第44話 こぼれ落ちた幸せ⑧

正行も言葉に詰まった。見るに見かねた中野が那津の腕を引っ張った。

「とりあえず、病院の精算をしておいで。今晩からヘルパーが来るんだろう?今日はもう彼氏に帰ってもらったら?後で落ち着いて考えた方がいい。」


中野の言葉に我に返った那津は徳子の前に出た。

「今日は退院しなければならないので帰ります。この話はまた後日。」

「そうだね、退院するには入院代を払わなきゃ。彼氏も那津さんと精算に言ってきて。」

中野は困惑する若い二人を病室から追い出した。


徳子は那津と正行の後ろ姿を見送ると再びもも子をにらんだ。

「ウチに嫁に来ながらお前の面倒みろだって、那津にそんなヒマあるわけ無いだろう。お前は野垂れ死ね。」

それだけ言い捨てると、徳子は中野を従えて帰っていった。


 精算を済ませ、病室に戻る途中、正行は心配そうに那津に聞いた。

「お母さんのヘルパー代って月いくら?」

「思ったほどじゃないの」

うろたえたように那津は言い淀んだ。だが何度、那津が誤魔化そうとしても、正行は納得しなかった。

「…20万ぐらい。」

「…」

正行が息を呑むのが聞こえた。

「そう。」

ひとこと言うなり正行は黙り込んでしまった。


 病室に戻ると正行はもも子の荷物を持った。フン、と言ったまま正行にお礼も言わないもも子。那津は自分たちの周りの酸素がどんどん減っていく気がした。これじゃあ正行は息がつまる。

「正行さん、今日はありがとうね。明日から仕事でしょ?家からだと時間がかかるから先にバス停に送るね。」

那津は家に戻る途中、正行を高速バスのバス停に降ろした。正行が不安げに那津を見つめる。


「サッサと車を出すんだよ!」

怒鳴るもも子を無視して那津は車から降りた。そして正行の手を強く握った。

「今晩、ヘルパーさんと打ち合わせをしないといけないの。だから明日、帰る。」

「絶対、帰ってくる?」

那津は唇をかみしめて、しっかりとうなずいた。

「正行さん、待っててくれる?」

「僕も何か方法がないか調べてみるよ。」


今度は正行が那津の手を握り返した。正行を見上げた那津の目尻から一筋の涙がこぼれる。その涙を指先で拭ってやった正行はつらそうな微笑みを浮かべた。


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