045 ドアの向こう
父と伯父が玄関でやり取りをしている間のことは、別に聞き耳をたてないでおこうと思っていました。まあ、それでなくても、今いる監禁部屋からは、玄関や廊下での会話がよく聞こえてしまうんです。
一応、オレは、父とケンカして伯父に泣きついた家出少年です。二人のやりとりなんて、別にどーでもいいんですから。父さんもういいから、とっととリビングにでも行って、さっさと泣き止んでくれと思うのは、ごく自然なことですよね?
そんなことより、父との口裏合わせが始まることに、オレは不安を抱えていました。母はともかく、妹たちが兄の家出にどう反応したのか、全く聞いていませんでしたからね。
どうやら父はネチネチと、伯父に文句を言い始めたようでした。確かに、交通安全教室のくだりは言いすぎだとオレも思っていました。伯父はテキトーに相槌を打っています。
どうせ僕は根暗で陰湿で嫉妬深くて執拗ですよとか言ってるのがどうしても聞こえてしまいました。これが普段からのやり取りなんだと思うと、我が父ながら情けなくなっていました。早くリビングに行ってくれませんか?
そうだ。星座占いって当たりませんね、父は牡羊座です。あ、伯父は天秤座なので、多少は当たっている気がします。
ちなみにその日、オレはまだ朝食を食べていませんでした。普段から食べてないことが多かったんですが、監禁中は伯父にしっかり与えられていたせいか、そのときは空腹を感じていました。
もう、拘束なんてされていません。ただ、ドアの鍵は外からかけられていますし、二人はまだ廊下で話しています。こんなことなら、冷蔵庫にあったゼリーの残りか何かでいいから、くすねておけばよかった、と思っていたときでした。
「いたっ……!」
短い叫び声が聞こえました。続いて、オレがいる部屋側の、廊下の壁が大きく揺れます。どちらかが壁にぶつかってしまったみたいです。伯父が父を突き飛ばしたようでした。
それから、彼らは激しく罵り合いだしました。ドアの向こうのすぐそこの廊下で、父と伯父の痴話喧嘩が始まってしまったのです。また壁が揺れ、床は軋み、オッサン二人の怒号やら悲鳴やらが飛び交い始めました。
きっかけは何だったのか、とか、そんなことオレにはどうでもいいんです。聞きたくありません。オレにとってはさらにどうでもいい、二人だけの約束についての追及まで始まりました。もはや彼らは、家出少年の引き取りのことなんて忘れています。
よそでやってくれ、と言おうにも、よそであんなことやられる方が困りますし。だからといって、オレの方から外に出るのも無理で。ちなみに部屋は十階ですよ、今思うと避難ハシゴはあった気がするので、いっそそれでも使って逃げる手もあったのかもしれません。
しかし、オレは父の車に乗って帰らないと、家で待っている母と妹たちに示しがつかないんです。父さんと伯父さんと三人で話して仲直りして、父さんに殴られたことを許し、今後は父子二人、もっとお互いに歩み寄る。そういう筋書きだったんです。
そのときのオレにできたことは、大人二人の大喧嘩が一刻も終わることを、ただひたすら祈ることのみでした。
あのー、オレとの仲直りはどうしたんですか、父さん。謝るのは伯父ではなくオレだよね、父さん?
高校時代から仲のよかった二人です。まあ、それなりに、ケンカもあったでしょう。オレもうっすら、予想はしてたんです。伯父はあの通り、本性を「伯父さん」という優しい仮面で押さえ付けていただけでした。その実態は、この身でしかと味わいました。
今回のケンカの原因は、結局、オレだと思いました。全ての始まりは、オレが衝動を抑えられなかったあのことがきっかけでした。だから、悪いのはオレなんです。彼らの生々しいやり取りを、ドア越しで生中継されながら、次第に罪悪感がつのってきました。
というか、あの、音が、その。ほら、まあ、成人男性って大体ベルトをつけてるじゃないですか。もうそれ以上は聞きたくないと思ったのが本音です。オレはベッドの上から、身を乗り出しました。
「お、お願い! やめてあげて!」
とうとう、声が出てしまいました。もちろん彼らはそんなのお構い無し。ついには、準備がどうのこうのという問題になり始めました。なぜ準備していないのかと理由を責められても、安全地帯にいる第三者であるオレが聞いていても全く意味が分からないので、本人が分かるはずがありません。
もういよいよこれはまずいんじゃないか、という雰囲気が充満しきった瞬間、オレはベッドを飛び降り、鍵のかかったドアにへばりついて、ガンガンと扉を叩き、必死に止めようと声を張り上げました。
「ねえ! 元はオレのせいじゃん! 挿れたいならオレにでも挿れたらいいでしょ!」
ところが、どうやらケンカの原因は、オレではなかったようで。二人ともから、関係ないので引っこんでろというような事を言われてしまいました。けど、乱入してしまった手間、今さら引けないと思ったので、ドア越しではありますがオレも応戦しました。
ほら、オレも、短気ですから。オレは、父のことも、伯父のことも、若者らしい元気で今風な言葉で罵りました。二人ともそんな大人だなんて思わなかった、というような意味も込めました。いやまあ、二人ともあれだけ酷い大人なのはよく分かってるけど、今はそういうことじゃありません。
それがどうやら、余計だったみたいです。火に油を注ぐ、ってこういうことを言うんですね。まあ、監禁されていた部屋のドアの向こうは、想像するしか無かったんで、実際のところ、どこまで炎上していたのか把握はしていませんよ。
なんかもう、色々手遅れでした。短気なのを直そうと心底思いました。せめて優しくしてあげて、みたいな事をオレは言いました。顔は見えなかったけど、涙ボロボロ流して謝りながら喘いでいる情けない姿が頭に浮かんで、もうオレはじっと押し黙って、全てが終わるのを待つことにしました。
親がやってる姿、見たい子供、いますか。聞くだけでも嫌でしたよ。控えめに言って地獄でしたね。あの、伯父とやってるオレが言うのはなんですが、他の血縁とはめちゃくちゃ抵抗ありますよ。
そういえばナオさん。最近、身近な成人男性のことを、心底恐ろしいと思ったこと、ありますか。
「優貴! お待たせして申し訳ありません! 手早く済ませようと思ったんですけど、意外に抵抗されたもので。父さん迎えに来ましたよー!」
そう言って父がドアの鍵を開けて、ニコニコしながら入ってきたんですけど、あれより恐い体験をしたことは、そのときまだ無かったんです。
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