052 名前

 ナオさん、もとい、ミオさんへ。

 さて、実はここから、仮名のまま説明しようにも、何がなんだか、よくわからなくなっちゃって……。

 ここだけは、本名で、何があったのかを説明しますね。

 実は、「晴人」の長男である、「琥雅」という人間には、「コウガ」と「優貴」という、二人の人格ができてしまったんです。

 それは、伯父である「乃亜」の調教の結果でした。

 ミオさんにとったら、「ハルト先輩の息子さんが、ノア先輩に調教されて、ノア先輩ったらユウキくんとか名前つけてべろんべろんに可愛がってるの? もちろん性的な意味も含めてね? やだもー可愛いんだからぁ」みたいな感じですよね?

 そして、性格は……仮名のまま説明しようとすると、キレやすい元々の人格も、子供の頃のような純朴な人格も、「優貴」になってしまいますよね。

 本人たちの中では、「コウガ」がオレで、「ユウキ」が泣き虫のあいつ、っていう認識なんです。

 ややこしいですよね……。

 あと、このときユウキには「優貴」という名はついていたけれど、「コウガ」と「ユウキ」の境界は、二人の人格同士にとっても、まだまだ曖昧なものだったんです。

 ただ、このときのやり取りについて、オレたちは、何度も何度も、セリフや行動を確認したんですよ。

 だから、「晴人」の言ったセリフは、ほぼ【実際の会話】通りです。

 そして、ここだけはちょっと特殊な書き方をします。

 要するに、本当の意味での、短気な「コウガ」と優しい「ユウキ」の二人の人格が交代しながら、「晴人」と渡り合おうと、もがいていたようなんです……。

 そして、『』内は、人格同士が相談しているセリフだと思って読んでください。実際に口には出してない、ということです。

 また、コウガは「オレ」、ユウキは「ぼく」という一人称を使います。そういうところでの、違いもあります。




【実際の会話】


晴人「どうして、種明かしをしたのかわかります?」

ユウキ「わかんない……」

晴人「すっかり素直になりましたね。わからないことをわからない、と言えるじゃないですか」

ユウキ「うん……」

晴人「理由はね、あなたがこれ以上成長する前に潰すためですよ。僕だって、長期戦は避けたいですからね?」

コウガ「えー。そんなの卑怯じゃない?」

晴人「使えるものは全て使います。容赦はしないと言いました。さて、もう負けを認めるというのなら、それでもいいですよ?」

ユウキ『ねえ、彼がそう言うんです。幼くて元気な高校生らしく、やんちゃで愛らしい言葉を使った方が、彼だって喜んでくれるはず』

コウガ「はぁ? オッサン、何言ってんの? ばっかじゃねーの? オレの方が若いしさー、素直だしさー 」

ユウキ『いいね。次はぼくの番』

ユウキ「その……褒めてくれるかなって」


 ぼくは恥ずかしくなって、男から目を反らし、頬を染めて口をとがらせました。

 オレは居たたまれなくなって、伸びきった汚い前髪を、指でパラパラといじりはじめました。


晴人「いいですね。お返しのつもりですね?」

ユウキ『ほら! 喜んでくださった』

コウガ「あ、やべっ、わかりました? いっつも、いっつも、年季がどうとか、そればっかりだからさぁ……」

ユウキ『あとは、態度で彼に媚びよう? ぼくらの瞳は、純真無垢な子供の瞳でしょう? 初めてだけど、ぼく、頑張って彼に見下してもらうね……』


 そしてぼくは、身を乗り出して、両方の肘を机につき、両手で自分の顔を抱え込むようにして、頬杖をつき、子供のようなあどけない瞳で見つめてやり、彼に上目遣いで疲れを訴えました。

 オレの瞳は、伯父と同じです。よくよく深淵を覗き込めば、怒りと欲情を上から黒で塗りつぶしているだけだと気付く筈です。


『彼なら、それを一番よく知っているはず』


 男はオレの瞳が赤く濁ったことに気付いたのでしょう。彼の口から、甘い息が少し漏れました。

 しかし、今朝から良いことがあったらしく、今回は相手にしませんでした。よほど機嫌が良かったようです。スッキリとした爽やかな琥珀色の瞳で、オレのことを蔑んでくれました。


晴人「まだまだこれからが、楽しみですね。いいでしょう。役割と力関係についての説明は、もう一度する必要はありませんよね? あなたがノアを呼び捨てにすることを許されれば、あなたの完全勝利です」


 男は、晴れ晴れとした笑顔を、オレたちに見せました。

 だからぼくは、上目遣いのまま、口元を歪ませました。もちろん、愛しいあの方の真似ですよ?

 オレは彼の白く雄々しい喉仏に、今すぐにでも噛みつきたくなる衝動を、抑えました。

 こうして、ぼくたちと彼の間での、終了条件が決定したのです。

 まあ、奴が一方的に決めたことではありますが。「呼び捨て」にすることのこだわりは、何よりあの人のものだということを、全員よく理解していますから。


晴人「ねえ、このことは、彼には秘密ですよ。普通は調教の手の内をペラペラと喋りませんからね。あなたにそれを知られていることを、彼が知らない、というのは、お互い楽しくないですか?」


 二人にとっては、意外な提案でした。


コウガ『は? まじで?』

ユウキ『ええ、ぼくも予想外。てっきり彼は、このことも、あの方に伝えてしまうのだと思い込んでいました 』

コウガ『まさか、オレが彼と二人の秘密を持てるとはね』

ユウキ『ふふっ、三人の、秘密でしょう?』


コウガ「いいね、案外ずるいんだね?」

晴人「ずるいことって、楽しいでしょう?」


ユウキ『あの方の……かつての恋敵との仲が切れなかった意味が、なんとなくぼくにもわかる気がしてきた』

コウガ『うん。オレも。秘密を持つって、ぞくぞくするなー! って思った! な、いいよな?』

ユウキ『もちろん』


コウガ「わかった、秘密にする。約束する」

晴人「本当に? できない約束は最初からしないでくださいね?」


コウガ『まーたいつものだ』

ユウキ『もう、理由、わかったんだし、これからはそっとしておいてあげよう?』


ユウキ「はい、約束します。ぼくはあなたとの秘密を守ります」


コウガ『あれ? どうやって行動で示したらいい?』

ユウキ『直接触れる必要はないよ。彼なら判ってくれる。ぼくに任せて』


 ぼくは、右手に拳を作り、小指だけを立て、その小指を自分の唇につけ、 すぐに離しました。

 まー、平たい話、小指で投げキッスな。

 彼はもちろん、ぼくの真心を理解してくれました。

 父親に投げキッス返されて嬉しい息子、普通はいるか?

 普通はどう、とかはよくわかりませんが、このときのぼくは、愛しい父と真心が通じ合ったことの悦びで、顔がすっかり赤くなってしまいました。

 なんかもう、くたくたになったので、オレは机に置かれていた彼のタバコとライターをまとめて掴み、ぶっきらぼうに渡してあげました。

 彼はそれを、指一本触れ合わないよう慎重に受け取り、シャツの胸ポケットにしまいました。美しく白くたくましい、あの指の動き……未だにぼくは、思い返してはうっとりするんです。


 もう、種明かしは終わりました。


晴人「……さて。今日のところは、これで終わりにしましょうか。あなたはノアのために、自分を曲げました。これからは、あなたがノアを曲げられるかどうかです。僕はあなたと対等になりたいと望みました。だからこそ、ノアに躾を頼みました。息子が成長し、父を越えようとすることは、昔から何度も何度も繰り返されてきた、ごくありふれた通過儀礼ですよ」


 今なら、二人とも、そのことを、もっとよく理解しています。


晴人「それに、あなたの名前には、それくらいの気概が込められていますからね。派手な名前で恥ずかしいと思ったことなんて、きっとあなたは一度も無かったでしょう? だってあなたはそれくらい、賢く、美しく育ってくれたのだから」


 そう。高校生の伯父に説明したとおり、オレの本名はいかつくて強そうでしょう?

 漢字だって、ええ、美しいでしょう? 美しいぼくにはぴったりの、素晴らしい名前だと思っていますよ!

 うん、まあ、オレも、一発で変換できないからまずは辞書登録が必要だし面倒だけど、恥ずかしいと思ったことは確かに一度もない。


晴人「僕もね、【琥雅】とは対等に渡り合いたいと思っていたんですよ? だって、僕は【晴人】じゃないですか。あちらの言葉に一度変換する必要はありますが、対になると思いません……?」


 彼は名付けの時点から、そう考えていたのです。オレは胸が高鳴りました。

 だって、自分が産まれる前から本気になってくれる人って、そう居ないじゃないですか?

 こちらから望んだわけじゃないのに、子供に深い想いを強引に押し付けてくる、そんなの名付け親以外に居ないでしょう?

 彼のぼくに対する愛も、重かったんです。

 父親から息子への愛って、一方的すぎて嫌になりますね?

 ああ、コウガは喜んでいるんです。素直になれないんですよ、まだ。

 あー、そうそう。あのケンカの原因は、名前だったんですよ! ドア越し生中継、こんな感じでしたから。特別に一部抜粋してお届けします。実際の会話通りじゃないけど、大体合ってると思って読んでください!

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