第8話
優雅な仕草でティーカップを置いたジルニトラは、真っ直ぐに可紗を見つめて微笑んだ。
そんなジルニトラの後ろに控えるように、ヴィクターが立って同じように微笑んでいる。
「可紗、これからはココがお前さんの家。アタシたちが家族。進学についてもなにも心配することはないから、学生生活を謳歌なさい。お小遣いもあげるつもりだけど……アルバイトに関しては特に口出しないけれど、通うのに遠くなったかしら?」
選択の自由と生活の保障、それは元々言われていたことだがここに来てぐっと具体的な話になったのだと可紗は気づいて背筋を正した。
おそらくジルニトラという女性は可紗が望めば、それこそアルバイトなどせずに生活することも可能なのかもしれない。
ぽんと一軒家を準備し、ぱっと見でも高級そうな家具一式を揃えてしまうのだから!
だが、それに甘んじることを、可紗はよしとできなかった。
この一件幸せが用意されている生活が、明日もあると信じられなかったからだ。
「……アルバイトは続けたいです。……バイト先とも相談しないと、ですけど」
少しだけ、緊張しながらも可紗は正直に今の気持ちと、これからについて自分が考えていることを全て話そうと決めた。
それについて賛同してもらえるかどうかはわからなかったし、母親にもまだ明確に話したこともなかった話を他人に話すのは、不思議な気分である。
だが、ここに越すことになったときのように、なあなあにはしたくなかったのだ。
「あと、進学も……奨学金とか、もう前から調べていて……保証人とかそのほかのことでお願いすることがあるかもしれませんけど、できる限りご迷惑をかけない方法を探したいと思います」
可紗としては元々母親に負担をかけないためにできる方法や、自分がこれからどんな職に就きたいか不明であったので、それならばもう少し学びの方向を考えたいと思っていた。
勿論、夢を持って進学できるならばそれが一番だと彼女も理解してのことだ。
だがこれといって明確にやりたいことが見つかっていない上で、ただもう少し勉強したいと思う気持ちもある。
だから奨学金を得て大学に進みたい……そう漠然と考えている程度だということも含め、可紗はジルニトラにきちんと説明した。
ところどころつっかえて「ええと」だとか「その……」と可紗が言い淀むことがあっても、ジルニトラは一切気にせず、真剣に耳を傾けてくれる。
可紗にとって、それはとても嬉しいことであり、ありがたいことだった。
こうやって話を真摯に聞いてくれる相手がいないわけではないが、今、保護者だというジルニトラがそうした態度をとってくれることが、なによりも可紗にとっては嬉しかったのだ。
「そういうことなら、よくわかりました。とりあえず、学校にはもう説明してあるし、役所の手続き諸々は田貫に丸投げしてあるから気にしないでちょうだい」
ジルニトラが、それまで飲んでいたカップを静かにソーサーに置いた。
途端にそれまでの和やかな空気が霧散したような気がして、可紗は目を瞬かせる。
「ただ、申し訳ないけれど当面の間はヴィクターに送迎をさせてほしい。お前さんの今までの暮らしと違うことを強いるのは申し訳ないと思うけれど、身の安全のためだと理解してもらえないかねえ」
身の安全。
その言葉を、可紗は口の中で繰り返した。
なにを示すのか、可紗には一瞬わからなかった。
だがすぐに実父のことだろうかと思い当たってジルニトラを見つめれば、彼女はただ真っ直ぐに可紗を見ていた。
「一応法律上の対策をとったとはいえ、お前さんの実父がどんな行動を起こすかまではわからない。こんなことを言って脅かすつもりはないけれど、どうやら調べたところであちらさんも色々あるみたいだからね……そっちが落ち着くまで、我慢しておくれ」
「どのくらい、かかるんですか……?」
「さて、そうかからないと思うけれど。一週間は最低見込んでおくれ」
「……はい、わかりました」
実父について調べたというあたりが穏便でない話だと十分可紗にも理解できた。
そもそもが、ほぼ初対面と言っていい娘に対して元妻に対する労りや、旧交を温めようとすることなく横暴な態度で連れ去ろうとしていたのだから、碌でもない状況なのだろうと高校生の可紗にでも推察できた。
そんな相手に連れて行かれたらと思うとぞっとする。
あの時は幸いにもジルニトラが現れて救ってくれたが、学校の行き帰りを狙われては確かに危険極まりない。
アルバイト先にだって現れるかもしれない。
それを考えれば、送迎くらいいくらでも我慢できる。
多少は目立つかもしれないが、安全には変えられない。
(友達も巻き込んじゃうかもしれないし……)
ちらりと可紗がヴィクターを見上げれば、彼はにこりと微笑みを返す。
美貌の持ち主からの微笑みに思わず頬を赤らめて俯いた可紗は、これからの生活に対してため息をつくばかりだった。
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