第20話

「借りないの?」


「えっ!」

 

 それまで人の気配がなかった図書室で、急に声をかけられて可紗は肩を跳ねて驚き振り向く。

 そして、振り向いた先にいた人物を見て目を見開いた。

 

 そこには、彼女が先ほどまで思い浮かべていた片思いの人物、汀が立っていたからだ。

 

「えっ、えっ、三ツ地くん……えっ!? さっきまで誰もいなかったよね!?」

 

「うん。今来たところだけど……当番の子が見当たらないんだ。柏木さんは、知ってる?」

 

「あー……。私もちょっとお昼にいつもの部屋を使わせてもらおうと思ってきたんだけど、その時からいなかったよ」

 

「はあ、またか。先生にはぼくから言っておくよ」

 

「えっ? いいよ、私の方が先に来てたんだから私が伝えておくから……」

 

 誰かも確認しておいたから、任せてほしいと可紗が笑顔を浮かべてみせれば汀も納得したように頷いてくれた。

 そして、小首を傾げるようにして可紗の手元を指さす。

 

「借りないの?」

 

「あ、うーん。ううん、なにか借りていこうかと思って探してたら、懐かしいのがあるなって思っただけなの」

 

「そうなんだ。グリム童話が好きなの?」

 

「童話全般、好きだよ。でもこのグリム童話集の中に〝死に神の名付け親〟があって、それが懐かしかったんだ」

 

「懐かしい?」

 

「うん、子どもの頃よくうちの親が読んでくれたからさ」

 

「そうなんだ」

 

 不思議そうに首を傾げた汀を可愛いなんて思うのは、きっと可紗が彼に恋をしているからだろう。

 

 本の背表紙をなぞるようにして、そっと彼から目を離す。

 そうしないと見つめてしまって不審がられるような気がしてなららなったからだ。


 委員会の際などは気づかれないように何度となく見つめてきたが、さすがに二人きりで見つめてしまっては不自然だろうしなによりバレバレに違いない。

 不躾なやつだと思われたくもないし、なんの用があるのかと問われても返答に困るのだ。

 

「そうだ、どうせ借りるんだったら三ツ地くんのお勧めとか聞いてみてもいい? 自分で選ぶと偏っちゃうからさ!」

 

「その気持ちはわかるな。ぼくのお勧めだと、ミステリーになるけど……それでもいい?」

 

「うん! ありがとう!」

 

「もう既に読んでるやつかもしれないけど……」

 

 慣れた様子で目的の書架に歩いて行った汀が持って戻ったのは、この図書室では比較的新しいものに部類される数年前に発売されたミステリー小説だった。

 上下巻とあって、当時可紗も気になっもののハードカバーの小説はなかなか高価な物であったことと、どこの図書館でも人気でなかなか借りられなかったくらいには人気だった作品である。

 

 いつか図書館か図書室に入るだろうと思っていたが、その間に他にも読みたい本が出てきてそのまま忘れていたものでもあった。

 

「ああ! これ知ってる! でもまだ読んだことなくて……この図書室に上下巻ともあったんだね!!」

 

「まだ読んでない? よかった。じゃあこれ、ぼくのお勧め」

 

「ありがとう!」

 

 読みたかった本を二冊受け取って、可紗は笑顔を浮かべた。

 それが片思い中の男子から渡されたというだけで、より喜びが増しているのかもしれない。


 そんな彼女の様子を見て、汀も少し考えるような素振りをみせる。

 

「……ぼくは柏木さんが言っていた童話を読んでみようかな」

 

「え?」

 

「タイトルが独特で、ちょっと興味が湧いたんだ。……そもそも、あんまり海外の童話って読んだことがなかったから。ねえ、それってどんな話?」

 

「え、ええと……」

 

 死に神の名付け親。

 それは〝赤ずきん〟や〝シンデレラ〟で有名なグリム童話のひとつ。

 

 とある貧しい夫婦の元に生まれた末っ子の名付け親に、出会った相手にお願いしようと父親が外に出て神や悪魔の申し出を断りつつ死に神に名付けを頼む物語である。

 

「そして名付けを受けた子どもは医者となり、死に神の助言を無視した行為で最後は罰として命を失うんだ」

 

「へえ、すごいね。なんで神や悪魔はだめだったんだい?」

 

「翻訳によって色々違うけど、大体は『神様は不平等だから』『悪魔は人を堕落させるから』って感じかな。死に神は、平等に死を与えるからって理由」

 

「ふうん、面白そうだね」

 

 汀が柔らかく微笑んで、可紗の後ろにある棚に歩み寄ろうとしてふと眉をひそめる。

 それに気がついて、可紗は首を傾げた。

 なにか変なところでもあっただろうかと慌てる彼女をよそに、汀の眉間の皺は深くなっていった。

 

「柏木さん、もしかして」

 

 なにかを言いかけて、口を噤む。

 それを何度か汀が繰り返していると、昼休みが終わるチャイムが二人の耳にも聞こえた。

 

「いけない、次移動教室だった! ごめん三ツ地くん、またね!!」

 

「……うん、またね」

 

 結局なにも言わなかった汀に手を振って、可紗は廊下を走り始める。


 途中、すれ違った教師に「廊下を走るんじゃない!!」と怒鳴られもしたが、可紗は上機嫌だった。

 

(三ツ地くんと話した! お勧めの本も教えてくれた! またねって言っちゃった!!)

 

 恋する乙女は、大変幸せなのだ。

 

 ただ、移動教室には遅れてしまい担当教師には叱られ、ちょっぴり恥ずかしい思いをした可紗なのであった。

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