第29話 那津の幸せ⑥
「もも子の娘か?お前、カワイイなあ。」
男の様子に母はみるみる鬼のような形相になり那津に怒鳴った。
「何、勝手に早く帰ってきてんのよ!出てけ!」
弾かれたように家を飛び出した那津。どうしていいか分からず、あてもなくさまよった。そして夜空に星が瞬き始めた頃、再び家に帰り着いた。チャイムを押すと乱れた髪を手でなでつけながら母が、ドアを開けてくれた。もう男は居なかった。
しばらく母娘は目を合わさなかったが、タバコに火を点けたもも子が口火を切った。
「アンタ見たでしょ。アタシはあの人と暮らしたいのよ。ずっとアンタのために我慢してきたけど、もういい加減、アタシも女の幸せがほしいのよ。だから卒業したらアンタには家を出て欲しいの。」
もも子はタバコの煙をくゆらせながら那津をにらみつけた。
母にハッキリと出ていってくれと言われ、那津はショックだった。
この家を出て、どうしたらいいの?
「お母さん、私はどこに住めばいいの?」
「寮のある会社に行ったらいいじゃない。そしてできるだけ給料の高いところね。アタシが言うまで帰らなくていいから帰省の費用も仕送りするのよ。アンタにはめちゃくちゃ金がかかったんだから。少しは親孝行してちょうだい。」
帰らなくていい?アタシはいらないの?
母の言葉に那津は顔色を失った。言うだけ言うともも子はタバコを灰皿に押し付け、フトンをかぶって背を向けた。悲しくて目が潤んできたが那津はもも子の言葉を受け入れるしかなかった。
就職担当の教師との面談の日、那津の向かいに座った教師はぶ厚いファイルをめくりながら面談を始めた。
「山根の希望の条件は?女の子だからやっぱり地元だろ?」
教師は地元企業のところをめくろうとした。
「いえ、家から離れた土地で寮があって、できるだけ給料の高いところをお願いします。」
「なんだ街に行きたくなったのか?勝手に決めて親御さんと喧嘩にならないか?」
「いえ、お母さんから家を出て欲しいと言われました。だから寮があるところがいいです。それに帰省費用も仕送りするよう言われてますので、たくさん仕送りできるような給料の高いところをお願いします。」
ファイルをめくる手を思わず止め、教師は驚いた顔をした。
「本当に、お母さんがそんなことを言ったのか?喧嘩して売り言葉に買い言葉みたいなもんじゃないのか?」
那津は下を向いて何度も首を振った。
「お母さん、私が卒業したら彼氏とうちに住みたいんだそうです。だから帰って来なくていいって。」
「そうなのか。わかった。山根が楽しく暮らせるようなところを探そうな。」
教師の温かい言葉に那津が顔を上げた。哀れみを含んだ優しいまなざしに包まれ、時間はかかったが那津は条件を満たす就職先を見つけることができた。
那津の話を聞いて成瀬は複雑な顔をした。
「私、以前は少年課にいたんですよ。お母さん、うーん…いい先生で良かったですね。就職先は大丈夫でした?」
「…ええ。親友もできましたし、素敵な人とも出会えました。」
そういう割には那津は全然幸せそうには見えず、寂しげに目を伏せる。
「浦原さん、親友も素敵な彼もできたのになぜそんなに悲しそうなんですか?幸せの絶頂じゃないんですか?」
那津は小さく首を振った。
「もう!気になります!教えて下さい!」
「でも昨日会ったばかりの、しかも警察の方に話すような内容じゃないですよ。事件には全く関係ない上に、ちょっと長い話ですし。」
「今の私は警官ではなく一人の女子として気になります。聞かなきゃ気になって今夜は眠れそうにないです。」
「そ、そうですか。じゃあ…」
成瀬の勢いに飲まれて那津は引き気味ながらも話し始めた。
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