第57話
可紗は普通の人間、それもただの学生だ。
同じ学生でも汀は蛟、マオは猫又。
養い親は魔法使いで執事は吸血鬼。
世話になった弁護士は化け狸で同級生に人魚がいる。
そんな世界を、彼女は今まで知らなかった。
きっと誰もが知らなくて、そしてすぐ傍にあっただけに違いない。
もしかすればもっと近所にもそういう存在がいるのかもしれない。
小中学校の同級生や、先生、果ては普段買い物をしているスーパーなどにもいるのだろう。
知らなかっただけで、知らなくても生きていけるだけで。
「可紗、どうかした?」
「ううん、なんでもないよ。送ってくれてありがとう」
「……そういえば、この間見せてくれたスケッチブックのあれ。本にしないの? 応募とかも探したら出来るんじゃないかな」
「ああ、あれ?」
魔法使いと女の子の物語。
タイトルも決まっていない、可紗の想いがこもった物語。
完成して、母の願いを受け取った可紗はそれを約束通りジルニトラに見せた。
そして、その後にヴィクターや汀にも見せたのだ。
「あれは、あれで大事にしとこうと思ってるんだ」
「そっか」
きっと将来、もっと色々できるようになったとき可紗はあれを見直して稚拙だと笑うのだろう。
それでも、自分の作品を大事に思うに決まっている。
だってこれは原点なのだ。
笑顔で汀と手を繋ぎ、可紗は家の前で少しだけ世間話に興じる。
別れを惜しむ若い恋人たちを、二階のベランダからジルニトラとヴィクターが見ていた。
「お前はあの子を手放さないと思ったんだけどねえ」
「……なに、若いうちは色々な経験をするべきだろう。可紗が泣くことでもあれば、遠慮せずにおれがもらい受けるつもりだ」
「いやな男だねえ、あんたは」
「褒め言葉として受け取っておく」
「……こういうときは、素直に惚れた女のために身を引いたって言ってもかまやしないんだよ。あんたもまだまだ、青いねえ」
くすくす笑うジルニトラが、そっと手を振る。
どこからともなく吹く風に、可紗がぱっと二階を見上げて嬉しそうに笑顔を見せた。
「ジルさん!」
「おかえり、可紗。三ツ地のボウヤもよければ夕飯を一緒にどうだい」
「こんばんは、ジルニトラさん。お誘いありがとうございます、……家に連絡を入れますので、お言葉に甘えさせてもらってもいいですか」
「勿論だとも。ねえ、ヴィクター」
「無論だ」
夏の夜がやってくる。
まるで夢のような世界を、子どもたちに見せるのだ。
キラキラ、キラキラ。
小さな輝きが視界を掠めた気がして可紗は花壇に目をやった。
日が落ちて、薄暗くなった庭先の中でも鮮やかに咲き誇るひまわりが、風に揺れている。
今までは、そんなものだと思っていた光景に、小さな妖精が垣間見えるようになった。
小さく手を振るその存在に、可紗も思わず手を振り返す。
「可紗、早く入りなさい」
「あ、はあい! 今行きます!!」
パタパタと急いで走る少女の背を見守るように、ひまわりがまた揺れた。
柏木可紗は、普通の女子高校生である。
だけれど、ほんの少しだけ物事を知り、ちょっとだけ少女は大人になったのだ。
魔法使いの名付け親 玉響なつめ @tamayuranatsume
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