013 幕開け

 朝になり、家族が全員外出してしまったのを確かめてから、オレは軽くシャワーを浴びて着替え、ゼリー飲料を飲みました。昨日からろくに食べていないのに、全く食欲が湧かず、エネルギー摂取のためだけに胃に押し込んだんです。

 その日も、その前日と同じく、酷く暑さの厳しい日でした。午前中に移動したので、まだ涼しかったし、渇いた夏の風を感じて心地よくなる瞬間さえありました。

 伯父の家に着いたオレは、昨日と同じように、インターホンを押しました。すると今度は、出迎えてくれるのではなく、鍵は開けてあるからそのまま入ってくるように言われました。

 玄関に入ったオレは、特に指示されたわけではなかったのに、なんとなく玄関の鍵を自分でかけました。

 伯父は、廊下の奥のリビングに居るようで、そこから彼の声だけが聞こえました。


「見せたいものがあるから、二番目の部屋に入っといて。ドア、開けてるだろ」


 靴を脱いで室内に入ると、廊下の右側、手前から二番目のドアだけが確かに開いていました。室内の光が、そこから廊下に漏れています。

 前回はリビングとトイレにしか入らなかったし、幼少期の記憶もないから、そこが何の部屋かは分かりませんでしたが、オレは大人しく言われる通りにしました。

 そこは、とても殺風景な部屋でした。広さは六畳ほど。入ってすぐ、タバコのにおいがきつくなりました。エアコンがついているようで、部屋はとてもひんやりとしていました。

 まず目に入ったのは、黒いフレームのシンプルなパイプベッドでした。大きさはダブルくらいでしょうか。入って右側の壁に、ぴったりとくっつけて置かれていました。ベッドには、紺色のベッドシーツが敷かれており、その上には、寝具も何もありませんでした。

 その後ろに、ベッドシーツと同じような色の、紺のカーテンがかかっていました。ベッドとカーテンの間には隙間があり、きっとこの向こう側はガラス扉になっていて、そこからベランダに出られるのだろうと思いました。

 ベッドの他に、家具はありませんでした。左側の壁を見ると、壁掛け時計と、クローゼットの扉が見えました。おそらくこの部屋で唯一の収納でしょう。

 オレは、昨日の伯父の話を思い起こしました。寝室は、仕事場としても使っている、と聞いていました。なので、この部屋にパソコンが無いということは、ベッドはあるけど寝室ではないはずです。ということは、倉庫のようなものになっている、と伯父が言っていた部屋だと思いました。

 オレが部屋に入ってすぐのところで立ち尽くしていると、後から伯父が入ってきました。


「よう。ま、座れよ。座るとこ、そこしかないけどさ」


 戸惑ったオレが、そのまま動けずにいると、伯父は部屋のドアを閉め、ベッドの左側の縁にさっさと腰かけました。伯父が奥の方に座ったので、オレは手前の方におずおずと腰を下ろしました。

 伯父は足を組んで、膝の上に肘を乗せ、頬杖をつきました。


「昨日、ごめんな? 顔、もう、痛くない?」


 そうやって、オレの顔を上目遣いで覗き込んできました。

 ただでさえ、ベッドの上で伯父と二人きりという状況です。そのときの伯父の表情は、困ったような恥ずかしいような、そんなものに見えたので、オレはますます目のやり場がわからなくなってしまいました。

 伯父の瞳は、髪と同じで、真っ黒なんです。


「うん、大丈夫。オレの方こそ、ごめんなさい」

「ほんと、ごめんな。せっかくキレイな顔してるのにさ……」


 そう言って伯父は、右手でオレの左頬を撫でました。緊張が高まってきたオレは、とにかく自分から何か話そうと思いました。


「……ここって、何の部屋?」


 昨日も、部屋についての話を長々としたのです。そうすることが一番自然だと思ったんです。それに、なんとも奇妙な雰囲気の部屋でしたし。早くその正体を確かめたい。確かめてしまいたい。

 何の部屋か、と聞かれた伯父は、オレの頬から手を離し、頭をかきながら、困ったようにオレから目線を逸らしながら答えました。


「んー、まあ、色々? タバコ吸ったりとか」


 そのときオレは、昨日伯父がリビングでは一本もタバコを吸っていなかったことに気付きました。そもそも、高校生に受動喫煙をさせるような伯父ではないですがね。父は自宅でタバコを吸うことを、母に許されていませんでしたから、伯父もそういう部屋を作っているという理解はすぐにできました。


「あとは、まあ、玩具部屋。玩具といえば、優貴って電車、好きだったよな。覚えてる?」

「うーん、あんまり」

「そっか、そんなもんだよな。子供の頃の記憶なんて、そんなもんだよな。あんだけ一緒にレール敷いたのにな……」


 どうやらここは昔、遊び場だったらしいのです。ということは、このベッドは、オレや妹たちの昼寝に使っていたものかもしれないとオレは思いました。子供三人、楽に寝ころべる広さがありましたから。

 それから、伯父は思い出話を始めましたが、とても感傷的な内容ばかりが続くので、オレは辛くなってきました。オレは努めて明るい声で聞きました。


「そうだ、オレに見せたい物って何?」

「ああ、そうだった。どうしようかな。普通に見せても面白くないしな」


 伯父は目を細めて笑いました。声の調子も、一気に明るくなってきました。オレはそれに安心しきっていました。


「よーし、いないいなーいしてみ? これから何があっても、俺が言うまで、絶対目ぇ開けるなよ? あと、喋るのも禁止。約束できる?」

「うん」

「ほんとに?」

「うん、約束する」

「じゃ、そのまま待ってて」


 オレは両手で自分の顔を覆い、目を瞑って押し黙りました。

 伯父が一度、ベッドから立ち上がったのがわかりました。正面の壁から音がしました。おそらく、クローゼットを開けているのでしょう。しばらくゴソゴソと物音がしていましたが、オレはそのまま言う通りにしていました。

 そして、伯父が正面から、オレに近づいてきたのが、気配でわかりました。伯父はおそらく、膝をついて、ベッドに座っているオレと目線を合わせているはず。そういう気配です。

 伯父との約束は、目を開けず、喋らないこと。もちろん、守っているつもりでした。自分で顔を覆っているオレの両手に、伯父が何かを巻きつけだしたことに気付くまでは。


「伯父さん、何するの!?」

「はー、喋るなっつったろうが」


 伯父が舌打ちをしたのが聞こえ、オレは目を開けてしまいました。


「……約束、守らなかったな? クソガキ」


 指の間から、伯父がオレの両手を縛っていくのが見えました。オレは、伯父の声色が豹変したことで、そのまま微動だにできませんでした。


「はー、めんどくせぇなあ……」


 伯父は、オレに聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でそう言うと、今度はオレの頭を掴んで、真後ろに突き飛ばしました。

 膝から下は、床に下ろした状態のまま、オレはベッドの上に、仰向けに倒れこみました。まずは、膝に、何か固いものが振り下ろされました。

 それから、太ももや腹、腕などにも衝撃が加えられ、オレは縛られたままの両腕で、顔と頭を守りながら、ギャーギャーとうるさく喚き散らしました。

 最初は伯父を罵っていましたが、それが、もうやめてくれという懇願に変わる頃、ようやく伯父は手を止めてくれました。


「俺さー、別に、殴るのは好きじゃないんだよ。でも、お前、約束破るんだもん」

「ごめんなさい! ごめんなさい! オレ、びっくりして!」


 オレはベッドに仰向けの状態で、痛みで身をよじらせながら、必死にそう言いました。手首を縛られた両腕で頭を抱え込み、そのままぎゅっと目を瞑っていました。

 なので、そのときの伯父が、どういう表情をしていたかなんて、当然覚えていません。

 けれども、言われたことは、おおよそ覚えています。


「こんな簡単な約束が守れないんだもんな。そりゃあ、お前のパパも、躾が足りなかったって反省するよな」

「伯父さん、オレ、これからは絶対、約束守るから」

「わかったわかった。ちゃんと守れるようになるまで、伯父さんが面倒見てやるからな。そうしてくれって、お前のパパから、頼まれたんだよ」


 オレの監禁生活は、こうして幕を開けました。

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