第40話

 そんな中で、自分が夢を持っていたのだということを思い出してから、可紗の中に小さな変化が生まれていた。

 ほんの少しだけ、この間図書室で思い出した幼い頃の夢を頭に思い描いて、進学でいいだろうかと漠然とした進路に対して背中を押す一手となったのは確かだ。

 

 だがそれでいいのだろうか? 


 夢を追うことは悪いことではないだろうが、それだってまだまだ漠然としていて、変わってしまうかもしれない。

 そう思い始めてしまうと、次の一歩が進めなくなってしまったのだ。


 勿論、一人で思い悩むくらいならばジルニトラたちに相談しようと可紗だって何度も考えた。

 

(でも、ジルさんたちはきっと私の自由にしていいって言ってくれる)

 

 彼女たちの言葉に、甘えていいのだろうか? 

 なんでも許される、そんな道を選んでも?

 

 しかしそれは、可紗にとって違うのだ。

 自身で悩んで悩んで、それから結論を出すべきことだと彼女は思う。


 だけれど、明確に『コレだ!』という決め手には欠けていたし、絵本作家なんてものは現実的かと問われると、とてもふわっとした夢でしかない。

 絶対になるのだというほど強い意志があるわけでもないのに、その方向で進学を決めるべきなのか。


 その程度の気持ちなら、もっと就職に有利な資格の取れる専門学校へ進学すべきではないのか、そう気持ちが揺れるのだ。

 

「まあ、もうちょっと悩んでから相談しようって思ってるんだ!」

 

「……そっか。ぼくで良ければ、いつでも話は聞くよ」

 

「ありがとう! 汀くんにカノジョいないってわかったし、これからはもっと話しかけちゃうかも」

 

 可紗は自分の考えがドツボに嵌まる前に笑顔でそれを振り切った。


 悩むにしたって、汀の家で庭を案内してくれている今でなくてもいいではないか。

 折角片思い中の彼と一緒にいるのに、すぐ答えの出そうにないことを考えているのは勿体ない。


 そう思って茶化すように言えば、汀はきょとんとした顔を見せてから笑った。

 

「そうしてくれると嬉しいよ。ぼくも、可紗さんともっと話したい」

 

「……そ、そういうことあんまりポンポン言っちゃだめだよ? 女ったらしって言われちゃうからね?」

 

 誤解しちゃうでしょと可紗が怒ったような顔をしてみせると、汀はきょとんとした様子で首を傾げる。

 コレは本格的に無自覚だと脱力した可紗に、汀は少し考えてから「ああ」と納得した様子で何度か頷いた。

 

「……今まで、こういうことはなかったから、わからなかった」

 

「え?」

 

「三ツ地の跡取りということで、今までも色んな人から話しかけられたり好意を向けられることはたくさんあったんだ。だけど、ぼくが自分から話したいとか……自分の気持ちを打ち明けたいって相手は、いなかった」

 

「……それは、汀くんがあやかしの血を引いているから一線を置いていただけじゃなくて?」

 

 たまたま、可紗が彼らが隔てていた線の、まるで真上に立ったかのように微妙な位置にいて、彼らの存在を知ったから。

 人と一緒に暮らす、人ではない者たちの存在に、気がついた人間だったから。


 そんな偶然の産物である可紗に、なんとなく興味が湧いて、偶然が重なって親しくなって。

 

 汀の感情がそこから来るものならば、それは別に可紗でなくても良かったことになる。

 これから、もっともっと出会いを重ねて汀が想いを寄せる相手にも出会うのだろう。

 

(まるで私が特別……みたいなこと、言わないでほしい)

 

 そんな自衛の気持ちで可紗が冷たく突き放すような言葉を発せば、汀はそれに気分を害した様子もなく首を横に振った。

 

「それは勿論あると思うけど、可紗さんは……こう、話していて楽しいんだ。なんて言えばいいのか、わからないけど……」

 

「汀くん……?」

 

「多分、ぼくは初めて会ったときから可紗さんのことが気になっていたんだ」

 

「え?」

 

「どんな子なんだろうって。それは、きっと……」

 

 そこで、汀は言葉を途切れさせた。

 見つめられた可紗は呼吸の仕方以外全てを忘れてしまったように、彼を見つめ返すしかできない。

 

 ざあっと風が強く吹いて、藤の花が大きく揺れた。

 

 可紗のほどけたままの髪が風になびいたが、なにも気にならなかった。

 目の前の、汀の視線にまるで囚われたような感覚で、目が逸らせないでいる。


 そんな可紗に、彼はふっと笑みを浮かべて手を伸ばしてなにかを言おうと口を開いたのを見て、彼女は思わずぎゅっと目をつぶった。

 

「ぼっちゃああああああああん! 奥様がお呼びですう~!!」

 

 そして、汀が言葉を重ねようとしたその瞬間、大きな声が二人の耳に届いた。

 途端にそれまでの空気が霧散して、可紗も汀も声がした方向へと視線を向ければ、マオが手を振りながらこちらに駆けてくる姿が見えるではないか。


「……マオ……」

 

「あっ、あれ? お邪魔でした……?」

 

 がっくりと肩を落とした汀が恨めしそうにマオに視線を向けたことで、彼女もタイミングが悪かったと察したらしく猫耳を平らにして頬を引きつらせている。

 

 だが必死に笑顔を浮かべ、マオは二人の元へ歩み寄り――可紗の後ろに隠れた。

 

「奥様がお呼びなんですう」

 

「……可紗さんの後ろに隠れるんじゃない。まったく……」

 

「ふええん、坊ちゃんが怖いですよう、柏木様ぁ~」

 

 本気で怯えているのか、可紗にしがみつくマオの顔は真剣そのものだ。

 だが汀が怒っている様子は見られず、可紗としてはどうしていいかわからずオロオロとするしかない。

 

「こらマオ。お客様を困らせるんじゃない。……母さんが呼んでいるんだろう、すぐに行くからそう伝えてくれ」

 

「かしこまりましたあ!」

 

 ため息交じりに汀に指示を出されたマオはぱっと笑顔を浮かべると、可紗に向かって満面の笑みを見せたかと思うと軽やかに駆けていく。


 その身のこなしは確かに猫のようで、可紗は笑ってしまった。

 そんな彼女に、汀が先に立ち上がり手を差し出す。

 

「行こう、可紗さん」

 

「う、うん」

 

 先ほどまでの空気がまるでなかったことのように元通りの汀に、可紗は目を丸くする。

 

 だが、汀はそれを気にする様子もなく手を繋いで、元来た道を歩き出した。

 庭なのだからそう遠いこともないのだが、今度は会話がまるでなくて可紗はどことなくこの沈黙が気まずいもののように思えてならない。


 なにか言わなければと会話の糸口を探すが、なにも見つからない。

 そうこうしている間に、彼女たちが出てきた縁側が見えてきた。


 思わずほっと息を吐いた可紗に、ふと汀が立ち止まって顔を寄せる。

 

「……邪魔が入ったから、話の続きは今度ね」

 

 可紗の耳にそう囁いた汀が、そこでするりと手を離す。

 

 そして、すたすたと先を行って中に入ってしまう彼を、可紗は呆然と見送ったのだった。

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