011 宣戦布告

 どこにも寄り道せず、来た道を戻ってオレは帰宅しました。

 自宅は二階建ての戸建て住宅で、玄関を入るとすぐに二階への階段があり、リビング等を通らずとも自分の部屋に行ける仕組みでした。

 なので、さっさとそうしようと思っていたのに、家族の中で一番会いたくなかった人と玄関で出くわしました。

 もちろん、父のことです。


「優貴、その顔……どうしたんですか?」


 その日、母はパートで、妹たちは二人とも塾へ行っていました。父の仕事の時間はよくは知りませんでしたが、どうせいないことがほとんどなので、気にしていませんでした。

 こんな日に限って、父だけが家に居たなんて。想定外の出来事でした。

 父は心底心配そうな顔をしていました。まあ、本当に、心配だったんでしょうね。オレはぶっきらぼうに答えました。


「伯父さんに、殴られた」


 父は訝しげな表情を浮かべました。オレは父に、伯父の家に出かけるということなど言っていませんでした。そのまま父が何も言わないので、オレは腹が立ってきました。そして、聞かれてもいないのに、全てをぶちまけました。


「どうしてか聞きたいの? 無理やりキスして、セックス迫ったら、殴られた。オレさー、どうせ父さんと同じ顔じゃん。いけると思ったんだけどねー。あ、父さんの記憶は視たよ。母さん裏切って、二人でやりまくってるんでしょ?」


 そういったセリフが、途切れずスラスラと口からこぼれだしました。父は元々色素の薄い顔を、さらに青白くしました。ここまで言っても、父からは何の言葉も出てきませんでしたので、オレは捨て台詞を吐いてから、階段を上りました。


「……伯父さん、考えてくれるってよ?」


 伯父は、体格や体力では、オレに絶対に勝てないということは当然わかっていました。オレもそれを自覚していたからこそ、あんな行動に出たのです。

 そして、最後に伯父の言った「考える時間」というのは、ひとまずオレを追い出すために、適当に出しただけの表現でした。

 けれど、オレはそれを、「甥の気持ちを受け入れるか考える」ということだと思い込みました。そして、その意味を込めて父にあんな言い方をしたせいで、父も伯父が、オレの気持ちを受け入れる気があると勘違いしたのです。

 オレが部屋に戻ってから、十分くらい経った頃でしょうか。オレの部屋のドア越しに、父が声を掛けました。


「母さんには、僕が殴ったと説明しておきます」


 ちょっと、あまりにも、酷い言い訳だとは思いましたが、オレは何も言い返しませんでした。

 あの父が、子供のことを殴るはずは、絶対にないんですよ。

 父は、自分の息子と娘たちを叱りはすれど、感情に任せて怒鳴るようなことはありませんでした。ましてや手を出すことなど、一度たりとも無かったのです。

 伯父は嘘を上手く使いますが、父はとても下手でしたから、滅多に使うことはないようでした。

 そのことはかえって、誠実だとか、正直だとか、そんな風に捉えられるのでしょうか。やはり父は、そういう印象を持たれがちなんでしょうか。ナオさんも、そう思っていましたか。

 嘘をつけなくても、隠しておくことなら、父は何十年もやってのけていたくせに。




 母が帰宅して、父はさっきの言い訳を、本当に使ったようです。きっと、オレが腹を立てて、部屋に引きこもっているとでも付け加えたんでしょう。

 母がためらいがちに、ドア越しで声をかけてきました。


「優貴くん、夕飯どうする? 何か持ってこようか?」


 オレが、要らないと、とだけ答えると、少し間を置いて、母が話し出しました。


「父さんと何があったのか聞かないけど、母さんに言いたくなったらいつでも言ってね。あと、父さんけっこう、反省してるみたいだよ。すっごく落ち込んでる」

「だから?」

「許してあげて、とまでは母さん言わないけど。父さんに殴られたんでしょ?」

「うん」

「優貴くんがその気になったら、また父さんとも話してあげてね」


 結局、オレも父と口裏を合わせました。母には何も知って欲しく無かったからでした。

 息子が男性しか好きになれないこと。そして、息子が自分の兄を好きだということ。そのことを知れば、母はどんなに動揺するでしょう。

 さらに、母が自分の夫と兄の関係についてすでに知っているのかどうか、その時のオレには判断できませんでした。

 第一、オレは過去視のことも、母には自分から打ち明けていません。その負い目がありました。せっかく、伯父に相談できたということに仕立てるつもりだったのに、オレが伯父を襲ったことで、それもどうなるのかわからなくなりました。

 オレはそれまで、優しい伯父の姿しか見たことがありませんでした。なので、伯父は父は、互いにしっかりと愛し合っているのだと、それまでは思い込んでいました。

 けれども、伯父が一方的に、父を虐めているだけかもしれない、という考えが、そこでようやく浮かびました。

 父はとても温厚な性格ですから、伯父に迫られて、断りきれなかったのではないかと。父があまりにも見え透いた嘘を母についたのは、伯父がこわくてそうしてしまったのだと。

 あの時の、歪んだ伯父の笑顔。ナオさんも、よく知っていますよね? 最初に見たときは、正直怖気づきましたが、今ではあの表情が、何よりも愛しく思えます。きっと、ナオさんもそうなんでしょう? 

 だから、オレは勝手に、ナオさんには親近感を感じています。

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