第42話

 翌日、ヴィクターがいつも通りだったことに可紗は微妙な気持ちになった。

 

(やっぱり、からかわれたんだ)

 

 可紗はそう思ったが、心の中で自分の感情が揺れたことにとても驚いていた。

 からかわれて恥ずかしい、悔しいという羞恥からくる怒りがある。


 それと同時に、落胆したのだ。

 

(なんで、だって私はヴィクターさんをそんなふうに見たことなかったのに。ちょっと口説かれただけで恋愛対象に思えちゃうって私、チョロすぎない?)

 

 もやもやとした気持ちを抱えたまま、いつも通り登校する。


 自分の気持ちがはっきりとわからないことが、たまらなく気持ち悪かった。

 今まで恋だと思っていたものが本当に恋なのか、それともそれは憧れでしかなく、他の人から〝恋われて〟初めて世界が広がったのか。


 まだ可紗には、わからない。

 

「あら可紗じゃない! どうしたのよ、酷い顔しちゃって」

 

「……ウルリカ……」

 

「どうしたのよ、おなかでも痛いの? 拾い食いでもした?」

 

「私のことなんだと思ってんの!?」

 

 気まずさからいつもより少しだけ早く登校した可紗だったが、そんな彼女の姿を見つけて近寄ってきたウルリカは心配そうだ。

 ウルリカは冗談を言ってくれてはいるが、その心配そうな表情から自分が本当に酷い顔をしているのだろうと察することができて可紗はため息を吐いた。

 

「ねえ、ウルリカって……前に言ってた人に、今も恋してるの?」

 

「は? なによ急に」

 

「うん……いやちょっと。恋って、わかんなくなっちゃって」

 

「……アンタ、ほんとに大丈夫? ねえ、今日は昼休み一緒にお弁当食べましょ」

 

「うん……」

 

 覇気のない返事に呆れたような顔を見せながら、ウルリカは可紗に寄り添って教室まで送ってくれた。

 

 今まで、同級生としてきたコイバナは、一体なんだったんだろう。

 可紗はそう胸の内で呟く。頭に浮かぶのは、汀の姿とヴィクターの姿。

 

(漫画とか小説だったら、二人のカッコイイ人に言い寄られるヒロインって、キラキラしてるのになあ)

 

 自分と来たらどうだ、うじうじ悩んでそもそも恋とはなんぞやから始まっている。

 もう少しロマンス的ななにかがあってもいいだろう、乙女心いっぱいの現役女子高生のはずなのに。


 自分でそんなことをツッコミながら、可紗はぼんやりとその日、授業を受けた。

 

 ぼんやりとしているせいか、いつもよりも昼休みがくるのは早く感じたし、ウルリカが迎えに来てくれて食べに出た中庭は初夏の日差しで少し暑かった。

 

「早めに来れたから日陰とれたわね! 良かった、夏の日差しは人魚には天敵なんだから!」

 

「……それ、人魚に限らずじゃない? ウルリカは肌が白いからね、焼けると痛いんじゃないかな」

 

「そうなのよ、もう大変なんだから!」

 

 中庭にはいくつかのベンチがある。

 園芸部が整えている花壇には、サルビアやナデシコが綺麗に花を咲かせていた。

 日差しは既に夏を予感させるように強くなりつつあり、薄着の生徒たちのはしゃぐ声がそこかしこに響く中で二人はそれぞれに持ち寄ったお弁当を広げ、どちらからともなくおかずを交換し始める。

 

「ウルリカんちのお母さん、料理上手だよね。この肉団子美味しい」

 

「アンタんとこのあの吸血鬼なんなの? 女子力高くない……?」

 

「それな」

 

 可紗の弁当はヴィクターが作っていて、そのことはウルリカには話してあった。

 お弁当のおかずを見て作り方を聞かれても、ヴィクターが作っているから知らなかったので正直に答えた結果だ。

 

 可紗自身、料理ができないわけではないし母と二人暮らしの時は自分で作ることも多かったのだが、ヴィクターは決して彼女に炊事をやらせない。

 執事の仕事だと言い切り、勉学に励めとそればかり。

 確かに、家事に時間が取られないことで可紗の学力は上がった気がする。


 色々とお世話になっていて、自堕落になってはいけないと彼女自身が奮起した結果でもあるので、そういう意味ではヴィクターが正しいと言えた。

 

「それで? ワタシの恋なら、続いてるわよ」

 

「……今も絶賛、片思い?」

 

「ええ、そうね」

 

「辛くない?」

 

「そうね、辛いわ。でも好きな人の姿が見れたときには嬉しいし、今のワタシじゃ相手にされないだろうし、両親を納得させられもしない。だから今は女を磨いているの」

 

「……ウルリカの恋って、どんな感じ?」

 

「どんなって?」

 

 ウルリカの真面目な表情に、可紗はうっと言葉を詰まらせてからポツポツと話し始めた。

 

 好きな人がいて、その人を見ているだけで十分だったこと。

 その人に恋人がいてもいなくても、自分が立候補したいなんて思ったことがなかったこと。


 だからこの気持ちは、憧れだったのではないかということ。

 そして別の人に、明確に恋していると言われてはいないが一緒にいたいと言われて、初めて自分の恋は恋だったのか疑問を持ったこと。

 

 それらを可紗が語り終えたところで、ウルリカは弁当に残っていた最後の一口を飲み込んだ。

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