050 対面
「さて。どうしたらいいですか? このまま父さんと一緒にうちに帰りますか?」
運転席に座り、シートベルトをつけた父は、あえて、そんな風な聞き方をしました。
「それともこの僕に、もう少し話をさせてみたいですか? もういい、というのなら、あなたの家まで送りますが」
そして、彼はそういった表現をしました。何せ、初めての対面ですからね。大げさなほど、分かりやすい表現をしてくれたんです。
「今の僕は、機嫌が良いので……お喋りですよ?」
彼の目は艶っぽく、口元には嘲るような笑みが浮かんでいました。ええ、そうです。オレを口説いてくれたのです。これが、貴斗という男に初めて会った瞬間でした。
「もっと、話、聞くよ」
とっくにオレは、彼に挑むと決めていたのです。
「わかりました」
彼はなめらかに車を走らせました。カーナビなど見ず、とても手慣れた感じで、そこへ真っ直ぐに入っていきました。
「安心しなさい、あなたに触れてはいけないと分かっていますから。ここへ来たのは、人目を気にせず、二人きりで話ができるから。そういう理由ですよ」
そんなわけで、オレは実の父親に、生まれて初めてラブホテルに連れていかれました。
ナオさん、もしかして、ウキウキしてません? まあ、そういうシチュエーション、珍しいですよね。感想を聞きたいですか? 控えめに言って、今度は生き地獄でしたよ? ドア越し生中継の方がまだ楽だったって、思い知るタイミング早すぎません?
何度もお伝えしているように、オレは彼と瓜二つです。すぐに、血の繋がりがあるとわかるのです。オレはずっと猫背になって顔を伏せて、彼の背中に着いていくだけでしたから、そのときのホテルの内装なんて、全く覚えていません。
今思うと、彼は初めから全てを把握した上で、そのホテルを選んだのでしょう。彼が入った部屋には、二人で向かい合って座れる、椅子とテーブルがありましたから。
貴斗とは、真正面から向かい合う形で、話をすることになりました。テーブルの上には、灰皿と彼のタバコとフリント式ライターだけが置かれていました。
彼はまず、タバコに火をつけました。あの家では吸う暇もありませんでしたから、久しぶりの喫煙のはずです。彼の妻は厳しいので、自宅では一本も吸わせてもらえませんしね。それに、つい先ほど喫煙ができる喫茶店に行ったのに、彼はそのとき、タバコとライターを車に置きっぱなしにしていました。
それだけ丁寧なことをされたんです。オレを大人として扱うという合図だと、判らないはずはないでしょう?
「……なるべく落ち着こうとしているつもりなんですがね。いざ、あなたの顔をこうやって見ていると……」
オレはそのとき、自分の顔は伏せまいとはしていましたが、視線は外していました。さすがに、正面切って、あの男の顔を見る勇気は、そのときのオレにはありませんでした。
なので、彼のタバコの箱をじっと見つめていたのですが、そのせいか、同じ銘柄のタバコを見ると、胸が重くなるんですよね、今でも。
「ごめんなさい。ちょっとだけ、意地悪をしますね……」
そう言って彼は、タバコの煙をオレの顔に吹き付けました。強く、長く。愛する息子に取る態度では、到底ありませんでした。
焦げ臭さとは別に、どこかふんわりとした甘い色香が漂い始めました。大人として扱われるとはいえ、相手は年上です。手練手管では敵うはずはありません。彼はそれを思い知らさせてやりたかったのでしょうか。
それにね……そのタバコは、あのコンビニで調達したばかりのものだったはずです。父がいつも吸っているものではないことくらい、ちゃんと気付いていましたよ?
そしてこれは、宣戦布告なのかと思いましたが、よくよく考えると、とっくにオレの方からふっかけていたんですよね。
だから、もう、オレが口を開く資格はありました。
「日本の伯父さんのこと、知っちゃったんだ」
あの時に知ってしまった、父の過去。まずはそこから、始めることにしました。息子にとって、最も聞きにくいことだったからです。早い内に、把握してしまいたいとも思いました。全ての、前提を。
「ああ……そういう可能性も、あるかもしれないと、思ってはいました。想定内ですので、気にしないように。そうでしたか」
やはり、そうでした。けれど、想定内とは、一体どこからどこまでなのか。
「実際、僕は思い出せないんです。子供の頃の記憶が、やけに薄くて。きっと、自ら封印してしまっていたんでしょうね。けれどね、僕がされていたのは性的虐待で、相手は小児性愛者です。望んで伯父と交わりたいという甥とは、全く違います。まあ、それも世間一般では非倫理的なことですが、この僕が言えたことでもありませんからね」
ナオさんは、父の仕事を知っていますよね。なぜそれに就いたのか、オレはあえて聞くことをしてきませんでしたし、これからもするつもりはありません。
「僕は勝也に指示しました。決してあの子だと思ってはならないと。演技を途切れさせるな、という意味ではありません。心の底から僕だと思い込めと言い聞かせました。何度も、何度もね。そうして、やっぱり嫌だ、優貴を抱きたいと言わせました。あの子が好きな人と初めてするときは幸せな気持ちでしてほしかった。子の幸せを望むのが親だ。子が好きな人と結ばれることは、親にとって最上の喜びだろう。全て、彼の口から出た言葉です」
彼は、父親としての貴斗を罵っていた。つまり、彼らは義兄弟として、会話をしていたのです。
「でもこの僕が、優貴を抱くことを、絶対に許しませんでした」
彼が抱いたのは「優貴先輩」でした。伯父はああなってまで、父の指示を守っていたのです。
「そして、僕だって、僕の役割を演じました。勝也をコンビニの前まで送り届けた後、僕は言いました。貴斗のこと、仲良くしてやってね。あの子、友達は多いけど、上部だけの付き合いでね。家に行くまで仲良くなったの、勝也くんが初めてだよ。ありがとう。これでジュースでも買っていきな。そう言って小銭を渡しました」
彼は、オレの祖父で、貴斗の父を演じていたのです。もちろんオレは祖父を知りませんが、明らかに口調が違うということは、そういうことです。彼は、真っ先に演技を始めた。そうまでして、伯父を追い詰めていたのです。
伯父が、ああなってしまったのは、オレのせいではありませんでした。ジュースをオレに選ばせたときには既に、伯父はとっくにまともではなくなっていたのです。
しかし、その後のことまでは、彼もこのときはまだ知らないはず。オレはあれから、ずっと伯父と一緒にいましたし。おそらく、退行までさせてしまったことは、さすがの彼も気付いていないように見えました。
「僕があなたの調教を指示したのは、全て彼のためです。わかりますよね? 彼の罪悪感は、僕が全て引き受ける。そして、あなたの罪悪感も」
彼はハッキリ、そう言いました。
「だから、あの日彼は、演技をしていなかったはずです。思い込んでいたはずです。そうでないと、絶対にあなたに僕の秘密を明かしたりなどしない。あれは、彼と僕が固く約束したことでした。絶対に誰にも言わないと」
伯父が父の秘密を明かしたことは、彼にとっては「指示通りの結果」だったのです。
「……あなたの心の中までは、強いませんでした。あなたはまだ、成長途中の子供でした。演技をすることだけでもかなりのダメージを負うはずです。その責任は、最初から僕が持つつもりでした。だから、こうして今、手の内を話しています。それは、大人としての責任です。か弱い子供に切りつけて創った、深い傷に塗る薬です。効くかどうかは、わからないけれど。勝也に調教された良い子なら、乗り越えられると信じていましたから。あなたは父親と同じ年齢の男性を、最後まで思い込ませることができた。どれだけ良い演技と演出をしたんですか? いえ、聞きませんよ? そこからは、教えたくなければ教えなくていいと勝也にも言いましたから。ねえ、父さん、とても嬉しいんですよ?」
そこで彼はようやく、口元を緩ませました。あの後のことは、オレと伯父の間に留めておいても良い、という彼からの許可でもありました。
「……やはり、時々は、父親に戻ってしまいますね、どうしても。そのくらい、父さんは嬉しいのだということが、わかってもらえますか?」
「うん。わかってるよ、父さん」
しかし、すぐにまた、嫉妬に濡れた目でオレを見ました。
「僕だって……我慢したんですよ……それなのに、褒めてくれなかった。それどころか、あんな笑えない冗談まで……」
オレはもう、戦うと決めましたから。
「残念だったね? オレも疲れたし、しばらくはいいや。それに、あの三人には、寂しい思いをさせてしまった。まずは、謝らないと……心を尽くして許してもらって、慰めてあげるのが、男としての役目だよね? まあ……どのみち、あんたがメチャクチャにしたからしばらく使い物にならないしね?」
「あそこまで責め苦を負わせたのは僕も初めてでしたからね。本当に可哀想なことをしました。まあ、準備していない方が悪いんです。想定していない方が悪いんです。仕方ないじゃありませんか。僕は悪くないですよね? それに、この年になってまで、こんなに激しい劣情を催すことができたのは貴重な経験だと思っています。あなたには感謝していますよ。長生きはするものですね?」
「じゃあ、タバコ、もう一本いかがですか。今さら禁煙したところで、寿命自体は延びないでしょ? さあ……火はオレがつけますね。ただ、お恥ずかしいことに、初めてなんですよ。お願いします、そのライターの使い方、この哀れなクソガキに教えてくださいますか……?」
そうして、オレは彼に教えを請い、礼を尽くした後、次の話を促しました。
また、甘い香りがオレを刺激します。伯父に、衝動を抑えるよう、調教されていましたから。彼の前での態度は、崩さずに済んだはずです。本当は、腹の奥が疼き、苦しくなりました。ああ、だから彼は我慢を教えてくれたのだ……。
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