010 最初の衝動
「伯父さんには、触って大丈夫なんだよね」
オレは、思い切ってそう言い放ちました。
「もちろん。なんだー? よしよししてやろうかー?」
「うん……」
「仕方ねぇなー」
伯父はオレの肩に腕を回し、後ろから頭を撫でてくれました。満足そうな伯父の顔を見下ろしながら、伯父はいつの間に、こんなに小さくなってしまったんだろう、と思ったけれど、違いました。
「おっきくなったなー。背もいつの間にか抜かされてたし。今、何センチ?」
「百八十センチちょうど」
「うわっ、もうそこまでいってんのか。さすがに貴斗よりは伸びないかな?」
「えー、抜かしたい……」
「やめとけよ、服とか買うとき困るぞ。俺は逆に、ちっせーから困るのよ。特にさ……」
その時のオレは、伯父に撫でてもらえたことが嬉しくて、服の話はろくに頭に入っていなかったのですが。そのことには伯父も気付いたみたいで、話を変えました。
「俺さ、ずっと優貴に嫌われてると思ってたから。過去視のせいだったってわかって、マジで安心したわ」
「うん、ごめん」
「仕方ねぇよ。今のお前って、他人とちょっと肩がぶつかるのだってビクビクしちまうだろう? 散髪もめっちゃ気持ち悪いし」
そうなんです。できるだけ早く仕上げてくれる所へ行っていましたが、それでも毎回、拷問のようでしたよ。それでその時も、髪は伸びっぱなしでした。
「伯父さん、どうしてたの?」
「自分でやってた。絵理子が視えるようになってからは、あいつと切り合いっこ」
兄妹の関係については、それ以上聞きませんでしたが、そんな特別な絆があったことを知り、伯父と母を見る目はどうしても変わってしまいそうでした。きっと、様々な辛苦をともに乗り越えてきた二人だったのでしょう。
「これから優貴の、俺がやろうか? まあ、お前の高校、校則緩いから、それ以上伸ばしても怒られないだろうけど」
またとない申し出でした。これから、髪を切ってもらうという名目で、伯父の家に通えるのですから。断るはずがありません。
「ちょっと鬱陶しいから、夏休み終わる頃に、お願いしようかな。だって、伸ばしても似合わないでしょう?」
「あー、多分、似合わないな。貴斗も一回伸ばそうとしたけどすぐやめたもん。お前も、多少短い方が絶対いいよ。そっちの方がカッコいい」
父の名前が出たことに一瞬ひっかかりましたが、好きな人にカッコいいと言われて照れてしまうほど、当時のオレは単純でした。
「そうかな?」
「久しぶりだから失敗するかも」
「えー、じゃあ練習しといてよー?」
そんなやり取りも、微笑ましいものでしょう?
話題はまた、昨日の夕食会に戻りました。双子の確認は、姉妹クイズのときに、それぞれの顔に触れてできたので、とても簡単だったということです。それと、姉妹の見分け方も。その時伯父が視たあいつらの過去の内容までは、さすがのオレも質問しませんでした。
問題は、オレでした。夕食をビュッフェにしたのは、接触するチャンスを増やすためだったらしいのですが、オレがあからさまに伯父を避けていたため、逆に難しくなったそうなのです。
「けど、これ以上優貴に嫌われるのがこわかったし、どうしようかなーってなって、結局酔うことにしたわ。酒の力借りるとかガキかよ、とか自分でも思ったけどな」
伯父もオレのことを、こんなに想ってくれていた。それがわかって、オレはとても幸せな気分でした。
それはとても純粋な、伯父から甥に向けての愛情だったと、今のオレならよくわかります。その時の伯父は、オレを男だとは全く見ていませんでした。
思えばそのとき、オレがそのまま大人しくしてさえいれば、あんなことにはならなかったんです。こうしてナオさんに向けてのテキストを書くことも絶対に無かった。
けれどその時、オレは我慢できませんでした。
「やっぱり可愛いな、優貴。こんなに大きくなっちまって、顔もどんどん貴斗に似てきたけどな……」
忘れようとしていた、あの記憶が甦りました。父に似てきた、という言葉が、引き金になったのかもしれません。
ねえ、ナオさん。オレも「悪い子」だったんですよ。
オレは伯父の頭を掴み、無理やりキスしました。伯父は慌てて、オレの肩を掴んでひきはがしました。
「ちょっ、お前なー」
甥に強引にキスをされた伯父は、とりあえずは苦笑いをすることにしたようです。
「伯父さん、好き。大好き」
「えーと、俺も優貴のこと好きだけどさ、そういうんじゃなくて」
「知ってる。伯父さんが愛してるのは父さんでしょ?」
オレは勢いのまま、そういった言葉を伯父に突き刺しました。伯父は何も言えずに固まってしまっているように見えました。
「ねえ、オレともセックスしてよ。父さんと似た顔なら、できるでしょ…… 」
いつもの伯父なら、何か適当な言葉を並べて切り抜けていたでしょうね。それができなかったということは、伯父も相当動揺していたんでしょう。
「お前、貴斗の記憶視たな?」
伯父は口の端を歪めて笑いました。それは、今までオレが、一度も見たことのない表情でした。 そのとき初めて、オレは伯父をこわいと感じました。
それでも、もう後には引けませんでした。
「過去視のせいで、今のオレは誰ともセックスができないって、伯父さんならわかるでしょ?」
だって、手すら繋ぐことができないのに、それ以上の事はどうしろというんでしょう。オレはさらに、畳みかけました。
「制御できるようになるまでなんて待てないよ。だって、伯父さんとだったら今すぐにでもできるのに」
伯父が、父とのことを完全に認めたことで、オレは頭に血が昇っていました。せめて、黙ったり、濁したりしてくれていたら、オレはここまで言わなかったのに、と勝手に伯父を責めました。
「優貴、落ち着け。オレはお前のことを大事に思ってる。もっとちゃんと冷静に話そう」
自分にとって、言われて嬉しいセリフであればあるほど、とりあえずこの場を切り抜けるだけの空っぽな言葉に聞こえました。
「伯父さんがオレのことを大事にしてくれるのって、結局、オレが父さんに似てるからでしょ? 別にオレ自体はどうでもよかったんでしょ?」
「違う、オレはお前を」
「ねえ、オレを若い時の父さんだと思えば、抱けるんじゃないの?」
オレは伯父に、怒りを言葉に込め、叩きつけました。
そうすると、さすがの伯父も、もう我慢の限界だったようです。
顔面を思いっきり、ぶん殴られました。
「できるわけねぇだろ……」
オレは伯父に殴られたことで、むしろ勢いを増しました。これで伯父に負い目ができた、と強気になったのです。殴り返そうとは思いませんでした。その代わりに、口で伯父を責め立てました。
「父さんにバレるとまずいから? ねえ、最近もしてるんでしょう? 父さんの記憶の中の伯父さん、今とそんなに変わらなかったから」
「あのな! そもそも、伯父が甥を抱けるはずねぇだろうが!」
「へえ、義理の兄弟とはできても、甥は無理なんだ。やっぱり血が繋がってるから?母さんのこと裏切っておいて、そういうところは気にするんだ? そこだけは破りたくないってこと?」
もう一発、殴られました。こっちの方が、痛かった。口の中は切れたし、確実に腫れたな、と自分でも分かりました。
血のつながりがあるからこそ好きになる、といった間柄もあるそうですが。その時のオレは、そこまで深いことなど考えたことはありませんでした。
ただ、ひたすらに、伯父のことが好きだっただけなんです。伯父以外の人を、好きになったことが無かっただけなんです。
まあ、それは今も……そうなんですけど。はい。一途なんです。
「オレは、本気だよ」
その時のオレがそう言うと、伯父はオレの顔から目を逸らし、両手で自分の顔を抱え込みました。
「殴って、悪かった……」
弱々しい伯父の声を聞いて、オレは何だか可哀相になりました。完全にオレが優位に立っている。そう確信していました。
「いいよ、別に」
だから、そんな風な口が利けたのです。
「お前がこんなのになったのも、俺のせいだよな。俺が、もっと、ちゃんと、お前のこと考えてたら」
「伯父さんのせいじゃないよ。オレが勝手に、伯父さんのこと好きになっただけ」
もうこの頃には、伯父を慰めたいような気分になっていました。今、振り返ってみると、どうしてそこまで気が大きくなっていたのか、自分でもわからないんですよ。ナオさんなら、どこからが伯父の演技だったのか、読んでいてすぐにわかったかもしれませんね。オレは思い上がりをしていました。
「ごめんな、優貴。今日はとりあえず帰ってくれ。頼む。俺もさ、一気に色々ありすぎて、混乱してるんだよ。考える時間、くれるか?」
「考えて、くれるの……?」
伯父は黙っていましたが、オレはそれを肯定と捉えました。オレは最悪な形で自分の気持ちを打ち明けました。けれど、もしかすると、それを伯父が受け入れてくれるかもしれないと思い、心が踊りました。
「それじゃあ、今日は、帰る」
オレがここで、すみやかに帰ることで、伯父に考える時間をたっぷり与えることができる。そう思って、オレは引きました。伯父は当然、見送りになど来ませんでした。
そして、帰りのエレベーターの中にあった鏡を見て、殴られたことだけは、どう頑張っても上手い言い訳ができそうにないことに気付きました。
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