第3話 衣食はなんとかなりそうです。
「神子様、そろそろお召し替えいたしませんか? 湯浴み後とはいえ、このままではお身体によろしくありません」
部屋の中は適正な温度に保たれて、自分が今どんな格好をしているのか、頭からつい抜け落ちかけていたが、亨は下着とガウン姿を羽織っただけなのだ。あまりにも無防備だったと内心慌てて、声を掛けてくれた神官に鏡を素早く手渡した。
「そうですね。お待たせしてしまって申し訳ありません」
「いえいえ、とんでもございません」
「そうです。神子様はいらっしゃったばかりですから、戸惑いも多いことでしょう。私どもに気を配っていただく必要はありません。それと敬語は不要でございます」
気を使わず、敬語もいらないと言われても…。突然神子とか言われてる正体不明の人間のお世話を嫌な顔ひとつせずこなして、自分の我儘も聞いてくれている人達にそれはできない相談だ。
いや、さっき動揺のあまり素が出てしまったけれど。ひとまずはこのままで通させてもらおう。
「ありがとうございます。ただこの話し方が楽なので、今はこのままですみません」
「かしこまりました。神子様の負担にならないようになさってください」
「それではこちらがお召し物となります。私どもはあちらを向いておりますので、ゆっくりお召し替えください。何かお手伝いできることがあれば、ご遠慮なさらず、おっしゃってください」
手渡された服は、一見神官と同じ服なのかと思ったけれど、どうも生地が違うようで、キラキラと光沢のある白銀色をしていた。オルティス司教も同じような服を着ていたようだから、もしかするとここの人達の服の形ってベースは同じなのかもしれない。
丁寧に折りたたまれた服を広げると、司教の服にも神官の服にもなかった幻想的なブルートパーズ色の刺繍が胸元から裾の方まで、両サイドにあしらわれていた。一目で格の違いが分かるほど、趣向を凝らしてあるのが伝わってくる。これに袖を通るのが自分なのかと若干気後れするが…。
神官達は言葉通り服を手渡すと少し距離をとって、背を向けた。湯浴み前のやりとりを考慮してか、なんでもお手伝いしますといった様子は見られなかった。二人にとってはあまり良い状況ではないだろうけれど、正直助かる。
亨は元々パーソナルスペースに他人を気軽に入れる方ではない。親友と言える人も片手で収まるし、人見知りをするほうだ。
しかし、この世界に来てからというもの、強制的に詰められる距離感には戸惑いと心労がかなり掛かっていた。だからこの気遣いが本当にありがたかった。
白銀の服の見た目は大変華やかではあったものの、着ることに関しては特に苦労することはなかった。亨はようやくこの世界に来てまともな格好になったなと苦笑いを一つ溢す。
「終わりましたので、こちらを振り返っていただいても大丈夫です」
「はい、では失礼いたします」
待機していた神官達は亨を見て笑みを深めた。
「よくお似合いですよ、神子様」
「神子様のために誂えられたお召し物ですが、本当にお似合いです」
二人のストレートな褒め言葉に顔が熱くなるのを感じた。
「…ありがとうございます……」
今日は慣れないことばかりが起こる。それはきっと始まったばかりで、まだ終わらないんだろうなと、照れた顔とは裏腹に、確信めいた考えが頭を掠めた。
◇◆◇
着替え終えた亨は隣の客間に移動することとなった。
客間には小さなパンと果物が用意されていて、喉が渇いていたこともあり、赤い一口サイズの果物に手を伸ばす。赤い実は、サクランボのようではあるが、少し硬く、ケーキなどに添えられているものよりも一回り大きい。
ーーゴクリと生唾を喉の奥に押しやって、思い切って実を口に含む。歯の当たった部分からじわりと溢れた果汁は、程よい甘さで口の中を充分に潤した。硬い実は食べ応えもあって、なかなかに満足感を得られる。続けてもう一つ実を頬張る。
これは美味しい!見た目はサクランボ、味は梨と言ったところか。
「とても美味しい果物ですね。何という名前なのですか?」
「お口にあったようで何よりです。そちらは『サペチア』という果物になります」
「サペチアは小さいながら水分を多く蓄えており、表面が傷つかなければ、保存も利くので、重宝される果物なのですよ」
サペチアね。これは心の食べ物リストにメモしておこう。
果物が美味しかったことに安堵した亨は、続けてパンにも手をつけた。そちらは、まあ何というか味気なく、先程充分に潤ったはずの口の中から水分が消えるほど、パサついていた。
……全てが美味しいわけではないと、食べ物リストの上部にデカデカと目立つように書き加えることにした。
軽食に舌鼓を打っているとコンコンとノック音が聞こえてきた。
「オルティスです。神子様、入っても宜しいでしょうか?」
「はい、大丈夫です」
入室の許可を出すと、素早く移動した神官が扉を開ける。入ってきたのは数刻前に出会ったオルティス司教だった。
出会った時は余裕がなくてあまり気にしていなかったけど、イケメンさんです!それはもうキラッキラされてます!!ホワイトアッシュの髪はサイドに一つ纏めにされていて、丸眼鏡の奥にあるタンザナイトのような薄青紫色の瞳は慈しみの色が色濃く表れていた。
不意打ちで、この人にお姫様抱っこされていたのかと思い出して全身が熱を持とうとするのを慌てて追い払う。邪念退散!!
「失礼いたします。神子様、大変お待たせしてしまい、申し訳ございません。また神官達に粗相はございませんでしたか?」
「はい、大丈夫です。とても良くしてもらいました」
「左様でございましたか。良かったです。それはそうと神子様のお召し物、大変お似合いです。さすが女神様が遣わしてくださった神子様ですね」
オルティス司教は簡単に挨拶を済ませると、今度は綺麗なお辞儀の姿勢をとった。一枚の絵画のような絵になる姿に瞠目する。
「ーーそれでは改めまして。私はテオ・オルティスと申します。ここブディ厶大聖堂で司教として奉仕いたしております。神子様、お名前をお聞かせいただけませんか?」
名前を聞かれて、すぐに名乗りかけたが、ここは海外風に名前と苗字を入れ替えた方がいいかもしれないと思い直して、亨は名前を口にした。
「…トオル カンナミといいます」
「トオル カンナミ様…。美しい響きを持つお名前ですね。神子様を表すに相応しい、良いお名前です。
それではお名前も伺えましたし、疑問に思われていることも沢山あるでしょう。一つひとつご説明させていただきます」
オルティス司教は表情を緩めて亨の向かいの席に腰掛けると、この世界について話を始めた。
◇◆◇
「エスターライヒ副隊長、ブディム大聖堂より遣いが来ております。いかがされますか?」
話しかけられた人物は、稽古の手を止めた。
「……」
少し思案した後、近くに居た騎士に一言声を掛けて、控えていた侍従に近づく。
「数刻以内に行くと言付けてくれ」
「かしこまりました」
侍従が去ると、エスターライヒは顔を滴る汗を袖口で拭う。手にしていた稽古用の剣は定位置に戻し、稽古場を後にした。
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