第12話 不穏な予感➁

「…どうぞ。」

小さな、しかしハッキリとした声がして、敦人はドアを開けた。


 病室は狭い個室。安ホテルのシングルルームのよう。ドアから中へ入りこんだところにベッドがあった。病院で借りたパジャマを着て、以前より髪が伸びた那津が少し起こしたベッドの背もたれに体を預け、窓の外を見ていた。



 「那津さん…」

振り返った那津の顔を見て、敦人はこみ上げる想いに言葉が詰まってしまった。屈んだ敦人は那津の手を取り、自分の胸元に那津を抱き寄せた。儚げな那津の横顔。自分の不在でどれほど那津が辛い思いをしたのか。

「那津さん、辛かったね。もう離さないよ。一緒に北海道に行こう。」

敦人の頬から熱いしずくがポトリと落ちた。


那津は敦人の背に手を回し、ギュッと抱きしめた。そして敦人の胸元で那津が顔を上げた。

「敦人君、会いたかった。」


敦人君?

敦人は違和感を感じて、あらためて那津の顔を見た。そこにはいつもの寂しげなまなざしではなく、しっかりと敦人をみつめる那津がいた。


「…那津さん?」

「嫌だ、敦人君、私のこと忘れたの?ごめんね、あの日、待ち合わせの場所に行けなくて。」

ニコニコと明るく微笑む那津。こんなに明るい那津は珍しい。それに那津は今まで自分のことを「敦人さん」と呼んでくれたのに。混乱した敦人は思わずそろりと那津から体を離した。

「なんか、雰囲気変わりましたね。火事で大変だったからかな?」

「そうよ、火事でヤケドして大変だったの。あの日、ダンナの茂男が金出せってやってきて、もみ合いになったの。それでコンロの火がフキンに燃え移って火事になってしまったの。消そうとしてるうちに火にまかれてね、よく助かったものだって言われたわ。」

「那津さんが助かって本当に良かったです。で茂男さんは?」

「アイツ、火を出したもんだから逃げ回ってんじゃない?行方不明よ。」

「行方不明…」

「そう、だから失踪宣告だっけ?それ出せば7年経ったら死んだことになってあたし達、結婚できるわ。」

「ちょっと待って。そのうち茂男さん、出てくるかもしれないじゃないですか?ちゃんと弁護士に入ってもらって離婚話をすすめましょう。弁護士してる先輩がいるんです。」

「やあねえ、心配性なんだから。」

「そ、そうですか。」

那津の明るい笑い声に敦人は何も言えなくなった。


当たり障りのない話をして、敦人は帰ることにした。

「那津さん、ともかく生きていてくれてよかったです。明日、東京の弁護士をやってる先輩に会うので相談してみます。今度こそ一緒に暮らしましょう。」

「うん。今度こそ敦人君について行く。お願い、また近いうちに会いに来て。」


「もちろんです。」

敦人は大きくうなずいた。それを見て那津はベッドの上から弾けるような笑顔で敦人を見送った。個室のドアを閉め、敦人は静かに大きく息を吐いた。

那津さんが生きていてくれて本当によかった。だが、那津さんなんか変わったな…

敦人の心の中に小さな黒いシミがポツリと現れた。

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