第37話

 どうしてそう思えたのか、可紗にもわからない。


 純粋に人間である可紗が、人外の存在を受け入れてくれたのがそれほどに嬉しかったのか、あるいは同年代でそれを打ち明ける相手がいなかっただけなのか。

 おそらくはそんなところではないかと可紗は理由をつけた。

 

「きみが見た金の瞳も、鱗も、蛟の片鱗だ。一年に何度か、今も祭事を行うことと土地のあやかしたちと人との繋がりを保つ役目を担っている。……うちの父親はきみと同じで生粋の人間だよ」

 

「汀くんのお父さんは、蛟の話を理解しているの?」

 

「うん。母さんが説明した上で口説き倒したんだってさ。最初は信じてもらえなかったらしくて、最悪逃げられそうなら催眠でもなんでも使う気だったらしい。我が母ながら、とんでもないことを言うよね」

 

 親のなれそめを聞いたときは汀も言葉が出なかったらしく、力なく笑うその姿はやはりどことなく元気がない。

 可紗は意を決して、手を伸ばして汀の右手を両手で包んだ。

 

「よくわかんないけど!」

 

「あ、可紗さん?」

 

「元気、出してほしい……」

 

「…………」

 

「なんか、元気ないよね。もしかして、その、三ツ地のおうち継ぐのがとても大変なのかな。私、愚痴くらいしか聞けないけど……ええと」

 

 可紗は必死で言葉を紡ぎながら、とにかく元気を出してほしいと繰り返す。


 彼女の唐突な行動に呆気にとられていた汀は、そんな可紗の必死さに次第に困ったように眉を下げて笑った。

 

「ごめん。余計な心配かけちゃったね」

 

「え? い、いや大丈夫だよ! 友達だもん、当然じゃない!!」

 

「うん。……正直ね、この間のこととかぼくはなに一つできなかっただろう? 元々そんなに大したことができるわけじゃなかったんだけど……でも、自信がなくなったっていうか、今までなにを学んできたんだろうって思ったんだ」

 

 汀はこの家で、久しぶりに蛟の色が濃い子どもが生まれたと喜ばれた存在だった。


 その分、一族からの期待は大きかったし、周囲のあやかしたちもやれこれで安泰だと胸をなで下ろし、彼の成長を常々楽しみにしてくれていた。

 幼い頃はまだわからなかった分、可愛がられているのだというだけで良かった。

 

 だが、次第にそれは重圧に変わる。

 

 それでも彼らの期待に応えてきたという自負が、汀にはあったのだ。

 

「でも、実際に呪われてるきみを前にして、助けなくちゃって思うのに焦るばっかりで上手く力を制御できなくて、結局みっともない姿を見せて」

 

 更にウルリカを前にして、説得どころかケンカになって。

 挙げ句にジルニトラとヴィクターを前に萎縮して、まったく動けなかったのだ。


 力量の差に愕然とすると同時に、悔しくてたまらなかったのだという。

 

「本当に、ごめん」

 

「汀くんが謝ることじゃないよ。……ジルさんってそんなにすごい人だったんだね、あ、人じゃないけど……」

 

 可紗は汀が落ち着いたのを感じ取って、手を離して座り直した。

 大胆なことをしてしまったと今更ながら照れが遅れてやってきたが、可紗はそれを気づかれないように笑って誤魔化した。

 

「ジルさんはね、私の名付け親なんだ」

 

「言ってたね」

 

「うちの両親はね、離婚してるの。DV離婚ってやつ」

 

「……それは……」

 

「それで母が私を連れて逃げて、それを助けてくれたのがジルさんってワケ」

 

 ジルニトラは可紗に名を与え、母親の訃報を耳にして可紗を助けに来日し、そして今は共に暮らしている。

 

 不思議な縁から始まった関係ではあるが、まるで昔から一緒にいる家族のような暮らしに、可紗は満ち足りているのだ。

 

「このリボンはね、私のお母さんが作ってくれたものなんだけど……」

 

 髪をほどいて彼女のお気に入りであるリボンを指し示す可紗に、汀は不思議そうに首を傾げながら興味深そうに視線を向ける。

 可紗はそれに気を良くして、リボンの刺繍が彼によく見えるように持ち直した。

 

「昔ね、ジルさんがうちのお母さんに刺繍を教えたんだって。ほら、ここなんだけど……今まで鳥の模様かなって思ったたんだけど、実はドラゴンなんじゃないかなって思ったの」

 

「……言われれば、そんな風に見えるね」

 

 お世辞にも上手とは言えない刺繍。

 だが、母親が一生懸命作ってくれたことを可紗は知っていた。


 伸びてきた髪をそれで結んでくれて、可愛いと褒めてくれた母親の笑顔を可紗は今でもよく覚えている。

 

 大切な、贈り物で。

 大切な、思い出の品。

 

「でしょ!? きっと、ジルさんと私をいつか会わせようと思ってたんじゃないかな」

「……そっか」

 

「緑色も、きっとジルさんの目の色だと思うんだ」

 

 そう言って笑う可紗を、汀はただ穏やかに笑って見守っていた。


 それはどこか、まぶしいものを見るような眼差しだったが可紗は気づかない。

 そしてふと会話が途切れた汀は、少しだけ沈黙を保ってから口を開いた。

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