第21話

 その日の放課後、可紗は再び図書室を訪れていた。

 

 あの時チャイムの音で慌てすぎて、どうやら水筒をどこかに忘れてしまったらしい。

 ここに来るまでに職員室で二年生の当番がサボっていたことを伝え、拾得物の箱も確認したのだがやはりなかった。

 そうなると図書館しか心当たりがなく、確認をしにやってきたのだ。

 

(ここにもなかったら、家に帰ってヴィクターさんに謝らなくちゃ……)

 

 母と暮らしていた時には安いワンコインの水筒を使っていたのだが、いつの間にやらヴィクターが弁当と一緒に立派な水筒を用意するようになったのだ。

 初めのうちこそ、弁当まで世話になるのは申し訳ないと言い張っていた可紗だが、今となっては自分が作るよりも美味しいお弁当と美味しい紅茶の誘惑には勝てず、甘えさせてもらっている。


 勿論、洗うのだけは可紗が自分でやっているけれども。

 

「柏木さん」

 

「あれっ、三ツ地くん……? やだ、また当番の子来てないの!?」

 

「そうみたいだ。まあいいよ、ぼくもこの本が読みたかったから」

 

「今日のお昼のことは先生に伝えたんだけど……放課後も来てないだなんて!」

 

「……それだけ借りる人が来ないのも事実だけどね」

 

 驚く可紗にあっさりと言って視線を室内に巡らす汀は、苦笑しているようだった。

 確かに、放課後の図書室にある姿は彼らだけで、遠くから部活動に励む声が聞こえてくるばかり。

 そのことに一瞬ぐっと言葉に詰まった可紗だが、それでもため息交じりに図書室のカウンターに視線を落とした。

 

「そうだとしても、当番をサボるのはだめだよ。本の貸し借りだけが委員の仕事じゃないんだし……」

 

「そうだね」

 

 彼女の言葉に頷きながら、汀は手に持っていた本をぱたんと閉じる。

 その瞬間、ほんの僅かに妙な感じがして、可紗は思わず周囲を見渡した。

 

「柏木さん。手を出して」

 

「えっ?」

 

「手首に、なにか・・・あるだろう?」

 

「えっ……」

 

 言われて一瞬わけがわからない可紗は首を傾げたが、続けられた言葉にぎくりと身を固くして、咄嗟に左手首を隠すように右手で握った。

 取り繕うように笑顔を浮かべて可紗は視線を床に向ける。

 

「あは、やだなあ……校則違反とかはしてないよ? ね、ねえ。それよりも水筒、なかった? 私、お昼の時に落としちゃったみたいで……」

 

「水筒……あるよ。そこのカウンターに置いてある」

 

「本当? ありがとう」

 

 視線を合わせないまま、可紗は体をそちらに向けて手を伸ばした。

 カウンターに入るためには汀の横をすり抜けなければならず、今はそれが怖いような気がしたからだ。

 

 だが、カウンターを覗き込もうとする可紗の右手を汀が掴む。

 思わずそれを振り払おうとして、今度は左手が取られた。


 しまったと思ったときには汀は手を添えるようにして、可紗の手首を凝視しているではないか。

 

「み、三ツ地くん……!?」

 

「やっぱり」

 

「三ツ地くん、その目・・・……」

 

「……」

 

 短く声を発して眉間に皺を寄せた汀の姿に、可紗は釘付けだった。

 

 それもそのはずだ。


 汀の、本来黒い色を見せていたはずの目が、今は金色に見えるのだ。

 しかも、瞳孔が縦に真っ直ぐになっており、その様はまるで。

 

「……へび……?」

 

 思わず口をついて出た言葉だったが、それを耳にした汀が苦しそうに顔を歪めた。

 ぎゅっと掴まれた手首が傷みを訴えて可紗は小さく「痛い」と零す。

 

「! ごめん」

 

 その声を聞いた汀がぱっと手を離してくれたので、さすりながら彼を見上げれば悲しそうな顔をした――いつもと変わらぬ、黒い瞳をした汀がそこに立っている。


 可紗は混乱しつつも、己の手首に視線を落とし再び彼を見た。

 

「柏木さん。きみ、どうして呪われてるんだ?」

 

 汀は複雑そうな顔をしながらも、真っ直ぐに可紗を見てそう言い切った。

 そのことに可紗はひゅっと息を呑む。

 

 呪われている、そのことを知るのはかけた張本人のウルリカと可紗だけ。

 

 それなのに、汀は彼女が呪われているとはっきりと言い切った。

 それに加え、先ほど見たあの金色に輝く目は、まるで人のものではない。

 

(見間違いなんかじゃない)

 

 可紗はその目で、はっきりと見たのだ。

 

 ばくばくと心臓が早鐘を打つが、可紗はどこか冷静だった。


 それは、先日の実父の件で恐怖に対する敷居が下がったということでもあったし、ジルニトラやヴィクターとの出会いや、ウルリカという人魚の存在から彼女の中で『実は人ならざる者は、意外と身近にいるのではないか』という疑惑があったからだった。

 

 そして目の前の汀という人物が、どうも可紗を案じてわざわざ確認をしてくれたのではと感じたのだ。

 

(痛いって言ったら、手を離してくれた。ごめんって、謝ってくれた)

 

 確かに手首を強く握られて痛かった。

 だが、可紗の手首に跡が残るほど強かったかと問われれば違うと即答できる。今だって、赤くもなっていない。

 

「……三ツ地くん、あなたも、人じゃないの……?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る