第2話 お風呂にはゆっくり浸かりたい派です。

 オルティス司教がある部屋の前で立ち止まる。そこには司教と似た服装の人物が二人扉の前に立っていた。


「オルティス司教様、湯浴みの準備は整っております」

「ありがとうございます。神子様、こちらの神官が神子様のお手伝いをさせて頂きますので何なりとお申し付けください。私は神子様のお部屋の手配と聖堂内に神子様のご降臨を周知してまいります。全てが終わり次第、お部屋に伺いますので、まずはゆっくりと身体を温めて疲れをほぐされてください。

ーーでは二人ともくれぐれも失礼のないようお願いしますね」

「「はい、オルティス司教様」」


 部屋の前でようやくオルティス司教の腕の中から出ることを許された亨は、両脇から神官に支えられて部屋の中へ進む。数歩歩いたところでチラリと後ろを振り返ると、そこにはまだ司教の姿があった。この世界に来て最初から親切にしてくれた人と離れるのは少々心細いが、このまま濡れたままでは風邪をひく。……若干手遅れな感じは否めないが、とりあえず身体を温めることに専念しよう。


 しかし、亨はここが異世界であるということを改めて思い知ることになる。


「神子様。それでは少々失礼いたしますね」

「え? ーーッ!? ちょ、ちょっと待って! なんで服を脱がそうとするの?!」


 亨は羽織っていたシャツに手をかけられて、ぞわりとした不快感が背筋をかける。慌ててシャツを握りしめて神官からバックステップで距離をとる。

 男同士だから裸を見られたところでなんてことない。けれど不意に漫画で見た、貴族が従者に全身隈なく洗われているシーンが浮かんだ。温泉とかでの裸の付き合いは分かる。でも世話されるとなると全くの別問題だ。


 神官はというと、亨の言葉の意味が理解できないといった表情を浮かべていた。


「神子様、我々はオルティス司教様より神子様のお世話を仰せつかりました。ですので、お召し替えと湯浴みのお手伝いをと思ったのですが……」

「そ、そうなんだろうけど! でも自分で出来るから! うん、だからあの、ここの使い方だけ教えてくれれば大丈夫なんで。そういうことでお願いします」


 神官二人は顔と見合わせて、アイコンタクトをしたかと思えば、頷きあった。どうやら自分の希望は聞いてもらえそうだ。


「かしこまりました。それではそのままこちらにお越しください」


 神官に促され、さらに部屋の奥に行くと、衝立があり、その向こう側に湯船がそのまま鎮座していた。

 あー、そうか。海外ではこのような様式の風呂場もあったか。馴染みがなさすぎて視覚的違和感がすごい。それにお湯こぼしたら怒られそうだし、手入れとか大変そう…。


「ではご説明させていただきます。まずはーー」


 神官の説明を要約すると、湯に浸かる→蛇口から泡を出して洗う→湯を捨てる→シャワーで最後洗い流すということだった。一度の説明で理解できたので、お礼を伝えて神官には下がってもらうことにした。


◇◆◇


「ふー…」


 冷え切っていた身体に程よい温度の湯はとても気持ちが良い。身体の芯からじんわりと熱が広がっていくようだった。湯で顔を拭い、前髪を後ろに撫で付けた。それから湯船の縁に頭を預けてしばし天井を見上げる。

 汚れなんてどこにも見当たらない真っ白な天井は高く、日本だと二階建ての吹き抜けの一家ほどの高さだろうか。どうやって綺麗な状態を維持しているのだろう。


 そういえば先程の説明で、湯船に備え付けられている石に触れると泡が出るとか、お湯が出るとか言ってたけど、これってもしかしなくても魔法か?

 …ということは自分も魔法が使えるようになっていたりして!なんかさっきまで色々あって萎えてたけど、ちょっとテンション上がった!こう、炎とか水を出したり操ったりできるのかな。想像しただけでワクワクする。


 身体は充分に温まったし、気持ちが上向きなったことも相まって、そのあとはサクッと洗って湯船から上がった。タオルは近くの椅子の背もたれに掛けてあった。全身の水分を拭き上げて服をと思ったが、座面には下着とガウンのみが置いてあった。

 疑問に思ったが、他に着るものは見当たらないので、そのまま着ることにした。するとタイミングを見計らったかのように神官が声を掛けてきた。


「神子様、こちらにお召し物をご準備いたしております」

「ご準備が整われましたら、こちらにお越しいただきたくお願いいたします」

「ありがとうございます。今行きます」


 衝立の先に向かうと、神官二人は装飾の凝った椅子を挟むようにして立っていた。どうやらこの椅子に座れということらしい。お金持ちが使いそうな豪勢な椅子を前に本当に自分が座って良いのかと躊躇われる。チラリと二人を見るが、微笑みを浮かべたまま動かない。

 小さく息を吐きながら、しぶしぶ座る。その椅子の座り心地は本当に良かった。高級品ともなるとやはりただの椅子とは勝手が違うのだろう。それとも魔法が使われているのかな?


「神子様、まずは御髪を乾かします。風が強いですとか、熱い冷たいなどありましたら、遠慮なくおっしゃってください」


 神官の一人が、緑と赤の小さな石の入ったペンダントに何やら言葉を発すると、亨の頭部周辺に風が吹き始めた。

 これはまさしくドライヤー!機械がなくてもペンダントひとつでドライヤーになるとかすごい世界だな、ここは。さっきの蛇口はあまり魔法を使っている感じがなかったから、改めて魔法を認識した気分だった。

 

 そういえば、神子の定義として黒髪・黒い瞳とか言ってたけど、今黒髪ではないんだけどな。大学デビューとばかりに、美容師が流行ってからと勧めるアッシュグレーに染めていた。

 濡れてた状態だったから黒髪に見えたのか?いくら濡れていても黒には見えないほど色素は抜いていたと思うんだけど。

 一度気になると今の自分の姿を確かめたくなった。ここに来てからというもの鏡には出会っていない。そもそも普段から鏡を意識していることは少ないから仕方ないが。


「あの…鏡、自分の姿を見ることができるものってありますか?」

「はい、ございますよ。お持ちいたしますので、少々お待ちください。ーーこちらで宜しいでしょうか?」


 手渡された鏡を受け取って、ごくりと息を飲み込む。温風はすでに役目を終えたようで、止んでいた。恐る恐る鏡を確かめると、綺麗に染められていた髪は見る影もなく、ジェットのような漆黒色の髪は自分にはあり得ないほど、艶を帯びていた。


「〜ッ嘘だろ。めっちゃ黒髪じゃん…」


 ですよね!黒髪って言われてたんだから見間違いなわけない。えー何で髪の色だけ変わってるの。髪型は最後に見た時のままだし、また疑問が増えた。


 鏡をまじまじと見ていると、またハッとした。こっちの世界にコンタクトレンズなんてあるのだろうかと。

 いやないだろうな、きっと。


 亨の視力は、見慣れた場所であれば生活できなくもないといったほど。つまるところ、初めての場所では看板などの文字が見えないので、裸眼での生活は無理ゲーだった。


 一人で百面相した後、悩んでも仕方ないともう一度だけ鏡を見た。鏡を近付けて瞳を観察して気付く。コンタクト…入ってなくない?あれ??両目とも…入ってないね。ということは、今裸眼ですか?転移した時に、もしかすると加護とか受けたのかもしれない。ああ、良かった。それでひとまず人並みに生活はできそうだ。

 亨は人知れず安堵した。

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