048 父の手の内


 先に父の方が落ち着いてくれて、こう切り出したんです。


「昨日の朝、伯父さんをこのコンビニまで送り届けたのは……父さんです。今いるのと全く同じ場所にこの車を止め、しばらく中で待っていたんです。伯父さんが高校時代の父さんに会えなければ、今の父さんを呼ぶことになっていましたから……」


 そう。手の内を、語ってくれたのです。


「もちろん、今の父さんが、今の伯父さんに、会いに行きたかった。行って、慰めてやりたかった。もしも高校時代の父さんに会えなければ、あの人はまた、泣いていたでしょうから……」

「それは、えっと……」

「よく頑張りましたね、優貴。本当は、頭でも撫でてやりたいんですよ? 父さんだって、あなたに触れられないのは寂しいんですからね?」


 そうして、本当に寂しそうに、眉を下げて、薄く笑いました。もう、涙は止まったみたいです。

 そんな父の切ない表情を、今でもよく覚えているんです。


「親は、どうしても、子に願いを託します。子としては、鬱陶しいですよね? 父さんにも覚えがあります。だからあなたが産まれたとき、そんなことは決してしたくはないと思った。あなたと父さんは、父子といえども別々の存在です。ずっとそう思って育ててきたつもりでした」


 それは、母からも聞いたことがありました。優貴くんには、優貴くんの良さがある。生まれ持った強さがある。確かに父さんに顔は似ているけれど、父さんではないもの。そういう、話です。


「しかし、あなたは父さんに似てしまった。それだけでなく、同じ男を愛した。するとね、ダメだったんです。託したくなったんです。それが、最後の課題だったんです。あくまでもあなたに、選ばせる形でしたけどね」


 あの夜、オレが父を想ったように、父親も息子を想っていたのです。


「これから、彼の身体を一人占めできなくなるんです……そのくらいの試練が、丁度いいかと思いましてね……」


 一瞬、声色に湿り気が帯びましたが、すぐにまた元通りになりました。


「でも……不思議とね、期待していました。息子が父に刃向かってくれることを。現代において、こんなに直接的な形で、親が子に通過儀礼を課すことはまず無いでしょうからね。社会規範をあらかた犯していることくらい、この父さんが、解っていないはずはないでしょう? 僕と彼、そしてあなたにとって、唯一の教育の方法が、これでした。異常なほど大きな歪みを抱えたまま、歪な大人になってしまった僕たちは、歪んだ形でしか、息子の歪みを正せなかった。とても貴重な経験でした。もう一度言います。ありがとう、優貴。よく頑張りましたね」


 そこでようやく、オレも父に言葉を返しました。


「こちらこそ、ありがとうございました。今後もどうぞ、よろしくお願いいたします」


 教えてもらったんです。

 最大限の礼を、オレは言葉でまず、尽くすべきだと思いました。そして、これからも、息子として、父親に指導されることを、望みます。

 あなたの尊敬する人は誰ですか、という質問がありますよね。とりあえず、父、と答えてしまう人も多いんじゃないでしょうか。だって、そうすることが最も無難ですもの。

 オレは、違いますよ。無難だからそう言うんじゃない。本気です。本気で言ってます。ナオさんはもう、絶対に茶化したりしないで聞いてくれるはず。だってあなたも、二学年上の先輩である彼のことが、大好きだったんでしょう?

 オレの尊敬する人は、父です。その時から、今までも。そしてきっと、これからも。




***




 それから、父は「高校時代からの親友」についての話を始めました。


「あなたはきっと役割を誤解させられていたでしょう……。父さんもそう、仕向けていましたから。なので、ハッキリと示しておく必要がありました。まあ、直接見せるのはさすがにあなたが可哀想だと思いましたし、手心は加えたつもりです」


 その手心のせいでオレ、かえって地獄だったんですが。ただ、よくよく父の性格を考えると、確かにそれは手心だったんですよね。そうして、話は「役割」のことになりました。


「本当は、父さんも頑張ったんですけどね。無理なら自分がする、と伯父さんが言い出しまして。彼は、自分を曲げてまで、父さんを愛し続けることを選んでくれました。あなたがそうしたように」


 親の馴れ初めも、恋敵の馴れ初めも、もう十分聞いたはずだと思っていましたが、まだまだ何かあるのかもしれない、とすらこのときは思えました。


「そして、これだけは、ハッキリと申し上げておきますよ。役割と、力関係は、また別の話です。まぜこぜにしてはなりません。父さんたちの力関係は、対等です。出会った頃から今まで、その均衡は一度だって崩れたことはありません。ゆめゆめお忘れなきよう」


 このときのセリフを、彼がどういう立場から口にしたのか、振り返ってみると、もしかすると彼自身わからないのかもしれません。父から子へ現状を伝えたようにも聞こえましたし、恋敵に釘を刺したようにも聞こえました。つまり、「貴斗」という人間としての立場からのセリフだとオレは受け止めました。


「さて、もうわかっているでしょう? あなたを調教したのは伯父さんですが、その指示を出していたのは、父さんです。最初に伯父さんも言っていたでしょう。父さんに頼まれて、調教をすると。つまり、そういうことだったんです」


 ここからは、オレも口を開いてもいいでしょう。別に、許可があったわけではありません。この車の中では、父と子が会話しているのです。どの家庭にも、家庭の雰囲気といったものがあります。


「うん。よくわかった。父さんは、何も間違ったことを言っていない。父さんは、とても誠実な人間だよ。だからこそオレは、伯父さんの言葉を信じなかった」

「期待通りの、反応でした」

「……どこからなのか、も気になるけど。その前に、聞いてもいい? どこまで?」

「高校時代の父さんを抱けと、伯父さんに指示したところまで。その後のことは、自由にさせました。あなたも随分、我慢をしたと思いますが、それは伯父さんも同じですよ……」


 最後に父は言いました。


「あなたは彼を愛し続けることを選んだ。父親と争う覚悟を決めた。容赦はしませんよ? 父さんはもう、あなたを大人だと認めましたから。背中を見せるつもりはもうありません。あれだけのことに、よく耐えられましたね? これからも、あなたがどこまで持つか、楽しみにしていますよ。あるいは、父さんを打ち負かすか……。父さんがかつてそうしたように、伯父さんを曲げることができたら。それもまた、楽しみかもしれませんね」

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