第38話

「きみは、強いんだね」

 

「え?」

 

「ご両親のこと、とても辛い話だ。ジルニトラさんを信じるまでには色々あったと思うけど……怖い思いをして、それでも今こうしてぼくを励ましてくれたりするじゃないか」

 

「……そ、だね。怖いこともあったけど……でも、ジルさんはちゃんと助けに来てくれた。お母さんも、私も」

 

 偶然であった母子を、ただの口約束ではなくこうして守ってくれている。

 そんな人に出会えたことは奇跡だと彼女は思うのだ。人ではないけれど。

 

 こんな奇跡、感謝せずにはいられない。

 可紗はそう思ってリボンを握りしめた。

 

「今回も、あの人が全部解決してくれたってことか」

 

「うん。ジルさんはすごいんだよ」

 

 可紗は心からジルニトラのことをそう思う。


 ジルニトラが何者であれ、可紗にとって誰よりもヒーローなのだ。

 それは、誰にも覆せない、彼女の中での事実だった。

 

「ジルさんはね、物知りだし優しいし、ちょっと大雑把だけどお料理も刺繍も上手なんだよ。まあ、普段の料理とか掃除は、ヴィクターさんがやってるんだけどね……私も手伝おうと思うんだけど、気づいたら全部二人とも終わらせちゃってるんだもの! ひどいよね」

 

 くすくす笑う可紗に、汀も穏やかに相槌を打つ形で二人は会話を続けた。

 そんな中、ふと汀が家の方に視線を向ける。

 

「……ヴィクターさんっていうのは、可紗さんにとってどんな人?」

 

「ヴィクターさん? うーん、そうだなあ……最初に会った時は、とにかく綺麗な人だなって思った。ジルさんも十分美人なんだけど、ヴィクターさんはまた違う次元の綺麗さだよね」

 

 問われて、可紗はヴィクターについて考える。

 性別問わず誰もが美しいと彼のことを表現するだろうと断言できる、そんな男性だ。

 一見すると性別がわからないが、中身は大変男らしい。

 口調はぞんざいだが、いつだって細やかに気遣ってくれる。

 

 フランスに長いこと住んでいたらしいが、出身はまた違うと言っていた。

 狩りが得意だとジルニトラから聞いているが、それがなにを指し示すのかは怖くて詳細は知らない。


 だってヴィクターは、吸血鬼だから。

 

(まあヴィクターさんは、吸血鬼の美学? ってやつがあるって前に言ってたし、むやみやたらに……とかはないんだろうけど)

 

 聞いて具体的にグロテスクな話を聞かされるのは、ホラーが苦手な可紗からすると困るのである。

 まさか現実世界の方がホラー映画に出てくるような人外の存在と出会う羽目になるとは思いも寄らなかったが、彼らと接するうちに彼らには彼らなりの事情があったりするのだと理解すれば、恐怖もない。

 

 ジルニトラとヴィクターに守られているという安心感も、それを助けていた。


 それは、子どもらしく親に甘える信頼であったが、可紗は無自覚だ。

 それでも無自覚なりに、可紗はジルニトラへ思慕の念を向けており、それは理解できているようだった。

 

「あ、でも最近は……なんだろう、もうちょっと女子力を磨けって言われるよ。なんだろうね、ジルさんよりヴィクターさんの方がお母さんみたい!」

「……へえ」

 

 おかしいでしょうと笑う可紗に対し、汀は困ったような顔をしている。

 そのことに気がついた可紗は、首を傾げた。

 

「どうかした?」

 

「いや、……仲がいいんだなと思って。ぼくも、そのくらい可紗さんと打ち解けられているんだろうか」

 

「打ち解けてるよ! 最近はね、汀くんとメッセージのやりとりとか、放課後の委員会とかで話せるのがすっごく楽しいよ!!」

 

「……そ、そう?」

 

「うん。……私もね、ずっと、汀くんと話がしたいって思ってたんだ。友達になりたいって……」

 

「可紗さん……」

 

 それは可紗の正直な気持ちだった。

 

 恋人になってほしいなんて思わない、いや、ちらっとは思っているが高望みなんてしない。

 見ているだけで十分なんて淡い恋心だったのだ、

 こうして一緒に他愛ない話をしたり、悩みを打ち明けたり、相談したり、メッセージのやりとりをする……そんな何気ないことが、彼女にとっては幸せなのだ。

 

 だから、汀が『友達になりたい』と思っていてくれたことも、友達になれたことも、可紗にとっても願っていたことなのだから嬉しくてたまらない。


 そのことを正直に汀に伝えれば、彼は頬を朱に染め上げた。

 

「あ、ありがとう……ぼ、ぼくも、嬉しいよ……」

 

「ね、今度はうちに遊びにおいでよ。あー、うん、ほらジルさんだって怖くないでしょ? みんななんか怯えてるっていうか……マオさんなんて尻尾がこう、ぶわーってしたあと体に巻き付けて最終的に真白さんの後ろに隠れちゃってたけど」

 

 思い出すのは、招かれてやってきた三ツ地家の門をくぐったところで出迎えてくれたマオの様子だ。

 真白と共に出迎えてくれたマオだが、丁寧にお辞儀をしつつもジルニトラの姿を見るなりその猫耳はぺたりとさせ、尻尾は体に巻き付いてしまったのだ。

 

 結局、真白が叱責して下がらせたので、その後は会っていないが……大丈夫だっただろうかと可紗は心配していた。

 

「あとで叱られないといいけど」

 

「ああ……マオは未熟な猫又なもんだからね……ジルニトラさんには失礼なことをしたって、真白さんからお説教があると思うよ」

 

「気にしてないよ! だってあの日、ジルさんを見た大人たちはみんな怖いくらい殺気立ってたし……それを考えたら仕方ないのかなって」

 

「だけど、お客様として迎えるってことは事前にわかっていたからね。褒められた態度じゃない以上、三ツ地家で働く者として注意は仕方ないと思う」

 

「そっか……」

 

 可紗としてはそこまで言われればこれ以上意見を述べることもできない。

 アルバイトで接客をしている可紗にも、理解はできることだったからだ。

 

「でも、可紗さんが気にしていたことは伝えておくよ。真白さんも、マオが孫だから余計に厳しいところもあるんだ」

 

「そうなんだ」

 

 なるほど、祖母と孫という関係もあるのであればなおのこと身内贔屓ができない分、厳しくなるのかもしれないなと可紗は納得した。

 

 どうやらジルニトラは人ならざる者たちの中で相当上位の存在なようだし、マオが萎縮するのは仕方ない話なのではと可紗は思ったが、仕事として考えるならば叱られるのも仕方がないのかもなと考え直すことにしたのだった。

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