054 父と子

「さて、ここから先は、男として容赦はしませんよ?」


 そう言い放った後、彼は大きく欠伸をして目をこすりました。彼だって、もう疲れたんでしょうね。おやすみなさい、というわけです。

 オレもそれに呼応して、欠伸をすることにしました。親子ですからね。欠伸がうつりやすいんです。

 ここからは、オレは父と子として、素直な気持ちで会話をすることにしたんです。


「……父さんは、まだ器用な方だから、こうして切り替えるのも得意だけど。伯父さんはかなり、その……頑張っていたんですよ?」


 確かに色々な意味で頑張っていたんだなぁ、と思いました。


「あなたはもう大人ですから、父さんは今後の交友関係には一切口出ししません」


 つまり、伯父の家に行って良い。よくよく考えると、甥っ子が伯父の家に遊びに行くのに、父親の許可は普通は要りませんね。


「ただ、勉強はきちんとすること。大学に行きたいんでしょう? お金のことなら気にしなくていいですからね」

「はい。これからは、きちんと勉強します」


 それは本当に、素直な気持ちでした。


「よろしい……本当は、あなたに触れて、褒めてあげたいんです。父さんだって、辛いんですよ? 伯父さんと母さんに続いて息子まで。僕、前世で何かしたようですね……? ともかく、父さんは、優貴のことを、愛しています。父親としては、頼りにしてくださいね?」


 そう言われてしまっては、照れてしまいます。オレは、息子としての愛情を伝えるため、話しかけました。


「……あの、父さん、さ。タバコ、やめなよ。寿命は延びないけど死期は変わるかもしれないよ。仕事が忙しいのはわかるけど、母さんだってあいつらの受験で大変だし、もうちょっと家にいなよ。ほら、父さん自身も、身体、大事にしてほしいし」

「ええ……そうですよね」

「ねえ、高校のとき、伯父さんに、約束したんでしょ? あなたは僕が看取りますって。伯父さん、父さんの死んだ後の世界なんて、一秒だって生きていたくないでしょ? せめて、伯父さんより、長生きしようよ」


 オレは嘘をつきました。彼相手は無理でも、父が相手ならできるかと、大胆な行動に出ました。そして、オレは高校生の伯父に本当に会ってしまいましたから。彼が言いそうなセリフが、スラスラと思い浮かんだんです。

 それは、父を思っての嘘でした。こうした嘘をついたのは、おそらく生まれて初めてのことでした。


「……ええ、ええ、よくご存じで。そのとおりですよ。では、あなたとも、約束しましょう。あなたは僕より長生きするんですよ? 子を先に失っても、立派に生きていく人たちもいますが、僕はそこまで強くない」

「うん。約束する」


 この約束だけは、絶対に、守ります。彼の弟は、順番を守らなかった。だったら息子は、父親より先に、死ぬわけにはいかないでしょう?

 父さん。絶対に、約束する。




***




 それから、不思議なことに、オレは今までよりも、父に言いたいことが素直に言えるようになり始めていました。


「そうだ、パエリアのこと伯父さんに言ったから」

「なんで言うんですか!?」


 思えばこの瞬間に、気付くこともできたんですね……。


「言うな、とは言われていないから……」

「そこは空気読みましょう?」

「空気って……散々ぼくを調教しといた直後で何言ってんの父さん……」

「あ、ですよね……」


 そんな父の態度にまごついてしまい、オレは焦って自分から話し始めてしまいました。


「あと、料理作るのはいいけど、思い付きで隠し味入れたりとか、レシピにないことするの、いい加減やめなよ。伯父さんのご飯、特に凝ったやつじゃなかったけど、すっごく美味しかったよ?」


 それを言った瞬間、父の父としての顔が、完全に崩れていました。


「……えっ? 勝也の手料理? 食べてたんですか?」


 あ、この人、羨ましいんだ。丸っきり、顔に出ていました。オレは正直、面食らいました。


「ほら、その、チャーハンとか作ってもらったんだ」

「廃棄寸前のコンビニ弁当でも与えられていたのかと」

「いや、それ父さんの希望でしょ?」

「うっ」


 図星を突かれた父は、そっぽを向きました。

 この時はまだ、色々あった直後で、父もおかしくなっているだけなのだと思っていました。しかし、それからも、こんなやり取りが続いたんです。




***




 監禁が終了した後、夏休みが終わる頃に、オレはもう一度、伯父の家に行きました。元々、髪を切ってもらうことにしていましたからね。

 帰宅すると、父が僕の頭を見てニコニコと言いました。


「スッキリしましたね」


 オレの髪は、その頃にはさらに鬱陶しくなっていましたから、父もずっと気になっていたんでしょう。


「うん、でも、ちょっと不満」

「……というと?」

「伯父さんさー、慣れてるって言ってたから信用してたのに、そんな難しいことまではやったことなかった、とか言ってきてさ。なんか、オレが思った感じにならなくって」


 伯父は頑張ってくれたんですが、よく考えると、彼が切っていたのは、妹の長い髪でした。母は今でもロングヘアーです。本人がその髪型が一番気に入っているからです。

そして、伯父はもう、自分は店で切ってもらえますし、若い男の短めの髪型なんて、元々そんなに詳しくなかったんです。襟足もガタガタで、素人に切られたというのが丸わかりだったんです。

 それでつい、不満を漏らしたら、いきなり父が怒り始めました。


「あのねぇ優貴、あなたは一体何を要求したんですか!? さすがの勝也もある程度の線引きがあるので、無理強いはやめなさい!」

「シャギー入れてって言っただけだよ! 何で父さんがそんな怒るの? 無理なら無理でいいってオレ伯父さんにも言ったよ!」

「え?」

「あれ?」


 なんか、その、こんな感じで言い合いになりまして。

 伯父が父のことを、思い込みが激しいと言っていた理由が、ここでようやくわかりました。まあ、オレもなんですが。


「……え? これからずっとあなたの髪を? そんなの聞いてないですよ?」

「言ってないし」

「あなたから聞いてないのは当然ですが勝也からも聞いていなくて」

「あー、そういうこと」


 これは、父にとっては、想定外だったんです。実はまだあったんですよ、父が把握していなかったことって。伯父は父に、オレとの約束を全ては伝えていませんでした。オレの髪を、伯父が切ってやる、という約束です。

単純に、うっかり言い忘れてたんでしょう。というかあれ、監禁前日の約束ですから。

 そしてここで、父とオレはようやく気付きました。オレの髪が短くなっているということは、オレが伯父に会ったということ。つまり、父からそれが一目で見てわかるということなのです。

 父は、いきなりこんなことを言いました。


「腰くらいまで伸ばしたらどうですか? 父さんも伸ばしたことありますし」

「伯父さんから、父さんは伸ばすのすぐやめたって聞いてるけど?」

「すみません」

「たまには嘘つくの頑張ったら?」

「まあ、優貴なら長髪が似合うかも、しれませんし」

「本当にそんなこと思ってる?」

「ごめんなさい、勝也に頻繁に会いに行って欲しくないだけです」

「そんなに正直に言われても困るんだけど?」


 要するに、オレは父にツッコミを入れるようになりました。ただ、父は決して、ボケているつもりは無さそうなんです。嘘が下手すぎて、バレたと思った瞬間にはもう謝るんです。あの人、真面目なんです。それだから困るんです。


「あー、あいつ、高校の頃からあんなんだよ。俺が調教モード作ってたように、あいつもお前らの前じゃ父親モード作るタイプだったってこと。お前の父親さ、一言で言うと、天然なんだ。知らなかったろ? 全部突っ込んでたらキリないから諦めろ」


 オレに本性を知られた父は、人間としては、むしろオレに気を許すようになったのです。

 何しろオレは、彼が社会生活を営む上でひた隠しにしている、重大な秘密を知ってしまっているからです。そういう意味では、気を張らなくてもいい相手なのです。

 それまでのオレは、父が一人の人間だと思っていなかったみたいです。父は、父親という生き物だと考えていた節があります。

 あんなに、情けなくて、心配性で、嫉妬深いんです。

 監禁中は、そんな父の姿は恐怖でしかありませんでしたが、家の中だと、むしろ、えっと、可愛く見えます。自分でも、この辺り、どういう感情なのか整理できないんですよ。

 そうだ。父とナオさんのやりとりについて、こんな話を聞いたんですが。


「貴斗とナオなぁ……。なんかさ、あいつらも、話が噛み合わないんだよ。いきなりナオが、ドイツではお盆にソーセージをお供えするらしいですよ、って俺に言ってきてさ。んなわけねぇだろ、つまらねー冗談言うなって言ったら、そこに居た他の後輩が、貴斗先輩がナオに盂蘭盆会の説明してたんでそれだと思います、って言ってきて。後輩が通訳してくれなきゃマジでわかんなかったわ。貴斗もさ、ナオに理解できるはずないんだから、あんなややこしい行事の説明すんなよ。っていうか、なんで盂蘭盆会の説明する流れになったんだよ」


 父とナオさん、当時の伯父のこと、相当困らせていたらしいんですが……自覚、ありました?


「あと、ウラボンエをソーセージの種類だと思ってるような奴が、よくもうちの高校受かったな?」


 あの、ナオさん。こんなことオレが言うのは失礼ですけど、本当によく受かりましたね? うちの高校、昔からけっこうな進学校だったはずですが。留年せず卒業なさったと聞いて、安心しました。

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