孤独

あの日

 放課後になると、教室は突然静まり返る。

 日中、あれだけ騒いでいたこともあり、さすがに疲れてしまったのだろうか。

 ふと、外の世界に耳を傾けると、蝉の鳴き声、遠くにいるせいか、さほど力強くは感じられないサッカー部の「パンッ」とボールを蹴る音、また、遠くでもはっきりと聞こえてくる野球部の「カキンッ」とボールを打つ音など、高校生という存在を彩ってくれるような物が聞こえてくる。

 そしてそれは、どこか青春をしているようにも感じた。

 でもだからといって、教室は変わることなく森閑としている。

 そんな教室の様子を見て俺は思った。

 「俺と教室はどこか似ている」と。

 日中の休み時間、あるいは授業中、人が静かになれば、もちろん教室も俺もそれに合わせ静かになる。逆に騒がしくなれば、教室も俺も騒がしくなる。

 そして放課後になり、人がいなくなると、本来の姿に戻る。

 まあ、周りに合わせて生活するのは疲れないのかと聞かれ、そんなことないよと答えたら嘘になるが、これは俺自身が望んだ道なのだ。


 ——そう、俺には友達がいない。


 少なくとも、俺が友達だと断言できる人間は一人もいない。

 これだとまるで彼らが悪いように聞こえるかもしれないが、それは違う。

 これは必然だった。

 教室もそうだろ。彼らに友達はいない。できるはずがない。もちろん今俺がいる「ここ」もその一人。

 けれど、俺以外のクラスメイト、あるいは高校生、そして教室を除いた外の世界は違う。「彼ら」は一人じゃない。だが、決して一人になれない。一度築いた関係は、すぐには壊れない、壊せない。常に何かに囚われ続ける。

 それが「彼ら」にとって疲れるか疲れないかは分からないが、俺にはそれが合わなかった。

 だから、教室が、外から吹き込んできた風を元来た方向へ返さず、そのまま流していくように、俺も話しかけられたら、嫌われないように会釈や相槌は打つものの、会話には発展させてこなかった。

 しかし「彼ら」は常に言葉や風で会話をしている。その声が、音が、聞こえなかった日は一度も無かった。

 だが、俺にはそれが、本物だとは思えなかった。

 何かに限定された偽りにしか見えなかった。

 けれど、少し羨ましかった。

 俺には一人で青春をするやり方が分からない。本物の見つけ方を知らない。

 一人で足掻いて、藻掻いて、悩んでも、何も見出せない。

 でも彼らは、確かに青春をしている。

 恐らく彼らには自覚がない。それが彼らにとっての当たり前だから。

 それが彼らにとって本物ではないとしても、それは確かに青春ではあった。 

 そもそも、青春だの本物だの、意識すらしたことがないだろう。

 でもそれが、俺と彼らの決定的な違いなのだ。

 世界が間違っているんじゃない。やはり間違えているのは自分だった。

 当たり前を当たり前とせず、したこともない「もの」の本物を求め、結果、こうして教室の後ろの窓際で「彼ら」を眺めているだけ。

 教室と外の世界を隔てているのは、たったの窓一枚。それも透明で、互いに見えている。でも、決して一つにはなれない。

 俺も多分そうなのだろう。互いに姿が見えてはいるものの、その窓一枚をを壊す勇気がない。教室の窓を割るように。

 青春とは一体何なのか。

 この問いに正解を出せる人間は恐らく過去、現在、未来、一人もいないだろう。

 だが、もし正解が出た時、恐らく青春というものはなくなり、終わる。

 青春はいつだって未完成であり、未熟でなくてはならない。 

 だから、本物なんてものも、見つからない。見つけられない。

 それがなんなのかも分からない。

 だから彼らも、決して満足のいく青春はしていないのだろう。

 でもそれが、大人になると、限りなく正解に近く、本物に近い「もの」となっている。

 その時に初めて、青春をしていたという実感が湧くのだろう。

 なら、俺にもそんな実感を感じることができる時もあるのだろうか。

 俺には確かに青春をしていないという自覚はある。

 ただ、青春をしているという自覚は彼ら同様にない。

 もしかすると、今こうしてしていることが、大人になって青春と感じられるのかもしれない。

 確かに不安もある。

 だが、未来という物は不確定が故に何が起こるか分からない。

 この先の高校生活に、何か転機が訪れるかもしれない。


 あと一週間で夏休み。

 恐らく来年は、受験勉強で遊べる暇もないだろう。

 この教室も、この夏に工事があるとかで変わるらしい。

 二年生になって早四か月半、この教室には本当にお世話になった。

 確かに、外とここは一つになれない。

 でも、ここはこれでいい、そう思えた。

 例えこの夏休み、いや、この先の高校生活、一人のままでもいい。

 だけど、この高校生活が、将来、青春だったと思えるようになることを、俺は信じる。

 

 そしてそれは——本物でなくていい。




 今となっては、こんな風に自分を騙し、励まし、結果、孤独を貫いて終えた高校生活が懐かしく思う。

 後悔がないかといえば、嘘になる。

 もしかすると、孤独ではない違う世界線もあったのかもしれないとも思う。

 でもこれだけは断言できる。

 どの世界線にも、本物はない。正解はない。

 でも、足掻き、藻掻き、悩み続けたあの時間は、間違いなく、青春だった。

 

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孤独 @ryo_ranobe

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