第三話 同業の女

「それで、記憶は戻らないの?」

「昨日、初めて記憶を売ったんだが外れだった」

 ジャンは深刻そうに顔をしかめて唸る。

「難しいね。転写も再解釈も結局は想像だもんね」

「都会の連中は、どうしてこんな回りくどい仕事を考えるんだろうな」

 呆れたように吐き捨てるヴァラガンに、江は「そりゃあね」と言葉をつなげる。

「あの人たちは、貧乏人に仕事を恵んでるつもりなんでしょ。一人でもできる仕事を複雑にして、記憶の絵を描かせたりしてね。まあ、そのおかげで生活できる人もいるんだけど」

 空になった皿を流し台に放り込む江。それを横目に、ヴァラガンは柱の掛け時計を見やる。長針と短針は、十二の数字の上で重なろうとしていた。

「ああ、娘さんは元気にしてるのか?」

「コンソルン・シティにいるわ。龍灰窟の南西三十キロ先」

 そうだ、と江は宙を仰ぎ見る。

「借金を完済できたら、コンソルン・シティに引っ越そうかな。あのコとも会えるし」

 コンソルン・シティは東ユーラシア有数の大都市。高度な生活水準が保たれており、貧乏人には一生拝めない神秘的な景色が広がっているという。とはいえ、あちらは龍灰窟ロンフェイクーとは異なる富める者たちの世界。掃き溜めに生きる人間には無縁の場所だった。

 天啓を授かったような江の恍惚こうこつとした顔に、ヴァラガンは苦笑を浮かべる。

「金貸しも政府の連中も、死ぬまで金を搾り取ろうとするに決まってんだろ。それに都会に出たところで、俺たちに居場所なんてあると思うか? 掃き溜めがお似合いだ」

「……夢がないね、ヴァラガン」

「当たり前だ。精神置換技術を使っても夢がねえから、連中も記憶をほしがるんだ」

 憐憫の眼差しを向ける江に、少し怒気のこもった口調で返すヴァラガン。頭の中で自身の吐いた言葉を反芻はんすうしているうちに、ますます嫌気が差してきた。そんな流れで抑鬱的な気分になりかけたとき、ふとあることを思い出す。

「そういえば、ガントレットと約束があった」

「ガントレットちゃん? 前に言ってた同業のコ? うちの店に呼んだらいいのに」

 興味津々の江に、ヴァラガンは大きく手を横に振る。

「あいつは独りが好きだろ。それとも、こんなオネエ親父と会いたい物好きがいるとでも?」

「ちょっと! 多様化の進んだ時代に、それって差別じゃ」

 早口にまくしたてる江の声に椅子を引く音を重ねて、ヴァラガンはカウンターに紙幣を多めに置いた。江の病的な言葉の嵐が風に変わる。

「また来る。なにかあったら、すぐ連絡しろよ」

「アンタも喧嘩の腕が立つからって、油断しないでよ」

 江の声を背中で受けながら、ヴァラガンは夜の街に溶け込んでいった。


 異様な静けさと、喧騒の入り混じった通りを歩いていく。

 辺りを飾るのは仲よく肩を寄せ合うバラック小屋と、道路標識の刺さった廃車。その近くでは若者たちが炎を上げるドラム缶を囲んで、下卑た笑い声を上げている。鼻腔を刺激するのは肉の焼ける香り。想像したくはないが、人肉も十分にあり得る。ここはそういう街だ。殺伐とした通りに足を速めて、ヴァラガンは寂れた雑居ビルの正面玄関に辿り着いた。

 固く閉ざされた金属の引き戸を開ければ、中には白色電球で淡く照らされた薄暗い廊下が続き、無骨なコンクリートの床には剥き出しのケーブルが這っている。その先では物乞いをする老人と、年端もいかぬ少年が床に座ってこちらを見ていた。ヴァラガンは二人に硬貨を恵んで先に行こうとするも、少年に消え入りそうな声で呼び止められる。

「待って、おじさん」

 ヴァラガンの注意が向くや否や、少年は矢継ぎ早に話しだす。

「父さんが知らない女とヤってるから、ここで待ってるんだ」

 だからどうした、と頭に言葉が浮かんだが、ヴァラガンはそれを声にせず溜息に留める。今にも泣きそうな少年に、そんな言葉を浴びせられない。良心など龍灰窟ではなんの役にも立たないと知っていても、ヴァラガンはその心持ちを捨てきれずにいた。

 ぎこちなく少年の頭を撫でてやると、ヴァラガンは階段の方へと進む。外壁の崩れ落ちた踊り場を何度も巡り、階層を重ねていく。エレベーターもあったが、点検されずに長年放置されている代物に乗るほど命知らずではない。

 やがて六階に着く。廊下を挟んで左右にひたすら続く部屋の一室が、ヴァラガンのものである。ガントレットとの待ち合わせは自室の前。前方を見れば、不規則に廊下を照らす蛍光灯の光に人影が揺れているのがわかった。ちょうど自室の前だ。

 ヴァラガンは大股で、壁に『俺たちが本物だ』という言葉とともに描かれた龍のグラフィティの前を通り過ぎる。歩を止めた先では案の定、ガントレットが立っていた。

「時間通りですね」

 白の開襟シャツを着て、ブロンドの毛先を耳が隠れる具合に切り揃えた若い女。無表情でなければ、色白の端正な顔立ちも相まって映えたことだろう。それが、ガントレットの特徴だった。ヴァラガンはガントレットと何度かともに仕事をしたことがあり、当の本人は複製素体。外見上の年齢と、実年齢の差分は不明。移民であることはたしかだったが、如何いかんせん身の上話を嫌い、ヴァラガンも無関心であったために謎の多い女だった。

「この仕事じゃあ、遅刻は命取りになる。で、用件は」

 そのまま立ち話を始めようとしたとき、向かいの部屋のドアが内側から鈍い音をたてた。遅れて女の嬌声きょうせいが聞こえてくる。向かいの部屋は、一階にいた少年の住む部屋だったのだ。息子のことなど、お構いなしだ。しまいには廊下全体が甘ったるい喘ぎ声に侵食された。不機嫌そうにその場で踵を鳴らすガントレットを、ヴァラガンは手早く自室へと促した。

 室内はこのビルの外観と負けず劣らずの状態で、天井は一部崩落しており、粘土で塗り固められた壁は部屋を歩く振動だけで微粉を吐き出す始末であった。床に置かれたランタンは、そんな光景をひっそりと傍観している。ランタンに安物のライターで火を灯すと、ほの暗い空間に二人の姿が浮かび上がった。

「それで、用件なのですが」

 ガントレットは入口付近の丸椅子に腰かけ、足元に散乱する空の缶詰を一瞥して言う。

ワンさんから、直々に仕事の依頼を受けました」

「まさか、この街の頭の王浩然ワンハオランか?」

 無表情で「他に誰かいますか」と返すガントレット。ヴァラガンは落胆の声を漏らしつつ、話の続きを促す。

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