第37話 こぼれ落ちた幸せ①


 次の朝、出勤前に那津は久しぶりに母に電話をかけた。だが出ない。母の留守電に至急、連絡が欲しいとメッセージを残して出勤した。

 昼休み、スマホを見ると留守電が。メッセージは倒れた母が緊急入院した病院からであった。那津は上司に掛け合って早退。アキにだけは母が倒れたので実家に帰ると伝え、急いで母の入院する病院に向かった。


 久しぶりに乗る成田線。成田から銚子に向かうにつれ水田が多くなる。それでも母のいる病院の最寄り駅は住宅がまだ多い。駅からタクシーに乗り、那津は病院に向かった。


 母の病室の前に着き、ノックをして引き戸を引く。母は4人部屋のドア側のベッドで眠っていた。ベッドまわりのカーテンをひいた薄暗い中、以前から心臓が悪かった母の顔はやつれたように見えた。しばらく母の横で椅子に座っていると那津は主治医に呼ばれた。


ナースステーションの隅で中年の主治医から母の容態について説明された。

「お母さん、山根もも子さんの容態ですが、以前から心臓が悪かったんですね。もう何度も発作を繰り返しておられて、今回は幸運にも一命をとりとめましたが、次に発作が起きたら難しいと思います。」

そんなに悪かったのか。いつまで入院するんだろう?那津が困惑していると、主治医はたたみかけるように話を続けた。


「今は落ち着いているので病院としては入院してする治療はないんです。ですからお身内の方が来られたので明日にでも退院してもらえますか?」

「ちょっ、ちょっと待って下さい。私、普段は遠方にいるんです。」

「うーん、でも伸ばせても一日ぐらいですよ。」

主治医は縁をつまんで眼鏡をかけ直した。那津はとりあえず、退院を明後日にのばしてもらった。


 病室に戻ると母が目を覚ましていた。母は那津の姿に気がつくと、睨みつけてきた。

「アンタ、何してたのよ。なんでサッサと来ないのよ。」

「これでも精一杯よ。心臓、そんなに悪くなってたんだね。」

「アンタが心配かけるからじゃない。次、発作起きたらアタシ、もう死ぬのよ…」

初めは強気だったものの最後は弱々しい涙声。もも子は布団で顔を隠した。


「明後日、退院だから。今から帰って準備するわ。」

「退院なんて、一人でやっていけるわけないじゃない。那津、帰ってきなさい。こっちに帰りもしないで、今まで東京で好き勝手してたんだから、いい加減親の面倒みなさいよ!」

「東京ったって外れの方じゃない。お母さんがこっちより給料がいいからって決めたんじゃない。帰るぐらいなら帰省費用も送れって、仕送りに加算させてたのはお母さんじゃない。」

那津は悔しくて涙がこぼれた。引き戸を引いて、那津は病室から出ようとした。


そこで病室に入ろうとした女と那津は危うくぶつかりかけた。

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