙げそうになった両手を、静々と下ろした。
「すごく、いいと思うよ。俺は好きだな。聖良ちゃんの考え方」
「そうですか。良かったです。安心しました」
「安心?」
「空気読めてないーとか、引かれちゃったらどうしようかと思っていたので。こんなことお話したの、凪月さんが初めてですから」
「そんな心配、ぜんぜんいらないよ」
「凪月さんが優しい人で良かった」
結局、俺は何もしなかった。
聖良ちゃんの表情を注視しても、何が正しかったのかは分からなかった。
カノジョすらいたことのない俺に、女心など、分かるはずがないのだ。
だけど、今回は本気だ。
今日一緒に過ごして、そう思った。
この子を逃したくはない。
だからこそ、慎重になるのも悪いことではないはずだ。
現に彼女も機嫌を崩した様子はない。笑ってくれている。
「それでは、帰りましょうか」
しばらくの時間を過ごした後、日が暮れる直前の聖良ちゃんの一言で、俺たちは駅へ向かった。
「そうだ、聖良ちゃん。連絡先教えてもらってもいいかな」
帰り際、忘れないうちに俺は話を持ち出した。
これが出来ずに終わったら笑い者にもほどがある。先ほど耐えたことも何もかも、意味がなくなってしまう。
逆にここで断られたら、俺の選択が間違っていたことになるのだが……
「はい、もちろんいいですよ♪」
聖良ちゃんは待ってましたと言わんばかりに笑みを見せた。
「ふふ。凪月さんから言ってくれてよかった」
「え?」
「自分から男性の連絡先を聞くなんてしたことがなかったので。どう話を切り出そうかと頭を捻っていたところだったのです」
「そっか。それなら俺も少し勇気を出してよかったよ」
「はい。その勇気に感謝を♪」
それから、お互いにスマートフォンを取り出し連絡先の交換をする。
するとすぐにメッセージアプリの一覧へ新しいフレンドが追加された。
「は……?」
そこに表示されていた名前を見て、即座に眩暈がした。
――――
「どういうことだよ……これ……」
画面へくぎ付けになった視線の淵で、唇の端をこれでもかと吊り上げて不敵に笑う彼女――――聖良ちゃんの姿が映る。
「おまえが……あの……聖良なのか……?」
それは、かつての幼馴染とまったく同じ名前だった。
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