008 伯父の家へ

 地図アプリを頼りに、オレは伯父の住むマンションに行きました。

 子供の頃は、必ず車で行き来をしていたので、こうして歩いていくのは初めてだったからです。

 伯父の言うことが確かなら、ナオさんはここへは来たことがないはずです。

 八月に入ったばかりの日でしたが、真昼に自宅を出たせいもあり、アスファルトから立ち込める熱気が厳しかったことを覚えています。

 伯父の家は、十二階建てのマンションでした。最寄り駅からは徒歩五分もかからなかったけど、オレはじんわりと汗をかいていました。

 そこへは小学生以来訪れていなかったはずなのに、外観はよく覚えていました。茶色っぽい地味な外壁で、とりたてて高級感の無い、都会ではどこにでもある普通の集合住宅です。

 オートロック式ではなく、入り口は解放されていたので、オレは真っ直ぐエレベーターホールへ向かいました。この辺りは見覚えがあります。

 伯父の部屋は十階でした。表札を何度も何度も確かめてから、オレはそっと、インターホンを押しました。


「おう。暑かったろ、ごくろうさん」


 玄関のドアを開けて出迎えた伯父は、オレを見上げ、ニッコリと笑ってくれました。昨日は一度も真っ直ぐに、伯父の顔を見れなかったので、至近距離での彼の笑顔には緊張してしまいました。

 伯父は父と同い年のはずですが、その割には若く見える顔立ちをしていたと思います。

 それに……元々の色なのでしょう。伯父の髪の色は深く、漆黒と呼べるほどでした。白髪に困っている様子が、その時全くなかったのです。その時は、やや長めの前髪を無造作におろしており、それが余計に若々しい印象を与えていました。

 あと、伯父はかなり細身でしたから、シャツの袖から伸びる腕は骨ばって見え、それにオレはドキリとしました。

 そういう人が、オレのタイプだったわけです。




 靴を脱ぎ、室内に入ると、真っ直ぐ伸びた廊下の左右に、いくつかのドアがあるのが見えました。その全ては閉じられており、それぞれ何の部屋なのか、その時はわかりませんでした。

 左右のドアを全て通り過ぎ、廊下の突き当たりにある部屋にオレは通されました。

 それは伯父が「リビング」と呼んでいる、リビングとキッチンがほぼ一体になっている広い部屋で、入って左手側に、キッチンスペースがありました。


「アイスコーヒーでいいよな? そこの椅子座ってて」


 リビングに入ってすぐ、手前と奥に一脚ずつ椅子が置いてある、小さなダイニングテーブルがありました。オレは手前側の椅子に座りました。

 伯父は、左側の壁際にある冷蔵庫から、コンビニで買ったらしい、一リットルの紙パックを取り出しました。伯父はブラックコーヒーが好きです。別に、だからってわけじゃないけど、オレも好きです。昨日、伯父はオレのことをちゃんと見ててくれたんだなと思って嬉しくなりました。……まあ、自分はめちゃくちゃ避けてましたけど。


「うん、伯父さん、ありがとう」


 今日は素直な気持ちで、感謝を伝えることにしていました。

 さて、椅子に座って、部屋の右側を見ると、二人掛けくらいのソファと、右側の壁にぴったりつけられたテレビボードがありました。

 なるほど、これなら、テーブルに座っていても、ソファに移動しても、テレビが見れるというわけです。

 とはいえ、真面目な話をするわけですし、最初からテレビはついていませんでした。




 部屋自体はよく冷やしてくれていましたが、外はあの暑さでした。つい勢いよくごくごく飲んでしまいましたっけ。紙パックのアイスコーヒーを。伯父はそれを、一日一リットルくらい飲むそうです。まるで麦茶感覚です。オレはそこまでは飲みません。

 コーヒーを飲みながら、オレと伯父はテーブルに向かい合って、まずは「本題以外」の話を始めました。このときのダイニングテーブルですが、五人家族のテーブルに慣れていたオレには、かなり狭く感じられました。それはもちろん、嬉しいことでしたけどね?

 ええ。こんなに近く、真正面で、あの伯父と話すことができる……。チョコレート菓子なんかも用意してくれていましたから、手や目線をあちこちにやったり、そわそわしていたりしても、まさか「恋をしているから」だなんて思われなかったはずです。

 過去が視えるようになった、という「重大な秘密」についての話をしにきたのです。そりゃあ、態度がおかしくなっても、それは普通のことでしょう?

 その時のオレは、あんなに思い悩んでいた「重大な秘密」でさえ、さらに大きな秘密の隠れ蓑に使えることに、都合がいいな、とまで考え始めていました。

 それほどまでに、オレの伯父への恋心は、熱狂的なものだったのです。




 さて、伯父の家ですが。外観は割としっかり覚えていたのに対し、このリビングにはほとんど見覚えがない気がしました。オレが小学生くらいまでは、しょっちゅう来ていたはずなんですが。

 それに、いくら男の一人暮らしにしても、意外と物が少ないな、という印象を受けました。それらをオレが口に出すと、伯父はちょっとした理由を語ってくれました。

 母方の祖父母は、オレが小学生のときに亡くなっていることは、すでに書いたとおりです。

 祖父母の後始末は、長男であり、スケジュールの融通も利く伯父が、ほとんど一手に引き受けたそうです。その頃の母は、オレと双子のせいでろくに動けませんでしたから。

 それがとても大変だったらしく、伯父も自分の今後について考えてしまったようです。


「できるだけ物、減らしとこうと思ってさ。写真とかも大体処分しちまったな。ああいうの、一番困るんだよ」


 独身である伯父が死ねば、オレの一家が後を任されることになります。できるだけ迷惑をかけたくない、と伯父は言いました。そんなに長生きするつもりもないけど、と付け加えて。

 オレはそのとき無性に、悲しくなったのをよく覚えています。


「お前らのことをよく預かっていた時期はさー、独身男性の家だとは誰一人として信じないくらいファンシーだったっけな」


 必要の無くなった玩具や育児用品も、当然とっくに処分してあるようです。オレの記憶の中の伯父の部屋と、すっかり変わってしまっていたのは、そういうわけでした。

 それから、この家にはあと二つ、部屋があると聞きました。一つは「仕事場兼寝室」で、もう一つはほとんど使っておらず、倉庫のようになっているということでした。

 伯父は在宅で仕事をすることも多く、面倒くさがりなので、パソコン作業が終わればそのまま寝てしまえるように、寝室と一緒にしてしまっている、等と話してくれました。

 そうやって、あれこれ自分のことを話してくれたのは、きっとオレを緊張から解くためだったんだと思います。

 昨日だって、ろくに会話もしていないし、いきなり過去視の説明を始めても、オレは着いていけないだろうと考えてくれたんでしょう。




 ナオさん、伯父のそういうところって、高校生のときからでしたか。伯父は顔立ちと口調から、最初はこわい印象を持たれがちではないかとオレは考えています。だからよく笑うんだと思うんです。

 口調直せばいいのに、と思いましたが、オレも直らないのでしょうがないですね。

 けれど、相手をよく観察していて、自分がどう行動すれば相手のためになるのか、常に考えてくれていますよね。

 だから、最初はとっつきにくくても、いつの間にか一緒にいて心地よい関係を築ける、そういう人なんじゃないかって思っています。

 オレと伯父が出会ったのは、オレが産まれたときです。伯父の第一印象なんて、覚えてないんですよね。オレは自分自身の過去は視えないから、ちょっと歯がゆい気持ちになることもあります。

 ナオさんは、父と伯父の二学年下の後輩と聞いています。伯父が高校三年生のときに出会ったということで、間違いないのでしょうか。

 もしナオさんと会うことができたら、当時の伯父の印象を、ぜひ聞いてみたいです。

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